適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

42🌑母に、つゆごと素麺をブチかましてやろうと思った話。

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久しぶりに怒りが死ぬほどこみ上げた

あなたは、母にただ話しかけられただけで、殺したくなるほど怒りがこみ上げることなんてありますか???

 

 

*◆何があっても母が好き

ーー私は子どもの頃、母から虐待を受けて育ちました。テストでは100点を取らないと削り尖った鉛筆で手の甲を刺されました。穴が開きます。勉強も生活の身の回りのことも、母にとって100点でなければ暴力と罵声を浴びせられました。

父はギャンブルで借金を作り、母は返済と生活費の補填のため夜パートに出るようになりましたが結局は離婚しました。私が小学校から帰ると入れ替わりで母がパートに出るので、虐待の頻度は物理的に減りましたから、ある意味ではよかったのかもしれない。

それ以降、私は母の味方でした。父も母も大好きだったのだけれど、それ以降は父を恨むようになりました。母は父がどんなだったかを私に話して聞かせましたし、聞かされなくても父が悪いのは分かります。だからずっと、私は母の味方でした。

 

 

*◆認知の歪みを直すのに必要なこと

しかしつい最近、それが覆されました。1ヶ月前。どうにも完璧主義で傲慢な自分の性格の由来を調べていると、幼い頃の母親との関係に帰するという現実を嫌という程叩きつけられました。否定したくて多方面からとことん調べ上げましたが、調べるほどにそれが真実だった。しまいには精神科医にもそう告げられました。

母から虐待を受けていたと言う過去を受け入れることは難しかったです。難しかったというか拒否反応が起こる。「そんなことはない、ただ躾が厳しかっただけだ、立派に育ってほしいと思うあまり少し行き過ぎただけだ」何年もの間そんな風に思っていました。

自分の母が毒親だなんて大抵の人は受け入れ難いことです。父がまともでなかったために母の味方でい続けた私にとっても、それは非常に辛辣な現実でした。

しかし完璧主義を治すことやアダルトチルドレンとしての生きにくさ(自己喪失感や自己否定や虚無感、希死念慮、うつ気分など)を治すには、自分が自分らしく生きていくためには、自分が虐待を受けていたという辛い事実を受け止めなければならなかった。過去とこれからを切り離し割り切って、新しい思考パターンを得ることで母から植えつけられた認知の歪みを治すには、事実を受け止めなければならなかった。精神科でもそう言われました。

 

 

*◆自分の行動を認められない母

1ヶ月前、私は母に、自分の思いを告げました。虐待をされて辛かったこと、それでも母が大好きなのだということを。

昔から、母はいつだって私の話をきちんと聞くことはなく、必ず話を遮って自分の意見を話し始めます。私は良い子でいくて話を聞きました。どうしても辛いときは「もういいよ」と言ってそれ以上その話は母に持ちかけないようにすることで理解してもらえないもどかしさや切なさを誤魔化してきました。

でもあの日は、毎度の如く話を遮る母に向かって「たまには最後まで聞いてよ」と半ば怒りを込めながら、自分の思いを告げました。

母は、謝るどころか怒りながら泣いて悲しんで、私を拒否しました。「私が悪いっていうんでしょ」「子どもに自分の子育てを真っ向から否定された」母から出てくるのはそんな自己防衛の言葉で、私に対して謝罪のしの字もありませんでした。

 

辛いことでしたよ

 

だって私は、分かり合えると思っていたんです。母なら私のこの辛かった気持ちを受け止めてくれると信じて疑いませんでした。母は自分を責めてしまうだろうと思っていました。

ところが、違ったんです。自分を責めるなんて毒親にはないらしいです。いろんな本やネットにそう書いてあったけど、本当だった。私の母は違うと信じていたけど、私の母もただの毒親でした。

 

 

*◆母という存在への諦め

母には諦めがつきました。

母にわかってもらおうだなんて考えるのは間違っているのだと身をもって実感させられましたから。

 

まずは母と距離を置くため家を出られるように、今新しい仕事を探しているし、家を出る計画も立ててる。1ヶ月でずいぶん回復したと思ってました。あの抑うつ状態から1ヶ月ほどで仕事を探したり面接に行ったりできるようになったんだから。私はこの1ヶ月で、母への憎しみが薄れてきていました。前ほど辛い気持ちにならなくなっていて。もう未練もないし、自分は大丈夫になったと思っていました。でも違ったみたいです。残念なことに。

 

 

*◆諦めたんだから恨みも消えると思った

今日私が夕飯を食べていたときのことです。左手で椀を持って、つゆにそうめんを入れてといてました。母がおもむろに「あなたも鰻、たべますか?」と聞いてきました。

 

それだけ。

 

1ヶ月振りに母から話しかけられました。ただ話しかけられただけなのだけど、あれ以降初めてかけられた言葉でした。私は衝動的に左手に持った椀をそのまま母にぶっかけてやりたい衝動にかられました。とてつもない怒りがこみ上げて。実際には掛けずに済んだけど、かけてやってもよかったと思う。

 

1ヶ月前、私は、今までの人生、一生分の思いの丈を全て込めて、全力で、母に思いを伝えました。虐待が辛かったことも、それでも母が大好きであるということも、言葉を変えながら最大限に伝わるように、全ての気持ちを全力で伝えました。それなのに。…返ってきた言葉は母自身を防衛する言葉しかなかった。

 

この、裏切りとも拒否とも取れる母の反応を受け入れる私の心の内は、同じような何かを味わった人でなければ分からないでしょう。それを私は耐えていた。この1ヶ月、自分なりのやり方でひたすら耐えてきた。それなのに。

 

「あなたも鰻、たべますか?」

 

その前に、もっと他に、言うことありますよね??

もっと他の態度が、ありますよね??

まるで何事もなかったかのように振る舞う母に、耐えられなかった。

 

もう大丈夫だなんて、嘘でした。勘違い。絞め殺してやりたい、そう思います。

 

 

*◆諦めたものは愛情だけだった

そう言えばそうだった。私の部屋は居間と隣り合わせです。自室にいると隣の部屋から大きな声でテレビと会話する母の声が聞こえてきます。そういう時の私は、ものすごく怒りがこみ上げて仕方なかった。壁やベットに拳を投げつけていました。なんだ、大丈夫だなんて、ずいぶん勘違いでした。大丈夫になったことなんて多分一度もなかったみたいです。

 

これを人に話しても、わかってもらえない気がします。もう散々です。「そのうち元どおりになるよ」「お母さんだって、苦労したんじゃない?」だから何ですか?  私が虐待を受けた理由になりますか?  私の心情は無視されるべきなんですか?  私はまた以前のように母の味方であればいいんですか?  それが正しい子どものあり方だからですか?  生まれて此の方自分の人生をぶち壊されても味方でなければいけないんですか?  私は母の思い通りに動かせる「モノ」なんですか?  

 

 

 

*◆諦めたことはスタート地点た立っただけ

母も育ちがおかしいんだと思います。祖母や祖父から否定されて育ったんだと思います。そうだとすれば、それはかわいそうなことなんでしょう。子どもは親から何か言われれば、それが100%正しいのだと信じて疑うことはありません。全く無抵抗のままなんの疑いも持たず、そういう価値観の人間に育つんでしょう。しかし、母の育ちがどうで、母がどんな人間性に育ったかなんて、私には関係ありません。私は母を選んで生まれてきたんじゃないんですから。母は母の人生で、私は私の人生です。母の何かに巻き込まれて私らしさを奪われなければいけなかった事情なんてどこにもない。でも私の人生では子どもの頃、100点を取らなきゃ身に危険が及んだ。暴力を振るわれた。100点を取ることは、私が安全に生き抜くために必要なことでした。

いつの間にか100点を取らなければならない思考が、人生の中に、私のアイデンティティの中に、蔓延して、染み付いて、あたかも100点を取れることこそが私らしさのようになっていた。私が完璧主義になったことは、確かに不可抗力でした。以前このことは否定していました。「そうではない、これは私が自ら望んだこと(言動、性格)であって、母からコントロールされてこうなったわけじゃない」。しかし克服に向けて調べていると、毒親からのコントロールがあったことを受け止めなければ、先に進むことが困難であると知りました。

いつの間にか私は母と同じように、人にも100点を求めるような人間になっていて、人生がうまく進まなくなってしまった。そりゃそうです。私は私にとっての100点以外は受け入れられない性格になっているからです。他人のことをありのまま受け入れることができない。人も私も、なぜこうケンカばかりになるのかが分からなくて本当に困ったし、神経をすり減らすことになったし、傷つけあってしまうし、その辛さは死をも近づけた。

 

その恨みと憎しみは、やり切れない切なさや悲しみ、虚無感となって、そうめんをつゆごと掛けたくらいでは晴らせない。人生を持ってして償ってもらいたい。死んでくれよと切に思う。

 

 

*◆丸腰でスタートを切る

私は、母と同じレベルの人間であることが辛いです。死んでくれよなどと思っている限りは、母と同レベルなんでしょう。もっと精神的な高みを目指す。自分の育ちをを受け入れ、人に左右されない本当の自分を知り、自分らしい価値観を持ち、自分らしい人生を歩む。それができるようになった時きっと、こんな風に母に死ねだなんていちいち思わずに済むのでしょう。母をいちいち恨んだりせずに穏やかに過ごせるのでしょう。

怒りを感じている段階ではまだダメ。それは母の呪縛に囚われている証です。

私はもっと、高みを目指します。

 

 

でも今は、殺してやりたいです。

41🌸住民票の閲覧制限〜親に追跡されないために〜

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アダルトチルドレン克服に向け色々調べていると、毒親と離れることがまず一番であると聞く。

しかし、実家を出てから追跡・押し掛けをされては逃げても意味がない。

そうならないために、戸籍の附票・住民票の閲覧制限があることを知った。

今回はそのお話。


まず、戸籍の附票とは…
以下抜粋

戸籍の附票とは 住所の異動が記録されている書類のことで、本籍のある市区町村で、戸籍とセットで管理されています。 そのため本籍を置いている役所でしか交付してもらえません。 戸籍の附票には、本籍地、筆頭者名、そしてその戸籍に在籍している人の住所の異動が記録されます。

戸籍の附票とは - 相続戸籍相談センターより。


ーーとのこと。附票は戸籍とまた別の書類であり戸籍とともに保管されている。その附票には同じ戸籍に入っている家族全員分の住所の移動も全て、記録されているのだ。

親と決別し家を出たところで、これを辿って追跡されては意味がない。親子間であればその消息を知る目的で住民票や戸籍の附票を閲覧する権限があるため新住所を知られてしまうのだ。

そこで、色々と調べたわけだ。

 

毒親から逃げるヒントを調べていると、分籍(親の戸籍から独立し新しい戸籍を作ること)をするという人もいるらしい。しかし、分籍に関しては調べた結果、私がこれをしても今のところあまりメリットがないようだった。なので分籍はしないことにした。

 

しかし、分籍せずただ実家を出ても、住民票を辿って新住所を検索されれば、再び毒を浴びさられたりまとわりつかれる可能性はある。

新住所に来られるのも場所を知られるのも嫌だ。困る。逃げる意味がない。

なので、住民票と戸籍の附票の閲覧制限のみ、詳しく知りたいと思い、相談できそうな機関に電話を入れた。

そもそも閲覧制限をかけるには、市役所だけでなく警察署も動くことになるらしい。
ネットの情報によると、その双方で相談に乗ってもらうことが可能であり、且つ、児童相談所、女性相談センターでも相談に乗ってもらえるとのこと。

あまり知識がないままいきなり市役所や警察署に相談に行くのは気が引けたので、女性相談センターに電話をかけてみることにした。

 

色々親切に話を聞いてくれる。
話したこと、聞かれたことは、閲覧制限をかけたいと思った経緯、閲覧制限をかける以外の追跡されにくい方法、実家を出た後の親との関わりをどうするか、など。

閲覧制限をかけなくても、何かの時のために警察署に相談をしておくと、もしも通報するようになった時にスムーズに警察が反応してくれるであろうこともアドバイスしてもらった。

気持ちや事情に理解を示してくださって、温かい言葉をかけてもらった。最後には「まずはとにかく、良いお仕事が見つかるといいですね。陰ながら応援しておりますから、困ったことがあればまたいつでも、もちろん話を聞いてほしいというそれだけでも構いませんから、どんなことでもお電話していただいて構いませんからね。」と。

 

泣ける。

 

29.5.31(水)の話。

 

 

 

追記

〈前書き〉住民票の閲覧制限をかけるhttp://getoveradultchildren.hateblo.jp/entry/2018/12/24/222815

 

〈警察で〉住民票の閲覧制限をかける

http://getoveradultchildren.hateblo.jp/entry/2018/12/26/010331

 

〈役所で〉住民票の閲覧制限をかける

http://getoveradultchildren.hateblo.jp/entry/2018/12/29/132242

 

〈通知〉住民票の閲覧制限をかける

http://getoveradultchildren.hateblo.jp/entry/2019/01/20/012815

40💔共依存。彼はわたしを鏡にしてる

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気がつきかけていることがあります。

「先に心を壊してたのは俺だから」

 

ーー私はつい最近、婚約者と別れました。それは、私のアダルトチルドレンだったり、そこからくる性格の偏りだったり、そこから出たうつにより自殺しようとして迷惑をかけたことだったり、彼の頼りなさだったり、理由は1つではありません。

その中でずっと何か引っかかっていることがあります。最近、その何かに気が付き始めました。元婚約者は私と付き合っている間、喧嘩になると「俺が我慢すればいいんだ」と思うようになっていったそうです。

 

 

 

私は彼の内面にあるものを全て我慢してほしいと願ったことなどあっただろうか。そこまでして尽くしてほしかっただろうか。彼のそんな「心を壊した」姿をみたいと望んでいただろうか。

 

私の言動は、彼と私にとってプラスになるものであろうと感じていた結果だ。しかしこれは間違っていた。

それがもし、どちらかを傷つける結果をもたらすならばその選択はすぐさま切り替えただろう。

 

私の希望は彼に我慢してもらうことではなく「擦り合せること」であったのに。

 

私の頑固さのせいで、彼に「我慢」を強いらせたとしたら、私はその頑固さを治すべきである。

また、彼の依存心により何か違うと分かりながらも彼が自ら「我慢」を選んだなら、彼もその依存心を治すべきである。

 

私はおそらく、あの精神状態であったせいで、「先に心を壊してたのは俺の方だから」という言葉をそのまま鵜呑みにし、自身をこの上なく責めた。死ぬほどに。

 

今、この言葉には、これまで見えていなかった何かが隠されていることに気がついたように思う。

人間、本当に究極まで参ってしまうと濃霧の中のごとくまわりが何も見えなくなり、腰のあたりまで立ち込めれば前方どころか上も下も、その果てには自分の素肌の感覚や感情さえも、何ひとつ分からなくなるものだ。

 

我慢をさせたのは私である。
我慢を選んだのも、彼自身である。

 

ーーそこから導き出すものは何だろうか……。
まだ整理が必要である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の記事を書いて、しばらく経って、今何か見えてきたように思う。

この問題は、おそらく私のものではないのだ。

私の問題は、完璧主義の一部分である、自分の価値観を他人に強要すること、だ。それを治すことが課題なのだ。

しかし、「我慢を選んだのも、彼自身」と言うことを考えると、それは私の問題ではない。彼が治すところだ。自分が我慢させたことは棚に上げて言っている。ーーおそらく「自分が我慢させた」という考え方も、健全になりたい(性格を直したい)ならば改める必要性があるのだと思う。

彼はなぜ我慢することを選んだのか。「君のことが好きだからな決まってんじゃん」そう言っていた。しかしそれは表向きの話なのだと思う。いや、彼が本当の気持ちを隠しているとは思っていない。彼自身、自分の本当の気持ちを知らないのだろうと思っている。「本当の気持ち」というか、深層心理的な部分、潜在意識の話だ。意識してない、自分が知らない本当の自分、だ。

おそらく彼は、私を鏡にしている。

彼は私という鏡を通して、自分の存在感や満足感を得ているのだ。彼は自分一人では自分の存在感を認識できない。そこで誰かと一緒にいること(頼まれてもないのに面倒を見たり世話を焼いたり尽くしたりすること)で自分の存在感や満足感を見出しているのだ。共依存なのだ……。

彼は「君のことが好きだから(嫌なことも我慢してたの)だよ」という、おそらくそれは本心の、しかし実は表向きだけ(とは気づかず)の言葉を発したが、潜在意識下では「君がいれば自分が生きてることを実感できるから(嫌なことも我慢してたの)」ということなのだろうと思う。

私は本当の意味で愛されてはいなかったということだ。私はあの優しさやあの尽くしようによってそれが分からなかったし、もっとも彼自身が気が付いていないのだ。

彼が私のことを、気に入っている、好きである、それは本当のことだと思う。しかし、愛されていたであろうか……。

もし本当に愛されていたならば、プロポーズのきっかけはなんだったか聞いただけで「俺もう友達に結婚するって言っちゃったんだよ??  俺もついに結婚するって言っちゃったんだよ??俺プロポーズしちゃいけなかったわけ?」なんてお門違いな返答はこなかっただろう。私は彼の世間体のために結婚するわけじゃないのだ。もし本当に愛されていたならば、「結婚してから正社員だと生活が仕事中心になっちゃうからパートがいいと思う」なんて返答もこなかっただろう。私は彼の生活や心情のために結婚するのではないのだ。私の人生の中に結婚というイベントがあり、私からしてみれば彼は私の人生の登場人物であるだけなのだから。生き方を指示されるのは間違っている。

 

私は彼に愛されていなかったと思うし、私も彼を愛していたのか自信がない。

39💔そもそも何故、生きる意味なんてものを考える羽目になったのか

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自分がアダルトチルドレンでありうまく生きることができていないと気が付いて此の方

 

自分はもう
母には縛られない
母には振り回されない

自分らしく生きる

 

なんて思い
結局は

 

自分らしさ

なんてものはよく分からず
結局は

 

母に認めてもらうためだけに
努力と誠実に努めて生きてきただけだ

と思い知る。

 

別に
望んで母のために生まれてきたつもりなど毛頭ない

 

では何故

なぜ

生まれてきたのか

なぜ

あの人間の元に生まれてきたのか

私は
何のために生まれてきたのか

 

 

何で生まれてきたんだろうか、私は…

 

 

 

まてよ。

 

何でこんなこと考える羽目になったんだ。

 


くだらない。

 

 

生きてるもんは生きてる。

 

 

特に死にたくもなくなった。
明日も生きてるだろどうせ。

 


ただ、生きてるだけだ。

 


生きる意味なんてわざわざ見出すこともない。

 


生まれちゃったんだから
そのうち死ぬだけ

死ぬのを待ってるだけだ。

 


別に、生きることに意味なんてない。

死ぬまでの間に

なんかいろいろ
あるだけだ。

 

 

そんなことないよ、
死ぬのを待ってるだけの人生なんて
つまらないし
辛いよ
楽しいこともあるよ?


昔の私なら
こう言うだろう


バカだ。

楽しみや

喜びや

幸せなんてものを求めるから

苦しむのだ。

 


何も望まず生きていれば

特に辛いこともないだろうに。

 

かわいそうだ、
昔の私は。


母に認められることが
幸福であったのだ。
それを望んでいた。

 

 

ーーだから辛かったのだ。

 


生きる間に欲などいらぬものを持つと
苦しむだけだ。

 

 

 


欲は持たず
ただ生きる。

 

死ぬまでの間に
しょうがないが生きていると
人と関わらなければならない

その中に

嬉しいことや
楽しいことも
あるだろう

それならそのまま
それを味わえばいい

自ら望むものではない。

 

ただ生きてりゃ
いいことも、
嫌なことも、
勝手に巡ってくる。

そこに意味なんてない。

 

ただ、死ぬまでの間に
いろいろあるだけだ。

 

ま、死ぬのを「待ってる」なんて感覚も
特にないけどね。
なんか知らないけどさ、
なんか、生きてるんだよね、勝手に(´Д` )

 

 


待っているだけでは、何も始まらない

なんていう人がいる。

そこに意欲がある人は
何か始めればいいし、
私はというと、別にいい。
めんどうだ。


このままでいい。
今のところは、そういう気分だ。

38💔幼児教育への恐怖(理想と現実と実力)

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私は以前、幼稚園の先生をしていました。たったの4年間ですけどね。今はもう、保育業界にもどるつもりはありません。(^^;;

ちょーっと幼児教育・保育という世界に触れてしまったおかげで、中途半端に経験と知識を得てしまったがために、もどるつもりはありませんというか、怖くてもう戻る気持ちには……。


子どもが育つ環境において、大人(親や先生ほか)の言動が子どもの人格形成に大きく影響を及ぼすことがある…。人生をも狂わせかねない…。それは一体どういうことなのか…。

この問題はアダルトチルドレンの私には身を以て実感させられていることであり、保育現場に立つという視点からいうと、「先生」である私にとっては非常に恐ろしい問題なのです。
※私自身のことは先生の影響って言うより母の影響であったと捉えていますけどね。


では、今回はその話を。

 

 

そいえば、みなさんは保育園と幼稚園の違いをご存知ですか?(^^)

ざっくりいうと…
保育園は親が仕事などで家庭での養育を十分に行えないなどの理由で家庭に代わって子どもを預かる場所。福祉施設の仲間です。でももちろん教育もしてます。

対して幼稚園は、学校の仲間に含まれます。「遊びを通して学ぶこと」を目的としています。でももちろん大体、保育園みたいに預かりもやってます(延長保育や夏期保育など)

現在はその二つの目的、養育・教育という双方のアプローチに加えて子育て支援も行うために作られた、こども園という施設が増えていますね。

これら3つの違いや施設のタイプ、目的などにおいては、もっと細かくイロイロありますが、今回は置いときますめんどくさいので。笑


でも、なんにしても、
そこには先生の技量が要る。
これはマジ侮れない問題。
大抵1年間しか担任持たないけどね。


その子どもができたこと、できなかったこと、どっちも同じように認め、受け入れ、今のその子の今の状態を全部ひっくるめて「先生はあなたが大好きだよ!」って言ってあげる、みたいな、そういうの大事だった…。


先生やってたときの私はそういう気持ちで接してあげることができてなかったって思う…。でも、みんな、先生大好きって言ってくれてた…。本心で言ってる子もいれば、先生に気に入られるための精一杯のウソを言った子もいたかも…。どっちにしろ、こころが痛む…。

 

例えばの話ね。
できたときは、そりゃまぁ、褒めるよね!
でも、「頑張ったね〜」って言って褒めたら、隣で同じように頑張ってるんだけどできなかった子はどう思ったかな…
頑張ったねって褒めるより、その子が「やっ…やったあ!!僕できた!!」っていう喜びそのものに、まずはとにかく、ひたすら共感してあげられればよかったんじゃないのか。。目一杯、子どもとそれを味わってから、次の成長に繋げる課題に取り掛かる。

「頑張ったね〜」って褒めてもらった子も、違う遊びでうまく行かなくなることも絶対出てくるよね。
そういう時は、「一緒に頑張ってみようよ!」って言葉に加えて、子どもに気づかれないようにこっそり手伝ってあげて、あたかも子どもが自分で頑張ったらできちゃった!イェーイ!ってな感じに思わせて達成感を味わわせてあげられるようにしてきた。

でもさ、それでも(手伝ってあげても)、できなかった時もある。根気よく何度も何度も付き合っても、全然できなかった時もある。

それは、手伝い方がその子に合ってないか、単純にその子がまだその段階まで到達してなかったってことなんだけど、そこを見極めてやれなきゃプロとは言えないんだろうけど、まあ凄く難しいことだった…。

お勉強系のガチンコ幼稚園だったから、粉物教育に関してはとにかく上を伸ばして底上げも徹底するみたいな指示が入ってた。出来ないまんま学年や持ち上げちゃうと、前の担任は上の学年の先生たちにめっちゃ悪口言われる…。怖い。。他の先生が何人も悪口言われてるの聞いてひたすら怖かった。そんな事に怯えて、先生である自分が焦っちゃって子どもが出来ないことに余裕が持てなかったし寛容になれていなかったと思う。もちろんブッたり出来なくちゃダメだなんて言ったりしないけど、私の焦りやイライラは絶対子どもたちに伝わってたと思う…。

ごめんね。先生なりにやったんだけど、今思うと傷ついた子もいっぱいいるはずだって……。ごめんね。みんな。。


できなかったとき。それこそ、めっちゃ大事だったのかも。先生もどうしたものかと悩んじゃうし、子どもも自信喪失したりやりたくなくなっちゃったりってなる。

そしたら、まずはとにかく「僕、できなかった…」っていうしょんぼりに、ひたすら共感してあげればよかったんじゃないかなあ…。とにかくそれをやるべきだったんじゃないかな…。私は違ってたと思う。。

出来なかった時はすぐさま、もっとこうしてみる?  とか頑張ればできるよ〜とかなんとか言って励ましたり、とことん付き合うよ〜とか言って何度も繰り返し練習させたり…しちゃってた…。

それじゃまるで、頑張らなきゃダメで、出来ないこともダメ、…ってなっちゃうんじゃないかな…。あの子たちにそう思わせちゃってないかな…。罪悪感…。。


私は母に極端に、なんでも出来なきゃダメって言われて育った……。
「できる」以外は認められなかったの。例えば学校のテストも、100点以外はシバかれる。身体的にも精神的にも、シバかれる。そのシバき方は他の記事に書いてあるんだけど、とにかく「できる」以外は許されないのね。99点って惜しかったね〜みたいな「惜しい」とかさえ、無い。シバかれる。笑

テストのみならず、生活のこと全て、母にとっての「できる」に及ばないことは、シバかれる。でも子どもなんで、大体できないじゃないですか、私においてももれなく。なので、日々、シバかれる。日々、「どうしてこんなこともできないの?」「何回言ったらわかるの?」「こんな子に育てた覚えはない」「バッカね〜呆れた」などの言葉で精神的にシバかれ、殴られるなどで身体的にもシバかれる。

でもさ、子どもって純粋だし、親の言ってることは絶対っていうか疑わないから、そのまんま信じちゃう。

「できないのは“バッカ”である」
「できないのは、悪、なのだ」

なので、必死にそのラインに到達し、認めてもらおうとする。そして、そのラインが生きる上での正しいものだと認識される。信じて疑わなくなる。信じると言うよりそう言う基準の人間に育つ。
私は、何年も、シバかれる→認められるよう努力しまくる→自分の行動は正しいと信じてしまう、を意図せず繰り返した結果、完璧主義者に仕上がったんですけどね!

 

その後の私は、大人になってから、その完璧主義から来る自分の合格ラインを、婚約者にも強いる、という行動に出てしまいます…(^^;;  友人や職場の人にはしないのですが、なぜか恋人には求めてしまいます。
「できないのは、悪」です。無理やり彼を、自分基準の合格ラインまで持っていこうとします。でも、価値観の違いを認められず、婚約者とうまくいかなくなり、そのお相手とは結果お別れすることになります…。自分で価値観の違いに耐えられなくなっちゃうんです…。貴方のためよ、とかなんとか彼の親まで巻き込んで言いくるめて、ほとんど強制的に別れに持ち込みました。

 

 

……。

 

 

もしも、こどもの頃…
できなくても受け入れられ、認めてもらえる環境で育っていたら、こんな性格になってなかったかもしれません。
なんて言っても仕方ないのですが。


ま、私の話は極端な事例だし家庭の話なんですけど、幼児教育の現場においても大切なことだと思う。このことは大学で散々習ったのに、理解してなかった…。

 


と、いうことで、、、
私は、幼児教育に携わるのが、スーーーッゴイ怖くなっちゃったんです。
この子の未来を壊したらどうしよう、大人になった時私みたいなつらい思いをすることになっちゃったらどうしよう、死んでも償えない…
そんな感じ。
将来は考え方も変わるかもしれんけど、
今は、そんな感じ。

私こわい:(;゙゚'ω゚'):
それでも、母になったり、先生をやってる人もいる。すごい。

私には、こわくて……。

そりゃ、みんな正解なんて分からないでしょうし、子育てに正解はない、なんて言葉はよく聞きます。
多分、みんな怖かったり、不安だったり、自信もてなかったりする中でも母や先生をやってるんだと思うんですが、今の私はとりあえずビビりまくってます。過去に担任を持った子たちに罪悪感持ってる…。

とにかく共感してあげれば、いい方向に向かうんじゃないのかっていう今の思いと、果たして複雑な保育現場のなかでちゃんと子どもにそれをやってあげられるだろうか、という怖さと、私には全然実力はないな、っていう現実。

 

前の園では、方針に沿ってなるべく俗にいう「できる子」にしなきゃいけなかったことが難しかった…。こんなに小さい子にこんなにやらせていいのかなっていう疑問はいつも抱いてた…。でも、園長先生は、小学校の先生からうちの園児はきちんとしてるって褒められるって言って誇りにしてた…。葛藤があった…。でも、園のやり方に反発するなんて考えもしなかった…。私は間違ってたんだろうか…。

 

せっかく幼稚園の教員免許と保育士資格持ってるけど、多分これを生かすことはもうないだろうな…(›´_`‹ )

ま、そもそも! 保育業界は私なんかを必要としてないでしょうけどねっ!笑
あーっはっは!

 


……。

 

 

あの時傷ついてしまった子どもたち、いるよね…。ごめんね。本当にごめんね…。先生に言われたことなんて気にしないで。先生に言われたことは忘れてしまって。あなたはそのままで、素晴らしい存在です。

 

…ごめんね。

37💔結婚とかお付き合いとか

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恋愛するの、もうなんか怖い。

 

好きな人ができることがあるかもしれない

言い寄られることもあるかもしれない

だけど私は、多分、最終的に結婚はしない
だから、最初から付き合わない。

 

付き合っても、私の価値観のひどい偏りが邪魔をして必ず喧嘩になる

それでも付き合い続けても、結婚は怖い

私は内膜症だから、私には妊娠はできないかもしれないって言ったら、ショックを受ける人もいると思う

それでも私を選んでくれるとしても、私は虐待を受けてたから、子どもにも同じことをするかもしれないと思うと、子どもを産むのが怖い

 

結婚相手は、がっかりすると思う
私がこんなことを思っている弱い人間だと知って。

 

どこかの段階で振られるのが関の山
最終的にも振られるのが関の山

 

だから、結婚はないんだろうなと思うから、後々傷つくんなら、最初から、お付き合いはしない。私の心が弱いだけ。今はとにかく、弱いだけ。

 

恋愛しない。それでいい。

36🌸インナーチャイルドを癒す

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以前、自分でやるインナーチャイルドの癒し方という感じの記事を読んだことがあります。

私には、若干効果がありましたが、1人でやるには難しくて、一度きりしかやってませんが。

今回は、そのことをお話したいと思います。

 


インナーチャイルドは、自分の心の中にいる、子どもの頃の自分のことです。

インナーチャイルドが傷ついているなら、その原因を突き止めてすぐ癒してあげるべきだと書いてありました。

やり方は、自分で自分に催眠術をかけるようなものです。笑
面白いですよ。

 

私は鼻炎持ちで、睡眠不足や風邪気味などで免疫力が低下すると、鼻をもぎ取りたくなるほど鼻水が出ます。鼻が両方ふさがったりします。地獄です。

インナーチャイルドの癒し方を調べていた時、ちょうど鼻炎薬を飲んでいました。

その当時抑うつ状態で、なかなか眠ることができず困っており、眠れないと鼻炎が炸裂する私には、眠くなる鼻炎薬が魔法の薬でした。どうしても鼻水とくしゃみに耐えられないときには鼻炎薬をのんで、ついでに眠れるので一石二鳥です。

インナーチャイルドを癒す手順を読みながら、鼻炎薬が効いてきて、ウトウトし始めたのですが…。

先に書いたように、これは自分に自分で催眠術をらかけるようなものなので、鼻炎薬のウトウトがちょうど良かったみたいです。

自分で催眠をかけながら、目を瞑り、子どもの頃の自分に会いに行き、抱きしめたり声をかけたりすることでインナーチャイルドを癒すのですが、普通に考えたらそんなこと面白過ぎます。

何言ってんねん!
っとまあこうなりますわな、そういうの信じないタイプの方だったら特に。

私も、初めてインナーチャイルドを癒すというインチキそうなものがあると知ったときには(上に書いた記事とは違う記事です確かどこかのメンタルクリニックのホームページかな)、全然そんなことで心が軽くなるなんて信じられませんでした。

だって、虐待されてたことは、言葉にできないくらい、ものすごく辛いことだから。

 

…が、しかし!
実際やってみたら、会えちゃったんですよ、私のインナーチャイルドに!笑

しかも!
癒されちゃったんですよ、少しだけだけど!笑

あれは絶対、眠くなる鼻炎薬さんのおかげだと思います。笑

 


まず、私がインチキそうだなどと言っておきながらなぜインナーチャイルドを癒すことを試してみたかというと。

辛かったんです。
母との関係に悩んで。

どうにもこうにも、辛かった。

その少し前に自殺を図ろうとしたことがあったのですが、あのとき以来、辛くなると死にたいと思ってしまう思考回路が働いていたので、また母の件で辛くなって死にたいとか願い始めたり、また実際に自殺を図ろうとするような精神状態になってはいけないので、この辛い気持ちをなんとかしようと思いました。

そこで、人に聞いてもらったり、同じような経験をしている人のブログを読んだりしていたのですが、一向に辛い気持ちは収まらず…。

どうにもこうにも行き詰まって、前にどこかで見たぞと思い出し、自殺念慮が始まる前になんとかしなきゃと藁にもすがる思いでやり方を検索したのがインナーチャイルドを自分で癒してみようと試みるきっかけでした。

 

では、どんな風にやったか紹介します。

どうぞ、飲める方はお酒でも飲みながら読んでください。

シラフだと読んでるあなたが恥ずかしくなるかもしれません。笑

ちなみに私は下戸です。


さて、はじめます。


まず、リラックスできる場所で、体を自然に任せて、全身の力を抜きます。私はベッドの上でやりました。

そして、目を瞑ります。

昔のことを思い出し、俯瞰から、あるいは映画のように、はたから見ます。

インナーチャイルドは昔のあなたで、今のあなたは別物です。インナーチャイルドの視線にならないでください。

私は、母に甘えてみたくて、抱きついたときに跳ね除けられた時のことを思い出していました。

昔の家の、あの部屋です。母と幼い私がいます。母は窓際に立っています。幼い私はテーブルの近くに座っています。大人の私はタンスの前に立ってそれを見ています。

幼い私は、母に甘えてみたくて、いきなり、立っている母に抱きつきに行きました。

「ばっかじゃないの。笑」

母が私を跳ね除けます。

「そうだよね。笑」

と言って、幼い私は元の位置に戻り、座ります。

ここまでは、私の記憶です。


癒しは、ここからです。

大人の私は、幼い私に近寄り、隣に座りました。幼い私は、下を向いています。

大人の私は、そっと、幼い私を抱きしめました。

幼い私は、大人の私には気づいていないようで動きません。

大人の私は、幼い私をそのままずっと抱きしめました。「お母さんに抱きしめてほしかったよね」そんなようなことを語りかけました。

しばらくすると、幼い私は、下を向いて髪が顔にかかったまま、少しこちらに顔を向けて、大人の私に体を寄せました。

確かそのあと、他にも何か語りかけたように思います。こうしてほしかったよね、ああしてほしかったよね、、、。

そのうち、幼い私は少し照れ笑いし、安心したのか、眠ってしまいました。

幼い私を抱えて二階のベッドに連れて行き、寝かせてあげました。

しばらく添い寝をしました。私は起きてたけど。幼い私が寝ている姿を、隣に寝転がり眺めていました。

やがて、幼い私が完全に眠ると、大人の私はなんとなく満足感を覚え、記憶の中の世界から、現実の世界へと帰ってきました。目を開けただけですが。

 

私は寝転がったまま目を開けて、また閉じると、もう幼い私はそこにいないのですが、何だか優しい涙が、わんわん出ました。

満たされたような気持ちになったのです。

私の中のインナーチャイルドを一人、癒すことができていたようです。


そのあとは、大人の私も現実の世界で、ベッドに潜って静かに眠りました。幼い私が安心しきって眠ったように。

 

と、まあ、こんな感じです。

会いに行って帰ってきたときは、とても驚いていました。

 

会えた!会えた!
ーーえ??ウソでしょ??

 

でも、何かが心の中に満ちていました。

あの満足感が、私を癒してくれている、そういう、癒されている実感がありました。しばらくは落ち着いた心で過ごすことができました。

次の日にはまた辛い気持ちが戻っていたけど、インナーチャイルドは繰り返し何度も会いに行くものなのだそうです。

一回で癒される人もいるけど、カウンセラーの誘導のもと、何度も会いにいく人も多いのだそうです。
私は一回では癒しきれなかったけど。

インナーチャイルドは、初めはなかなかこちらに返答してくれないことも多いそうですが、繰り返し会いにいくたび、少しずつ心を開いてくれるのだそうです。

私はもしまた機会があったら、また別の日のインナーチャイルドに会いたいなと思います。

また別の日の幼い私を慰めて、母がしてくれなかったことを代わりにしてあげる。

そうすれば、また一人、喜んだインナーチャイルドは大人の私の心に満足感を与え、大人の私を癒してくれることでしょう。


ただ、会いたいからといって簡単に会えるもんじゃーありませんな。_(┐「ε:)_

あの時の私は鼻炎薬さんにより朦朧としていた…笑

次に会えるのは、私が辛くて辛くて真面目にインナーチャイルドに会いたいと思っていて、且つ鼻炎薬を飲んだ30分後くらいという2つのタイミングが合致したときでしょう。


以上、面白いけど不思議で温かいお話。これを書くために思い出しながら、また、温かい気持ちになれました。