アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型・解離性障害の記録。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

139🌼トラウマ治療1

トラウマのためのカウンセリングによる治療がスタートしたので自分用にメモを残す。




スタートしたと言っても以前にもトラウマ系のセッション受けていたことがある。自我状態療法を3回ほど。トラウマ関連のことは2人のカウンセラーさんに話を聞いてもらったことがあるのだけど、上手く話せなくて軌道に乗れず……汲み取ってもらうことが難しくて「うまくいかない」が何度か重なって萎縮してしまっていた。




なので今回かなり勇気を出して新しくカウンセリングルームを訪ねたのだけど、とても安心感のある人で、心底安心した。



年上の女性の方で、フラットな振る舞いをしてくれる感じや、あまり話さずとも読み取ってくれて、たくさん話すとよく理解してくれる、何をすると良さそうかテキパキと話してくれて、説明もわかりやすくて……やっと自分に合う人を見つけられたかも!と思った



自分の中では初めて顔を見て挨拶をしたときの印象がフラットだったのが何より安心を感じられて、ああ、もう大丈夫だ!って。なんというか私コミュ障なので人と関わるとき明るくされると交感神経炸裂してしまう(空回り的テンションになっちゃう)し、かと言って落ち着ききった感じの人だと話す気持ちになれないしで……私厄介者なので、フラットに、自然にしていてくださるのがとてもありがたかった。




今日はインテーク(初回の聞き取り)回なので色々とざっくりと自分のことを聞かれ、お話しした。今の症状、発症から現在までのこと、幼少期のことを主に聞かれて、それを元に、どんな療法が合いそうで、そのための準備がどんなものかを教えてもらった。



とりあえず、2段構えの見立てができた
・STプロトコルやポリヴェーガル理論で心が揺れ動いても怖がらなくなる(フラバ起こしにくくなる)ようにすること(この、心の揺れ幅を広げていく作業を、ペンデュレーションとよぶらしい)
・からの“未完了の完了”を目指していざ!トラウマ治療へ

“未完了の完了”というのは、トラウマとなった出来事を完了させるということみたい。トラウマは、圧倒されて身体が凍りつくような体験/出来事が、凍りついたそのまま身体に刻まれてしまっている状態で、頭ではその出来事はもう過ぎたことだと知っていても身体はまだ“未完了”のまま保存してしまっているので、それをセッションで改めて完了せていく、ということ。らしい。すごいねトラウマ治療って。


カウンセラーさんは、私が不安定になりそうだとサッとぬいぐるみを出してくれたりして、すぐ気づいてくれるのが驚いちゃったな。ぬいぐるみってのはグラウンディングのために使われてた。グラウンディングはそのまんまの意味で地に足をつけることで、トラウマ持ちはたびたび(というかほとんどの時間で)感覚がふわふわしてしまって今ここから離れてしまうので、ぬいぐるみを、握る、乗せる、抱くなどして感覚刺激を身体に与えることで「今私はここにいるぞ」と思い出させてくれる。グラウンディングは山ほど方法があって、自分に合うやつを色々覚えておくといいみたい。



ぬいぐるみの他には足の親指でしっかり地面を踏み込むとか、バタフライポーズとかを教えてもらった。


カウンセリングではどうしても心の中の嫌な部分に触れるわけなのだけど、そうすると、ポリヴェーガル理論(※)でいうところの“背側迷走神経”が優位になってしまう。そういう時にグラウンディングやってね、とのことだった。



※ポリヴェーガル理論は、自律神経についての理論。
一般的には交感神経と副交感神経の2つで語られるけれど、ポリヴェーガルでは3つあるとしてる。
・交感神経……戦闘/逃走モード
・副交感神経(腹側迷走神経)……安心/マインドフルモード
・副交感神経(背側迷走神経)……凍りつき/シャットダウンモード
交感神経が高まりすぎると背側が介入してきてブレーキをかける、これ以上はダメ、もう動かないことにする、ってしちゃう。
トラウマに触れるとトラウマが形成された時と同じく凍りつきが起こり(フラバ)、頭も心も身体もシャットダウンされてしまい、ぼーっとするとか動かなくなってしまう。


そういう時に、あるいはそうなりそうな時にグラウンディングをやってみてねとのことだった。

この日は、家に帰ってから背側に落ちすぎなかったけど、でもやっぱり夜寝るくらいの時間に落ちたかなー、熱っぽくなってぼーっとしていた。


TSプロトコールという療法についても聞いた。
フラッシュバックによく効く技法とのことで、やってもいいかどうか主治医にに聞いておいてくれるとのことだった。


ふう、頭働かなくなってきた笑
次回はポリヴェーガル理論について心理教育をして、あとは主治医がokならTSプロトコールを開始するとのことで。カウンセラーさん!よろしくおねがいします!!😭


やっとやっと、自分のことを分かってくれて、導いてくれるカウンセラーさんに出会えた。トラウマ関連の人としては3人目。トラウマのことわかる前から数えると6人目(かな?多分)。

昔のこと掘るだけ掘られておしまいだったこともあったり、ただ「うん、うん」と聞いてくれるだけのタイプのカウンセリングだったり、「今以上にどうなりたいんですか?」などと言われたこともあったし、すごく困ったり傷ついたこともあったけど再びカウンセリングに挑戦してみて良かったです。わかってくれる人に巡り会えたので。



なんかすごく読みにくい文章になっちゃったけど頭が働きにくくてうまく書けないのでもうこれでいいや笑

138🙂また一年経った。近況

なんと。トラウマ治療を始めた。
今後はそれについてぼちぼち書いていこうと思う。


解離のことがわかって今2年半くらい経つかな。初めはトラウマのカウンセリングを受けていた。通ってるメンタルクリニックのカウンセリングルームで、3回の自我状態療法を受けた。



でもあの3回のセッションはちょっと何というか……うまく軌道に乗せられなかった。カウンセラーとのラポールなしに自我状態やったのはちょっと危うかったのかなという気がする。



そもそも、2年半前のあの当時、私は自分がトラウマ持ちだということをあまりよく理解していなかった。フラッシュバックが多すぎるよと主治医に言われてもどれのことだかもわからないし。



あと、何に困ってるかカウンセラーに聞かれて、正直何に困ってるかはよく分からなくて答えられなかったという出来事があって。明らかに何かには困ってるんだけど具体的にそれを言葉にすることができなかったのよね。そしたらカウンセラーが「じゃ無理にやらなくてもいいんじゃないかな」って言って……。そのカウンセラーにはずっと前にも一度だけ見てもらったことがあって、その時は私ド鬱だったのでセッション中に泣いて止まらなくなってしまって。そしたら「落ち着いたらまたやりましょう」って言われた、ということがあったんだよね。



苦しい時に行ったら落ち着いてからと言われ、
落ち着いてからいったら無理にやることないと言われ。
カウンセリングって一体いつ行けばいいのか分からなくなった。



多分、ちょっと準備が足りないままに本格的なことに手をつけてしまってついていけなくなり、軌道に乗せられなかったんだと思う。









それで……
2年半の間、私は独自に自分を暴いていった。解離性障害にまつわる本をたくさん読んだことで、自分にはトラウマがあることを理解していった。トラウマ持ちは自分にトラウマがあるという自覚を持っていないことが多いらしい。そりゃそうだね。自分によってその記憶は見えないように隠されているから。私もまんまと隠されてたみたい。人間の脳ってすごい。私を守ってくれていたんだよ。



その2年半マジでアホほど学んだ。大量に本を読んだし、論文も読んだ。トラウマと解離の構造について公にあるもの全部読みたいと思った(気概がもうすごすぎて(  ̄▽ ̄)ホントもう自分で疲れた)



で、変わっていったことがいくつかある。
・身体感覚が手に入ったこと
・自己肯定感に興味がなくなったこと
・私の身体が過去の恐怖をいまだに強く記憶してること



『身体感覚が手に入ったこと』について
これは世界が新しく感じられる出来事の一つだった。
知らずにSE(ソマティックエクスペリエンス)の真似事をしていたようで、たまたま功を奏した。今の私は「この手のひらは私のものだ」と確かにわかる。からだの他の部位はまだ自分のじゃないみたいな感じがすること多いけど、手のひらの感覚は私と繋がった。それによって、私は確かに存在しているんだ、そう思えるようになった。



『自己肯定感に興味がなくなったこと』について
これは身体感覚が手に入ったことにより連動して起こった感覚。「私は確かに存在している」これ。確かに存在しているものに対して肯定も否定もないよなと思った。
机の上にリンゴが一個あるとして、その存在を誰が否定するだろう。肯定することだって特にしないだろうと思う。リンゴはただそこにあるのだ。ただそこにあって、それでいいのだ。



『私の身体が過去の恐怖をいまだに強く記憶してること』について
これは……これこそがトラウマだったんだよね。トラウマの正体。トラウマってのは嫌な思い出とかの類じゃない。意識の中の表層の部分ではなく、無意識という深層部分に刻まれた記憶、それがトラウマ。CBT(認知行動療法)では取り除けないような深層部分の話。
CBTをやったことで、頭ではもう大丈夫と分かっていても身体がついてこない。身体はまだ何も理解してない。たくさん勉強して頭でっかちになった私は体を置き去りにしていたんだと思った。だから身体をこっちに連れてこなくちゃならないんだなと。
そのためにトラウマ治療というものが存在しているのだとやっと理解できて、私は2年半ぶりにカウンセリングへ通うに至った。









28歳で鬱を発症。未遂。親との関係性の異常にはじめて気づく。アダルトチルドレンなんだと思って実家から逃げだし、このブログをその頃に開設した。

30歳で鬱が再発。適応障害と診断された。

その半年後、不安障害の診断へ変更。
(二度目のド鬱で再び未遂。毎日死にたかった)

さらに半年後、鬱病へ変更。
(薬だけでは治らないと悟って、この時CBTを受けた)

そしてさらに半年後、双極2型の診断がでた。
この時私は32歳くらいかな。
(ここまでのことはこのブログに大体書いてある)
(がしかし!ここで2年に及ぶ現実逃避期間がきた)
(それによりブログの更新が滞った!)

それから2年後、解離のことがわかっていく。
双極の薬をそのまま飲みながら、フラッシュバック、人格、トラウマ……そういうことを主に主治医と話すようになった。

そしてまた数年経ち、今は37歳になった。
9年の闘病の末、37でトラウマ治療へと移行。
やっと本丸が現れたよ……
(これから再びトラウマ治療についてをブログに残していこうと思ってる)





……白目向いちゃうね笑。
双極の診断に辿り着くまで平均7年かかってるなんてデータがあるけどさ、自分はトラウマわかるのに9年かかって……( ꒪⌓꒪)まあいいやね、分かったんだから。
ということでここからは第4期闘病生活トラウマ治療篇とする。









さ、そんなわけでですね。
次からはトラウマ治療について、ここに自分のメモを残していく。今まで同様、赤裸々に書いちゃう、もう。あらやだ。私がこのブログを始めたのは、誰かに届くといいなってのもあるけど、自分用のメモ。未来の自分の資料。そういう感じ。だからきつい話なんかもそのままに書いていく。そういう所存。とりあえずすでに4回受けたのでそれを順に書いていきます。では。





おわり

137😮住民票のロック、少し変わってた

先ほど住民票のロック(住民基本台帳法における支援措置)の更新申請書が役所から届いたので確認したところ、書式や文言が変わっていました。

以前は「加害者」という表記が使われていたところ「相手方」という表記に変わっていました。変えることないのに笑。

それから、相談先に相談した証明をもらう欄は無くなっていました。私は警察署に行って証明を書いてもらっていましたが、もう警察書に毎年出向く必要がなくなったようてす(役所に確認済み)。送られた申請書を記入し役所に届けるだけで良いとのことです。必要があれば警察署に行くこともあるかもしれませんが。

ありがたい変更ですね。これまで毎年この更新をするには書類を記入し、相談先(警察など)に出向き何度も被害内容を話し、相談の証明をもらい、役所に出向き、そこでも聴取がある場合もあり、やっと受理。1日が潰れてしまいます……。相談先に出向かなくても良くなっただけでずいぶん助かります。あとは毎年更新しなければならないのを更新手続き無しもしくは長期更新になったらもっと嬉しいな……なんてわがままを思っているところです😅

この支援措置があるおかげで得られる精神的な安心は大きいので、これからもお世話になります。ありがとうございます。

136🙂更に3年が経った

前回の記事から3年以上が経っていてとても驚いている。時が経つのが早い。久しぶりに書いてみようと思う。



双極の診断をもらってから3年半が経った。この間にあったこと。



一年半ほど前に新たに「解離性障害」が加わっている。内在的に人格がいくつかあるのがわかった(内在性解離)。正式に診断を下された記憶はないけど診察の時には毎回この話題だ。このところ先生とは双極の話はあまりしていない。トラウマだとかフラッシュバックだとか解離だとか人格だとかそんな話ばかりだ。いいことでもある。双極が落ち着いているということで。解離には双極が落ち着いたから辿り着いたという経緯がある。



双極のことを先に書いておく。あのとき転院を機に診断が鬱から双極に変わりそれに伴って薬も代わり、それ以来一度も鬱になっていない。軽く上がっている感じの期間は数回あったけど大したことでもなかった。リチウムがあることで穏やかに過ごせている。症状にあわせて200〜800mgの間で増減がありつつ、現在は飲み始めと同じ200mgで落ち着いている。エビリファイは0.5〜5mgで調整があり、現在は1mgで落ち着いている。私はエビリファイを2mg以上摂るとアカシジアを起こすようで、そのような時はアカシジア止めとしてアーテンを使用していた。また、混合状態でデパケンを飲んでいた時期もあった。薬を増やしながら安定を図ってきた。現在リチウム200とエビ1まで減らして落ち着いていて、かなり予後がいいと言えると思う。眠剤は変わらずデエビゴ。この生活が続いていて、元気に……と言うと語弊があるかもしれないな、「普通に」過ごすことができている。



それから。今から一年半ほど前に発達検査を受けた。あまりにも認知機能がバグっていて私は昔でいうところのADDなのではと本気で考えていた。忘れ物や無くしものは多いし、同じ注意を続けておくのがかなり難しい時があるし、その当時はレジでどの小銭を出せばいいのかがわからなくなったり、地元の道で迷子になったり、考えられないことが鬱が良くなって2年も経つのにいまだ起きていて。でもそれは今に始まったことじゃないような気がして。昔からこうだった気がして。「気がして」と言う言い回しに解離の影があることに、その頃はまた気が付かなかったのだが。



WAISとMSPAを受けて、検査結果はADHDASDともに要支援圏内だった。つまり診断が出せる結果だった。これがそのときのMSPAの結果。
衝撃を受けた。私はADHDだと思って検査を受けたのに、ADHDは不注意が軽く引っ掛かっている程度で、困りごとのメインはASDであろうという結果が出たのだ。とりあえずひとしきり驚いてから、ああ、私は軽い不注意とASDなのか……と漠然と思っていたら、医師から告げられた言葉は「発達障害ではなさそうですね」という意外な言葉だった。聞くと、確かに発達症の傾向が数値となって現れてはいるが、常にその症状がでているわけではないことと、母子関係の問題がある点を踏まえ、生まれつきのものではないようです。とのことだった。後になって理解したことだが、これもトラウマがあることを示唆していた。




そして解離について。これは自分でもかなり未知な感じがいまだにしている。双極の時と同様にたくさん本を読んだし調べ物もしたけれど、とにかく鍵は私の中にしかないというのが辿り着いたところだ。私が私に隠していることがある。トラウマ。ここに触れないならばさして大したことは書けない気もする。カウンセリングで過去の家族の話になると途端に自分の意思とは全く無関係に大泣きして止まらなくなってしまいお話にならないと言った具合で、解離にまつわるカウンセリングはほとんどできていないので、私が私に何を隠しているのかはまだ書けない。人格にはカウンセリングで数人に会いに行った。何を隠しているのか、何をしている人なのか、結局よく分からないままだ。それでも他のできることをしようと、自分なりに色々と勉強をしながらマインドや認知を整えて、未来の自分が少しでも生きやすいといいと思ってやれることをやっている。ものの考え方は割と順調にアップデートされてきた感じもする。



病気のことはざっとこんな感じ。
日常はダイエットを1年していてとりあえず15kg落としたこと、韓国語の勉強をしていること、新しく壁面飾りの販売をしようとしていること。そんな感じかな。



ここにいない間、Twitterにいり浸っていた。あの界隈は気が楽でいいね。

135🌞絶望からの出口を見つけた。


リチウムを飲み始めてからどんな感じだったかのメモ。




双極性障害の診断を受けてリチウム200mgが処方されたとき


私の場合、それまで服用していた抗うつ薬の漸減はせず、ほとんどスパッとリチウムに切り替わったため、当初はリチウムの効果よりも抗うつ薬離脱症状が目立った。


でも数ヶ月もすれば、、、
気がつけば、、、


ほんの少しのきっかけで気分が落ち込むと言ったことはなくなり、元気が出るわけではないが安定した精神状態で過ごすことができていた。


それまでは、テレビを見たり、彼と会話をしたり、人の言動を見聞きしたりすることで、それが引き金となって気分がざわつきとんでもなく落ちてしまうことがよくあった。


双極性障害なのに抗うつ薬を飲んでいたことと、
フラッシュバックがあったことが、
私の情緒面に激しく悪影響を与えていたことがわかり、
フラッシュバックにも薬が出て、
ますます調子は楽になった。


リチウムを飲み始めておおよそ3ヶ月、決して楽しいとは言えなくとも、低め安定(鬱気味だが安定)した生活を送ることができていて、私は嬉しくて涙が出るような思いで過ごしていた。


その頃、いつもなら流せるようなことが異常に引っかかり、激しく怒りを覚えると言う出来事があった。


頭に来すぎて、テーブルの上にあるもの全部をそこらじゅうに投げつけた…


そのことを医師に話すと、リチウムが増えて、200mgから400mgになった。


その時のことは忘れない。
400mgになってから、明らかに気分の変化が見られた。


「普通」


気分が「普通」になった。


200mgのときは、「低め安定」だったのが、
400mgになって明らかに「普通安定」に変化した。
おそらく私にはリチウム400mgが適正な容量だったのだと思う。 


それ以来薬が増えることはなく、頓服で出ている眠剤は次第にほとんど使う必要がなくなっていき、抗不安薬においては全く飲まなくなった。


それまで、私はいつだって絶望の淵にいた。
何事も、全てのことは、暗く澱んで見えていた。
いつ、全てを終わりにしようか、、、
そんな考えが常に頭の片隅にあるままに生きていた。


リチウム400mgで私は救われた。


あの悲しい気持ちは、病気のせいだったのだと
改めてよくわかった。
あれが私の真意なら、薬でこんなに変わるなんてことはないはずだから。


あの時、死ななくてよかった。


1人の人に愛されて過ごすかけがえのない日々を
もし私が死んでいたならば
こんな風に噛み締めることはなかった。


数少なくとも大切に思い思われる友人と
楽しく笑って過ごすこともできなかった。


そんな日が来るなんて思いもしなかった。


今では、あの悲しい気持ちで過ごした日々が
嘘のようにさえ感じるようになってきた。


あの時のことは「悲しい気持ち」などという
簡単な言葉では言い表すことはできない。


今を、今生きていることを、ここにいることを、
大切に、噛み締めて、ただ過ごす。
それは、「幸せ」だと、感じる。




絶望の中にいる時、こんな風に思える日が来るだなんて思わなかった。今となっては、生きていてよかったと、ただそれだけを思う。


主治医と、紹介をしてくれたカウンセラーに、感謝している。


そして誰より、いつもそばにいて支えてくれた彼には、心の底からありがとう、と思う。感謝をしてもしきれない。
彼と過ごす毎日は、何にも変えられない。
今になってやっとわかる。病気に目隠しされていた。
これからは、自分のことばかりではなく、彼への感謝の思いと愛情で、2人で過ごしていくのだと心に刻んだ。

134 双極性障害Ⅱ型の治療開始後すぐ、幻聴があった


これは聞いたことがない話だが、、、。
治療をはじめてすぐに幻聴が起こって怯えた時の話。


リチウム200gを飲みはじめてすぐの頃。
リビングでテレビを見ながら観葉植物に水やりをしていた。
静かな夕方だった。


…話し声が聞こえる??


それは、玄関の辺りに誰かが来ていて、子どもたちが笑いながら話をしているような声だった。


うちは無駄に敷地が広く、家はその1番奥にあるので、誰かお客さんが来た時にしか外からの声は聞こえない。
でも人がいる。だれ??
耳を澄ませてみた。やっぱり玄関だと思った。玄関からは四角になる位置の窓を開けて、また耳を澄ませてみると、その声は聞こえなくなってしまった。


と言うことが数日間、何度か続いた。


またある時は、寝ている時に「ねえ、」と声をかけられて起きることがあった。


あれは明け方だった。
うっすらと目が覚めて、朝になったことに気づいたが、まだ眠れそうだったのでそのまま眠ったあとのこと。


「ねえ、」


彼だと思った。何かあって、私を起こしに来たと思った。
二度寝していたので、寝ぼけて、声に驚き飛び起きた。
…誰もいない。
え?
部屋の外に出てみたが、誰もいない。
彼はそもそも仕事に行っていて家にはいなかった。


そんなことが、寝ているとしょっちゅう起きた。
眠りについた頃、真夜中、明け方、、、。


これが毎日繰り返されると、正直頭がおかしくなりそうだった。

「ねえ、」

もうこれ以上は気が触れる!!!
と思いはじめたところで、だんだんこれらの幻聴は減っていって、気がつくと無くなっていた。おおよそ2ヶ月弱ほどの期間だったと思う。


先生によると、リチウムを飲みはじめたことというよりも、抗うつ薬をやめたことでそのような症状がでているのだと思う、とのことだった。


あれは散々だった


幻聴が聞こえるというのは、かなりメンタルにくる。
悩んでる人の気持ちがわかる気がする。

133 うつ病から双極性障害へと診断が変わったときのこと

転院して、双極性障害という診断が出て、3ヶ月が経った。もちろん処方薬も変わった。


それまでは抗うつ薬抗不安薬眠剤をのんでた(ミルタザピン、トリプタノールセルシンフルニトラゼパム)。


でも、これらは気分に効いて落ち着いてきたかと思うと、再び落ち込みや焦燥感でいっぱいになる、というサイクルを繰り返し、薬の量はどんどん増えていった。


薬が増えるたび、主治医に対して、本当にその種類の薬が必要か、その量が必要か、確認した。
薬を飲んでも飲まなくても、落ち込む時は落ち込むし、元気な時は元気だと伝えたが、薬が調整されることはなかった。


いつも、薬については「この方が楽になれると思うよ」


当時の主治医は優しい人だった。前回の診察以降どんな風に過ごしたか、いつも細かく聞いて、メモを取りながら「うんうん、」とよく話を聞いてくれた。「それは辛かったね」「それはよかったね」
必ず言うことは「焦っちゃダメだからね、ゆっくりね、」
私はこの人が好きだったけど、かなり年配の人だった。


転院して、新しい主治医に「気分に波があり、振り回されていて困っている」と伝えた。すると、すぐに「鬱ではなく双極性」と思ったようで、他に思い当たることを質問してきた。私の診断は容易なものだったのだと思う。若い先生だった。


私がそれまで飲んでいた抗うつ薬というものは、双極性障害の人が飲むと躁鬱の波を乱してしまうことがあると、教えてもらった。私も飲んでいた三冠系とよばれる古いタイプの抗うつ薬は、特に激しく波を乱してしまう事があるようだった。


「双極性のお薬に、変えましょう」
「リチウムというお薬が、気分の波を抑えてくれる」


電池かよ、と思った。笑
珍しいのかもしれないけれど、私の双極性障害としての投薬は、リチウム200mgという低容量でスタートした。
しばらくはリチウム200mgと、デエビゴという新薬の眠剤で過ごした。
リチウムは、飲んだからといって特に気分の変化を感じることはなかった。
デエビゴは、初めて飲んだ日は気を失うように寝た。以前飲んでいたことがある眠剤でベルソムラというものがあった。デエビゴは、その進化版だと薬剤師さんに教えてもらった。


診察の時に、
「リチウムは増えますか?」と聞いたところ、
「必要があれば増えることもあるけれど、効果があれば、基本はこのままでいきましょう」
とのことだった。

ただ、エビリファイという向精神薬が、これまた低容量にて服薬になった。0.5mg。
私が気分が落ち込む時のきっかけとして「フラッシュバック」があると指摘されたから。
誰かと会話している時や、テレビを見ているときなどに、昔の「怖い何か」が突然に蘇るような感覚になることが頻繁にあり、そのようなことをきっかけに落ち込む、と言う話をしたところ「それはフラッシュバックしていますね」とのことだった。


エビリファイ0.5mgも、飲んだからといってすぐ気分が変わることはなかったです。ただ、後から気がつくと、会話やテレビなどで「ハッ」として「怖い何か」が思い出されることは明らかに減っていて。しんどい思いはほとんどしなくなっていました。


フラッシュバックって、本当にあるんだ…
しかも薬で消えてるし…
不思議な感じでした。


しばらくたって、彼とのやりとりの中でとてつもなくイラつくことが一度あって、そうなるとおかしくなってきて、酷くしんどい思いをしました。その時リチウムを増やしましょうと言われて、200から400に変わりました。
その後激しい怒りはありません。


あとは、抗不安薬ロキソニンについて、ネットでは飲まない方がいいと書いてあるのをみたことがありますが、主治医によると飲んでも構わないとのことでした。リチウムが、少ないし、まだ大丈夫だと。
ちなみに、血液検査してません。容量少ないから大丈夫だそうです。






双極性障害の診断が出てから3ヶ月


最終的に、
リチウム400mg
エビリファイ0.5mg

頓服
デエビゴ
セルシン
ロキソニン(頭痛時)


こんな感じで処方薬は落ち着きました。
これと同時に生活も落ち着いています。


初めの頃は、主治医いわく「低め安定」な精神状態だったようで、時の如くどちらかと言えば低め(うつ気味)な状態で、気分の波がおさまり、そこで安定してしまっていました。


リチウムが400になった頃から、フラットな状態(普通の気分)で過ごせているように思います。


私の気分は基本、普通か鬱状態で、躁の時はほとんどないです。でも、今はフラットで過ごせているので、このまま過ごせるなら、辛くないなと思います。