49🌑「このハゲー!」「ちがうだろー!」豊田真由子議員うちの母にクリソツ事件
本日昼間、衝撃音声としてワイドショーに取り上げられていた、豊田真由子 衆議院議員(42)の、男性秘書(55)に対する暴言。暴力も同時に起きていることが伝わる内容。
さらに、運転中の秘書を罵りながら、顔面や頭をなんどもグーで殴るという……。
恐ろしい女性です。
なんて良く似ているんでしょう、
私の母に!!
笑
◆録音された音声
豊田議員が男性秘書を罵った時の音声の書き出し(一部)↓
豊田議員=豊
秘書=秘
豊『違うだろー!』ボコ!ボコ!(叩く音)
秘『(略)運転中でもあるので…』
ーー
秘『あ、、すいません、あの叩くのは申し訳…』
豊『お前は、どんだけ私の心を叩いてる?! お前は、どんだけ私の心を叩いてる?!』
秘『はい、その痛みは、、もう』
豊『分かってないよ!』ボコ!ボコ!
秘『いや、叩くのはすいません…』
豊『お前はどんだけ私の心を叩いてる
(略)
これ以上、私の評判をさげるな!
私の心を傷つけるな!
これ以上私の支持者を怒らせるな!
お前が叩かれるよりよっぽど痛いよ!
叩いていいよ、私のこと!
よっぽどその方が楽だよ!
叩かれる方がよっぽど楽だよ!
叩いていいよ私のこと
だから頼むから!
支持者を怒らせるな!!
お前は頭がおかしいよ!!』
田中真紀子氏みたいな声してる〜
◆まるで私の母だああああ。笑
ワイドショーでこの音声を聞いていて、私はこの人も毒親なんだろうな〜って思いました。二人のお子さんをお持ちだそうです。暗い気持ちになりました。泣笑
言い回しがあまりにも似てて、子ども時代がフラッシュバックする!
「お前はどんだけ私を怒らせれば気が済むんだ」「頼むからこれ以上私を怒らせるな」「違うだろ!」などというのは母の言葉。相手を(私を)言い負かしたい、自分を守りたいというヒステリックでキンキン響く怒鳴り声。
母はよく
「バカだね」
「ブス」
「ロクでもない」
「ろくすっぽ出来ない」
などと言いながら罵声を浴びせました。殴られたり蹴られたりつねられたり。
豊田議員がブチギレながら平手やグーで殴ったり、つねったりするところも同じ。しょっちゅうやられてました。
毒人間は、相手のミスを何が何でも許さない。その後のミスの始末は暴力暴言に加えて様々なペナルティーつきで賠償させられます。
◆「頼むから◯◯してくれ」
「頼むから◯◯」という言い方。私の大嫌いな言い回しです。フラッシュバックする。
私には自己防衛、擁護の言葉に聞こえます。暗に「私はもう精一杯なんです、あんたが◯◯するせいで、私は耐えなきゃいけいのが、辛いんです! なんで私が耐えなきゃいけないんですか? もうこれ以上傷つけないで! 全てはあんたのせい!」と、あたかも自分は被害者だみたいな意味にしか聞こえません。
◆怪我で被害届
この男性秘書は顔面や頭、腕などに外傷が残っているようで、目の横(眼鏡のツルのところ?)が今でも痛みが残っている、とのこと。かわいそうに。
被害届を提出するそうです。そりゃそうだわ。怪我を負ったんだからなあ。豊田議員と男性秘書と、議員の支援者の3人で話をしたとき、支援者によれば男性秘書は豊田議員を罵ったり人格を否定したりすることなく、感情論で話すこともなかったそう。立派だ……。
私の性格ならヒステリックにやり返すだろうな〜。相手の社会的地位を貶めることが目標になってとことん弾糾するでしょう。笑
私の中身も議員側ってことだ。。
◆立派なDV
豊田議員の元からは、今までに100人もの秘書が逃げ出したなんて話があるそうです。笑
そりゃ逃げますよね、
・罵られる
・精神的に抑圧される
・平手、拳で怪我を負うほど殴られる
・痣が残るほどつねられる
これはDVですよね。
これを運転中いっぺんにやられるような状況。そりゃ逃げ出しますよね。
「精神的に抑圧される」
というのは様々な形です。毒人間は、「お前が悪い!」と一切の猶予もなく責め立てることに加えて、脅しをかけてきます。
男性秘書は娘さんがいるそうですが「お前の娘にも危害が及ぶぞ」などという文言も残しています。
◆母親が変
この人は毒親だろうなと感じたと同時に、この人の親もちょっとおかしい人なんだろうなと勝手に想像してました。多分当たってます。
何だったかよくわかりませんでしたが、親は立ち入れない席に豊田議員が母親同伴で訪れ、断られると豊田議員は激昂して怒鳴り散らしたそうです。
普段から気性が荒く強い口調が目立つ人だそうで、ワイドショーではその「怒鳴り散らした」ところに焦点を当てていましたが、「母親同伴」の点も十分おかしいですよね。やっぱり母親もおかしいよ。
◆毒親に育てられた子ども2パターン
はぁ、やだやだ。なんでこうなる事例が多いんでしょうね、親子関係って。毒親の要望に対して、子どもの実力がついていける場合とそうでない場合において、子どもの将来は二つに分かれると感じます。
一つ目、子どもの実力がついていけた場合。
実力主義の完全主義者となり、深層心理部分に周囲をバカにした発想や言動が目立つ。他人のミスを許さず酷く責め立てたり反発心を募らせる。友達できにくいタイプ。ちなみに私これ。笑
二つ目、子どもの実力が伴わなかった場合。
他人の顔色を見てばかりで大人しく従順な人間になり、よく言えば平和主義・協調的で悪く言えば意思がない。他人に利用されるタイプ。
この二つのタイプはかけ離れているように感じますか、どちらも自尊心・自己肯定感がなくありのままの自分を嫌います。
◆終わりに
はあー、やだやだ。なんでこういう親がいるんだろ。だから連鎖が続く。受け継ぐ奴も気づかなきゃね。それが不可抗力でも自分の人生だから…。
別に、理想的な家庭、理想的な親子関係を盲信しているわけではないです。どこんチだって、色々ある。
でもね、思うんですよ。自分をありのまま出せない苦しさばかりを、わざわざ味わうための人生なんて、歩む必要ないでしょ……。
だけどさ、正直、分かるんだよね…
豊田議員が激昂してるときの感覚…、。
もう、なんて言うか、こみ上げて抑えきれないんだよね。マンホールがすごい水圧で噴水になったみたいな…、。抑制するのは無理。イカれてるよね、私。
豊田真由子衆議院議員の暴力暴言 事件で、また一つ悲しい家庭をみたな…
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48🌑蛙の子は蛙。毒親の子は毒親。
私の親は「毒親」というやつだが、そのまた親も「毒親」だ。今日改めて実感した。信じられないことを言うのだ。
私の家は母の実家。祖母と母と弟と私の4人。毒親から逃れたくてもがいている最中です。私は母と家で居合わせると顔を合わせていなくても体調が悪くなります笑。声が聞こえるので。
いつもなら夕方ごろ仕事から帰る母ですが、今日は休みで遊びにでも出かけているらしく、帰りませんでしたので、私は居間に出て祖母と夕飯を食べました。居間でこの時間に夕飯を食べるのはいつぶりか分かりません。穏やかに過ごせました(のはずでした)。
うちの夕飯は祖母の生活サイクルによって18時ごろ。早めです。
夕方のニュース番組を見ながら食事を摂っていました。藤井四段の素晴らしい快挙を祝う記者会見に続き、話題は西日本に多大なる被害をもたらした大雨に。そこで悲しいニュースが…。
「早朝に新聞配達にでた妻(67歳と言っていたかな)が戻らない」という通報を受けていた大阪府警、阪南港にて女性の遺体を発見。通報・捜索されていた妻だったと。地域では午前5時から6時ごろが大雨のピークであったが、女性は氾濫した川に誤って転落したとみて捜査中、とのこと。
かわいそうに。私からみた67歳はとてもご年配といった感じだが、実際なってみるとどうなんだろう。その方は自転車で新聞配達に出ていたそうだ。
一緒にニュースをみていた祖母が、そこで一言。
「それじゃ新聞が届かねぇでなぁ。。」
……え?? そっち??
このおばあさん、亡くなってるんですよ……
新聞が来ないところに着目することはあると思う。だけど、そこだけ??
祖母は特になんの感情もなく言っている。
祖母がこんな人間なんだ。母の頭が狂ったのは自然な成り行きなのだろうな。蛙の子は蛙、毒親の子は毒親。
じゃ、私は? 弟は??
……複雑な心境になった。
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47📙洗濯したTシャツの胴体部分がねじれる人
Tシャツを洗って干して取り込んで、いざたたむ! ってとき、胴体部分が捻れていて縫い目の通りにまっすぐ畳めないんだよな〜って思ってる人、いませんか?
肩の縫い目に合わせると胴体が捻れてるし、胴体の縫い目に合わせると袖が捻れるし…
その理由、ズバリ!
あなたの身体が歪んでいるのです!!
嘘です。すいません。あなたの身体は関係ありません。
Tシャツが、着る回数や洗濯を重ねるうちに捻れてしまうのは、着ている人の身体が捻れているわけでも、洗濯の仕方が悪いわけでもありません。
そもそもTシャツは捻れている
のです。
Tシャツの柔らかな素材は「メリヤス編み」という編み方で生地が作られています。編み物をする方ならご存知だと思いますが、メリヤス編みは1本の糸だけを使って生地を作ることができます。子どものおもちゃで編み物ができる円筒状のものがありますが見たことありますでしょうか。毛糸でマフラーを編んだりできます。手でもできますが。
日本のはた織、織物は、縦糸と横糸を交互に織り合わせて、2本の糸が組み合わされて織られていきます(実際には縦横それぞれ何本も使いますよね)。
メリヤス編みはというと、一本の糸に何個も目を作り、その目に続けて引っ掛けて編んでいきます。
引っ掛けていく工程で、どうしても引っ張られたり歪みが出たりしてしまいます。そうしたメリヤス編みで作られた生地をカットしてTシャツなどに仕上げた衣服は、元から捻れて歪んでいるのです。
売られている時点で真っ直ぐなのは、作られた時点でアイロンなどをかけて真っ直ぐに仕立てているからです。
以上、Tシャツが曲がっている人は身体が歪んでいるわけではないよ、というお話でした。
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46🌸実によい睡眠をとっている
最近は眠れます。
昼間に。
夜全然眠れない…
最近ぶり返してる気がする
うつが。
あんなにやる気だった職探しも今では…
「死にたいさん」は、毎日は遊びに来てないけど、常に私の視界には入ってる…
この感覚は初めてだ…。
多分、これは繰り返すんじゃないかって感じる。やる気が出たり、沈んだりする。それが切り替わるきっかけは、おそらくほぼない。
私は、精神疾患持ちの診断はされたくない。
病院には行かない。
そういえば最近、本を読んでない。読んでも内容が入ってこない。
朝の日光も浴びてもない。そもそも朝日が昇る頃にやっと眠りにつくから。
またアレルギー出てる。多分寝てないから。耳が痒くて起きる。耳が痒い夢を見ながら起きる。ウケるんですけど。
昼前に目が覚めて、何か食べたりスマホ眺めたりして、眠くなって寝る。
日中は寝てるか沈んでる。夜中になると、少々の活力が湧く。5分ほど先のコンビニくらいなら行けることもある。
友達とは会わないどころかなんの連絡も取らない。連絡取る気も特段湧かない。連絡しても沈んだ言葉しか出てこないだろうと思うとなおのこと。
ところで、誰だろう。連日訪れる人は。
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45⭐️流れ星見えたっ!!
6/16 2:18
東の空に明るい流れ星が見えました( ´ ▽ ` )
高い位置から地平線の方角へ、
シューーーーっと!
久しぶりに見たなぁ☆彡
にしても今日は
こんなに月が明るくて
曇り空満々なのに
あんなに明るい流れ星なんて!
すごいっっ(((o(*゚▽゚*)o)))♡
流星群??
いま流星群が来てるのかな?
なんて思って調べてみました。
今年の6月には下旬(27日)に「うしかい座流星群」がやってくるそうです。
でもピークは18時ごろとのことなので観測には適してないんだとか。
6月の流れ星はラッキー☆
うしかい座流星群じゃないと言うことは、さっき見えた流れ星は単体でやって来たやつってこと。うしかい座流星群はまだまだ11日も先のことなので。
やった!
めっちゃラッキーやん(*⁰▿⁰*)!!
しかも、6月という梅雨時は曇り空が多くてあんまり見えないですよね、流れ星。
ってかそもそも星空が観測できる日自体が少ないし。
めっちゃラッキーやん(*⁰▿⁰*)!!
しかもあんなに大きい明るいやつ〜
いいことあるといいな〜♪(´ε` )
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44📙泣くと頭痛がする人
泣くと頭痛がするのは私だけでしょうか?
今日はDVDを観て泣きました。
「エイプリルフール」という映画をご存知でしょうか。
色々感動で心動かされて泣きましたー。
親子の愛
夫婦の愛
心の不安定さ
お人好しに
特殊能力に
UFO。笑
ハチャメチャなようで何かふわっと包まれるようなお話でしたけどメッチャ泣けちゃいました。芋けんぴ食べようかな。松坂桃李かっこいいな。ところで頭痛いな。
◆泣くと頭が痛くなる
私は泣くと頭が痛くなることがあります。
感動映画で泣いたとき。
誰かと喧嘩して泣いたとき。
誰かの温かい言葉が嬉しくて泣いたとき。
自分の不甲斐なさがくるしくて泣いたとき。
泣いた時に頭が痛くなるのは『泣き頭痛』と言うそうです。体の中の水分量が減って脱水症状気味になっているため起こるんだとか。
脱水起こすほど泣いてませんけどね。
いや、泣いたんですかね。笑
この場合は水分補給をすることと、体の緊張をほぐしてリラックスすることが頭痛を落ち着かせるのに効果的だそうです。
◆吐き気やめまいが伴う場合
もし、泣いた時に吐き気やめまいが伴う人は、うつの可能性があるんだとか。
!!
まじか。
うつの時はストレスホルモンが出やすく溜まりやすい状態のため、強く作用して頭痛に加えて吐き気やめまいが伴うことがあるそうです。
気になる人は心の状態をチェックしておいたほうがよさそうです。
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43🌸本当に好きか、ただの依存かわからないとき
人間誰しも、自己愛がある。
誰かを愛することは、相手がいなければできないように思う。
誰かに依存することも、相手がいなければできないように思えるが、実は一人でやっているものだと思う。
アルコール依存にしても、回避依存にしても、更には恋愛依存や共依存までもが、一人でやっていると思うのだ。
アルコール依存においては一見、納得しやすいかもしれない。対象が人ではないからだ。例えが薬物依存でもいい。アルコール(や、薬物)と当人を「2人」という見方はあまりしないだろう。そうなれば、「一人でやっている」という考えは分かりやすい。また、回避依存においては、「親密になることを避ける」ことをする依存であるから、これもまた一人でやっているというのは何となく受け入れられるだろう。
では、恋愛依存や共依存が一人でやっている、というのはどう思うだろうか。どちらも人間相手ありきな依存に思えるだろう。しかし私には、それは一人でやっている「独り相撲」にしか見えないのだ。
恋愛依存者は、常に恋愛をしている。恋人を切らすことがない。恋人を切らさないということは、少なからず「モテる」人なのだろう。しかし、その「モテ」は種類を選ばない。その人自身が積み上げてきた人間性のみをもってしてモテているわけではなかろう。
容姿はどうだろうか。清楚にしても、大胆な露出が多いにしても、異性が寄ってくれば「モテ」はある意味成立するだろう。
はたまた翻弄する、できるという「知能」はどうだろう。色気ある熟女キャバ嬢なんて記事を読んだ。バツイチのアラフォーで決っして店のナンバーワンではなく派手な存在でもないが、確実に一定の客を保っている。彼女は年齢的にも結婚について客から聞かれることがあるそうだが「バツイチなの」とは言わないらしい。「一度結婚をしたのだけれど、旦那がDVで離婚したの…。だから今も男の人は少し苦手」と返答する。すると客は、「放って置けない」と彼女の元へ通うようになるのだとか。これは商売の話だが、プライベートでも十分使える手だ。
あの手この手を駆使する。容姿も知能も年齢も体型も、術を知っている人間にとっては「モテ」を手に入れる武器になる。そうやって恋人を切らさない。
その傍若無人な「モテ」は、本人が意識している場合と無意識下の場合がある。前者は悪女に見えるが後者はむしろ天使にさえ見えることもあるだろう。しかし顕在意識であるかどうかという問題なだけで、元は同じである。
共依存者はどうだろう。それこそ一人ではできないように思われないか。共依存の特徴は、相手に尽くすことである。保護者のように身の回りのことや金銭についてまでもあれこれ手を焼いてやり、「この人の理解者は自分だけだ」と思いせっせと尽くす。時には「これは間違っているのでは」「愛されていない気がする」などと思いながらも限りを尽くす。到底「一人でやっている」ことには見えないだろう。
しかし考えてみれば、共依存に関しては、その全てが相手のためになっているだろうか。何でも世話を焼いて、相手は自立できるだろうか。しかも、それほどまでに世話を焼いてもらうことを、相手は望んでいるだろうか。もしかすると、それは「押し付け」になってはいないだろうか。「あの人にはこうしてあげた方がいい」「2人でうまく生活していくために」「この方が相手のためだ」とせっせと世話を焼いて、相手は本当にそれを望んでいるだろうか。
親子の共依存で例えれば分かりやすい。過保護な親を、子はどう思うだろうか。幼い頃はいいだろう。愛に満ち溢れたような空間であろう。それが大人になったらどうか。子どもが自身の自我に気づいてしまった後は、窮屈以外の何でもないのではないか。「押し付け」になっていないだろうか。
これが、恋愛関係の共依存となると、また少し話の幅が変わってくる。
例えば「世話焼きの彼女」と「自立型の彼氏」というケースなら、「俺が望んでるのは母ちゃんじゃない……」となるかもしれない。別れも近いだろう。これは親子の共依存と似ている。
では「依存者(アルコールやDV)の彼氏」と「共依存の彼女」というケースならどうか。これは、『鍵と鍵穴』と呼ばれるケースである。先ほどの噛み合わないカップルと違い、むしろとてつもなく惹かれ合う。依存者と共依存者は、自身の「自己愛」を認識するのにこの上なくぴったりな人間同士なのだ。
ここで、先ほどの恋愛依存に戻ろう。恋愛依存者は恋人を絶やさないと書いた。ではなぜ、そもそも恋人がそんなにも必要なのか。「さみしいから。」簡単な答えが出るだろう。しかしそれだけではない。恋人の存在でがあることで「自分を認識できる」という一種の快感とも取れる心の安定を求めているのだ。恋愛依存ではなくアルコール依存、薬物依存はそれこそ分かりやすく「快感」や「心身の安定」を得ているであろうが、恋愛依存者はその快感を恋人によって得ている。「恋人がいる自分」「モテる自分」「恋人に愛されている自分」そんなようなものを、ひと時も逃すことなく感じていたいのだ。
「感じていたい」というのは少し違うかもしれない。おそらく当人の深層心理としては「感じていなければ苦しい、辛い」そんな感覚なのではないか。辛く苦しい事態を避けるために、常に恋人の存在が必要なのである。不思議に思うかもしれないがこれは、悪女のみならず天使にしても同じなのだ。顕在意識があるかないかと言うだけで、深層心理は同じなのだ。
アルコール依存やDVをはたらく男はどちらも「依存者」である(アルコール依存にしてもDVにしても男女は関係ないがここでは例えばの話である)。依存者の心には、何かの対象に依存することで「自身の存在を確かめたい」という欲求が隠されている。もちろん当人は「欲求」という認識はしていないことも多いだろう。初めからわかっていたら正攻法でいくと思う。自らのそんな欲求に気が付いていないからこそ、よく分からなくて、ひっ絡まって、もがいた挙句に辿り着いた先がアルコールや暴力なのだろう。おそらくそれまでの人生で「自分の存在を認めてくれる」人に巡り会えなかったのだろう。あるいは、一番認めてほしかった相手に、認めてもらえなかったのだろう。まあ、かわいそうな人だ(断っておくが薬物依存やDVなど、犯罪行為そのものを擁護する気は一切ない)。
ここまでくると、見えてくるだろうか。
恋愛依存は「依存者」の類に入る。恋愛依存者は自分の満たされない深層心理の部分を無意識下に満たしたいがために、恋人を、得る。
また、共依存者も同じくして、人に尽くすことで自分の存在意義を獲得できる。心を傷つけられても、怪我を負わされても、人に尽くさなくては生きている心地が味わえないのだ。
恋愛依存も共依存もまるで相手ありきのようだが、全く違う。全ては自分の奥深くに根付く、欲求を満たすための行動に過ぎないのである。
前振りが長過ぎたが、本題である。
「本当に好きか、ただの依存か」
前振りからの理論で言えば簡単なことである。本当に好きならば、相手を尊重できる。相手を思いやることができる。それは「押し付け」ではなく、相手が真に望むことをしてやることだ。誰かとともにいれば、価値観の違いは当然生じるだろう。価値観の違いをどう埋めていくかは、鈴木大介さんの言葉を借りればお互いが「お願いする立場」なのだ。お願いなどと言うと一見意思が弱そうな人間に感じられるがそれは違う。相手を尊重するからこそであり、それが分からないうちは自己の欲求のためにしか動けていない。つまり、本当の愛情ではないのだ。ただの自分勝手か、押し付けなのだ。
「本当の愛情ではない」それは依存者の内部とも重なる。もちろん、本当の愛情ではないのに恋人がいる人の全てが「依存」なわけではない。がしかし、自分の中に「自分は本当に恋人を好きなのだろうか、もしかすると依存しているだけなのではないか」と自身に思うところがあるならば、一度考えてみると見えてくるのではないだろうか。
本当に好きか、ただの依存か……。
人間誰しも、少なからず誰かに何らかの形で依存しているものだが、それは人間社会に生きる私たちにおいて必要な依存と、自己愛のための依存が存在しているのだろう。その二つをコントロールできなかったとしても、認識できるようには、なりたいと思う。