適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

135🌞絶望からの出口を見つけた。


リチウムを飲み始めてからどんな感じだったかのメモ。




双極性障害の診断を受けてリチウム200mgが処方されたとき


私の場合、それまで服用していた抗うつ薬の漸減はせず、ほとんどスパッとリチウムに切り替わったため、当初はリチウムの効果よりも抗うつ薬離脱症状が目立った。


でも数ヶ月もすれば、、、
気がつけば、、、


ほんの少しのきっかけで気分が落ち込むと言ったことはなくなり、元気が出るわけではないが安定した精神状態で過ごすことができていた。


それまでは、テレビを見たり、彼と会話をしたり、人の言動を見聞きしたりすることで、それが引き金となって気分がざわつきとんでもなく落ちてしまうことがよくあった。


双極性障害なのに抗うつ薬を飲んでいたことと、
フラッシュバックがあったことが、
私の情緒面に激しく悪影響を与えていたことがわかり、
フラッシュバックにも薬が出て、
ますます調子は楽になった。


リチウムを飲み始めておおよそ3ヶ月、決して楽しいとは言えなくとも、低め安定(鬱気味だが安定)した生活を送ることができていて、私は嬉しくて涙が出るような思いで過ごしていた。


その頃、いつもなら流せるようなことが異常に引っかかり、激しく怒りを覚えると言う出来事があった。


頭に来すぎて、テーブルの上にあるもの全部をそこらじゅうに投げつけた…


そのことを医師に話すと、リチウムが増えて、200mgから400mgになった。


その時のことは忘れない。
400mgになってから、明らかに気分の変化が見られた。


「普通」


気分が「普通」になった。


200mgのときは、「低め安定」だったのが、
400mgになって明らかに「普通安定」に変化した。
おそらく私にはリチウム400mgが適正な容量だったのだと思う。 


それ以来薬が増えることはなく、頓服で出ている眠剤は次第にほとんど使う必要がなくなっていき、抗不安薬においては全く飲まなくなった。


それまで、私はいつだって絶望の淵にいた。
何事も、全てのことは、暗く澱んで見えていた。
いつ、全てを終わりにしようか、、、
そんな考えが常に頭の片隅にあるままに生きていた。


リチウム400mgで私は救われた。


あの悲しい気持ちは、病気のせいだったのだと
改めてよくわかった。
あれが私の真意なら、薬でこんなに変わるなんてことはないはずだから。


あの時、死ななくてよかった。


1人の人に愛されて過ごすかけがえのない日々を
もし私が死んでいたならば
こんな風に噛み締めることはなかった。


数少なくとも大切に思い思われる友人と
楽しく笑って過ごすこともできなかった。


そんな日が来るなんて思いもしなかった。


今では、あの悲しい気持ちで過ごした日々が
嘘のようにさえ感じるようになってきた。


あの時のことは「悲しい気持ち」などという
簡単な言葉では言い表すことはできない。


今を、今生きていることを、ここにいることを、
大切に、噛み締めて、ただ過ごす。
それは、「幸せ」だと、感じる。




絶望の中にいる時、こんな風に思える日が来るだなんて思わなかった。今となっては、生きていてよかったと、ただそれだけを思う。


主治医と、紹介をしてくれたカウンセラーに、感謝している。


そして誰より、いつもそばにいて支えてくれた彼には、心の底からありがとう、と思う。感謝をしてもしきれない。
彼と過ごす毎日は、何にも変えられない。
今になってやっとわかる。病気に目隠しされていた。
これからは、自分のことばかりではなく、彼への感謝の思いと愛情で、2人で過ごしていくのだと心に刻んだ。

134 双極性障害Ⅱ型の治療開始後すぐ、幻聴があった


これは聞いたことがない話だが、、、。
治療をはじめてすぐに幻聴が起こって怯えた時の話。


リチウム200gを飲みはじめてすぐの頃。
リビングでテレビを見ながら観葉植物に水やりをしていた。
静かな夕方だった。


…話し声が聞こえる??


それは、玄関の辺りに誰かが来ていて、子どもたちが笑いながら話をしているような声だった。


うちは無駄に敷地が広く、家はその1番奥にあるので、誰かお客さんが来た時にしか外からの声は聞こえない。
でも人がいる。だれ??
耳を澄ませてみた。やっぱり玄関だと思った。玄関からは四角になる位置の窓を開けて、また耳を澄ませてみると、その声は聞こえなくなってしまった。


と言うことが数日間、何度か続いた。


またある時は、寝ている時に「ねえ、」と声をかけられて起きることがあった。


あれは明け方だった。
うっすらと目が覚めて、朝になったことに気づいたが、まだ眠れそうだったのでそのまま眠ったあとのこと。


「ねえ、」


彼だと思った。何かあって、私を起こしに来たと思った。
二度寝していたので、寝ぼけて、声に驚き飛び起きた。
…誰もいない。
え?
部屋の外に出てみたが、誰もいない。
彼はそもそも仕事に行っていて家にはいなかった。


そんなことが、寝ているとしょっちゅう起きた。
眠りについた頃、真夜中、明け方、、、。


これが毎日繰り返されると、正直頭がおかしくなりそうだった。

「ねえ、」

もうこれ以上は気が触れる!!!
と思いはじめたところで、だんだんこれらの幻聴は減っていって、気がつくと無くなっていた。おおよそ2ヶ月弱ほどの期間だったと思う。


先生によると、リチウムを飲みはじめたことというよりも、抗うつ薬をやめたことでそのような症状がでているのだと思う、とのことだった。


あれは散々だった


幻聴が聞こえるというのは、かなりメンタルにくる。
悩んでる人の気持ちがわかる気がする。

133 うつ病から双極性障害へと診断が変わったときのこと

転院して、双極性障害という診断が出て、3ヶ月が経った。もちろん処方薬も変わった。


それまでは抗うつ薬抗不安薬眠剤をのんでた(ミルタザピン、トリプタノールセルシンフルニトラゼパム)。


でも、これらは気分に効いて落ち着いてきたかと思うと、再び落ち込みや焦燥感でいっぱいになる、というサイクルを繰り返し、薬の量はどんどん増えていった。


薬が増えるたび、主治医に対して、本当にその種類の薬が必要か、その量が必要か、確認した。
薬を飲んでも飲まなくても、落ち込む時は落ち込むし、元気な時は元気だと伝えたが、薬が調整されることはなかった。


いつも、薬については「この方が楽になれると思うよ」


当時の主治医は優しい人だった。前回の診察以降どんな風に過ごしたか、いつも細かく聞いて、メモを取りながら「うんうん、」とよく話を聞いてくれた。「それは辛かったね」「それはよかったね」
必ず言うことは「焦っちゃダメだからね、ゆっくりね、」
私はこの人が好きだったけど、かなり年配の人だった。


転院して、新しい主治医に「気分に波があり、振り回されていて困っている」と伝えた。すると、すぐに「鬱ではなく双極性」と思ったようで、他に思い当たることを質問してきた。私の診断は容易なものだったのだと思う。若い先生だった。


私がそれまで飲んでいた抗うつ薬というものは、双極性障害の人が飲むと躁鬱の波を乱してしまうことがあると、教えてもらった。私も飲んでいた三冠系とよばれる古いタイプの抗うつ薬は、特に激しく波を乱してしまう事があるようだった。


「双極性のお薬に、変えましょう」
「リチウムというお薬が、気分の波を抑えてくれる」


電池かよ、と思った。笑
珍しいのかもしれないけれど、私の双極性障害としての投薬は、リチウム200mgという低容量でスタートした。
しばらくはリチウム200mgと、デエビゴという新薬の眠剤で過ごした。
リチウムは、飲んだからといって特に気分の変化を感じることはなかった。
デエビゴは、初めて飲んだ日は気を失うように寝た。以前飲んでいたことがある眠剤でベルソムラというものがあった。デエビゴは、その進化版だと薬剤師さんに教えてもらった。


診察の時に、
「リチウムは増えますか?」と聞いたところ、
「必要があれば増えることもあるけれど、効果があれば、基本はこのままでいきましょう」
とのことだった。

ただ、エビリファイという向精神薬が、これまた低容量にて服薬になった。0.5mg。
私が気分が落ち込む時のきっかけとして「フラッシュバック」があると指摘されたから。
誰かと会話している時や、テレビを見ているときなどに、昔の「怖い何か」が突然に蘇るような感覚になることが頻繁にあり、そのようなことをきっかけに落ち込む、と言う話をしたところ「それはフラッシュバックしていますね」とのことだった。


エビリファイ0.5mgも、飲んだからといってすぐ気分が変わることはなかったです。ただ、後から気がつくと、会話やテレビなどで「ハッ」として「怖い何か」が思い出されることは明らかに減っていて。しんどい思いはほとんどしなくなっていました。


フラッシュバックって、本当にあるんだ…
しかも薬で消えてるし…
不思議な感じでした。


しばらくたって、彼とのやりとりの中でとてつもなくイラつくことが一度あって、そうなるとおかしくなってきて、酷くしんどい思いをしました。その時リチウムを増やしましょうと言われて、200から400に変わりました。
その後激しい怒りはありません。


あとは、抗不安薬ロキソニンについて、ネットでは飲まない方がいいと書いてあるのをみたことがありますが、主治医によると飲んでも構わないとのことでした。リチウムが、少ないし、まだ大丈夫だと。
ちなみに、血液検査してません。容量少ないから大丈夫だそうです。






双極性障害の診断が出てから3ヶ月


最終的に、
リチウム400mg
エビリファイ0.5mg

頓服
デエビゴ
セルシン
ロキソニン(頭痛時)


こんな感じで処方薬は落ち着きました。
これと同時に生活も落ち着いています。


初めの頃は、主治医いわく「低め安定」な精神状態だったようで、時の如くどちらかと言えば低め(うつ気味)な状態で、気分の波がおさまり、そこで安定してしまっていました。


リチウムが400になった頃から、フラットな状態(普通の気分)で過ごせているように思います。


私の気分は基本、普通か鬱状態で、躁の時はほとんどないです。でも、今はフラットで過ごせているので、このまま過ごせるなら、辛くないなと思います。

132鬱だと思ってたら双極性障害だった


今年、令和3年。
初ブログ。
またしばらくあいてしまったなあ。
でも、前述の通りこのブログは、のちの私のためのメモであり、それがたまたま誰かの目に留まって何か感じるものがあるとしたら、ここに書く意味もあるかなと思ったから。
では、書く。メモ。






先日、思い切って病院を変えてみたら、双極性障害の診断が出た。

今回はその診断がついた時のことを書こうと思う。


再発時、「適応障害
半年後、「不安障害」
半年後、「うつ病
半年後、「双極性障害」←現在

私の診断の変遷はこんな感じ


大体半年おきに転院した。
今やっと、着地したような、そんな気がする。







今までずっと、気分に波があるとは思ってた。
今の先生は、私が
「波に振り回されて困っている」
と話したことや、今までの事柄をきき、それに対して
「んー、何から説明しようかな。」
そう言って、大うつ病性障害と双極性障害の違いをとても丁寧に説明した。


説明を聞きながら、身に覚えのあることが多くて、やっとわかってもらえた、と感じて涙が出た。同時にその涙は、ショックを受けて絶望的に思えた気持ちも含んでいた。









双極性障害について(ちなみに私はⅡ型)、気にはなっていたけど、当てはまる様な当てはまらない様な、調べる限り自分では、よく分からないというのが本当のところだった。


先生は
双極性障害は遺伝的な要素が強い」
そう話した上で、
「ご両親のどちらかに同じように気分の波がある人はいませんでしたか」
と聞いてきた。


私は考えたが、よく分からなかった。


すると先生は質問の仕方を変えた。
「では、同じことをしても、その時によって反応が違う人はいませんでしたか」


これには、「母だ」と迷わず感じた。


このとき、思ったことがある。


双極性障害とは、単に気分がいい、悪い、と言った上下の波だけではなく、その時々によって態度が変わるような、左右の波も含まれているのか、と。
そして、それが双極性障害の波であるならば私の母はその波を持っているし、ならば今の私の病気は、「生まれつき」ということになる、と思った。


誤った認識であるが、
それは私にとってひどいショックだった。


このブログを始めたとき、私は「たくさん認知の歪みを持ってこじれた人」なのだろうと思った。そして家庭環境を考えると、「アダルトチルドレン」なのだろうと思った。だからそういうタイトルにした。


だけど、先生の話を聞く限り、私は生まれつき双極性障害の要素を持っていて、そこに環境要素が加わって、発症したということだろう。


私はそれまで、アダルトチルドレンであることの原因は一心に母であり、全て母のせいだと思うようにしたり、
母もそのような環境で育ったのだろうから仕方がないし母も可哀想な人だと思うようにすることで、おそらく自分を保っていた。


でも、私が元々生まれ持ったものが顕在化したのならば、
「やはり私がおかしいんだな」
そう思った。
その涙は、先生が私を理解してくれると感じた嬉しさの涙に混じって、一緒に出てきた。
 

複雑だった。 







診断を受けたその日は、処方された新しい薬と「神田橋語録」なるものを受け取り、あとは、ただただショックからか、ソワソワして落ち着かなかったし、食欲も出なかった。


次の日、朝から絶望感でいっぱいだった。
幻聴が聞こえるようになった。


……疲れてきたから、またこんど書こうと思う。

131 うつの私の心境

うつ病が再発して、1年半が経った。


この一年半、ずっと気分の波が勝手に繰り返されて、死のうと思ったり、生き続けるための理由を探したり、疲れた。


私は元気なときと全然ダメな時とを繰り返してる。
周りにもそう説明しているから、そう思われてる。


でも、本当は、元気な時なんてほとんどない。
私は突然、悲観的になったり、突然、から元気になったりして、勝手に上下する気分の波に振り回されてるだけ。
それと、
元気に見せるための力が、少しあるとき、明るく振る舞ってるだけ。


なぜ元気に見せようとするかと言えば、、、
なぜだろう。


そうだな、一つは、罪悪感かな。
何もできない私は、何もかも世話をされて生活していることへの、罪悪感かな。少しくらい力を出せるなら、あれをしなくちゃ、これをしなくちゃ、普段やってもらってるんだから、、、そう思う。


それから、同棲してる彼に、前、こう言われた。
「先が見えない」


見捨てられるんだろうかと思う気持ちも、自身を元気に見せようとする理由の一つかな、


何度、この家を出ようと思ったことか。
今もそうだし。






最近、なるべく明るく振る舞うようにしてた。
そういう時、彼は、すかさずSEXしたがる。
普段、全然しない。
私は彼のことを好きに決まってるけど、何故か、私そんな気持ちになれない。


前、無理矢理、自分を奮い立たせて、SEXした。
彼は、終わった後に、
「ありがとうね」
こう言った。


なんか虚しかった。
私には、以前のような、、、それをした時のよろこびを感じないままに、「彼のために」と思ってしたから。
だから終わった後も、ひたすら虚しかった。







私は、うつ病になってから、色々と過敏で、
例えば眠る時、彼が隣にいると眠れない。
少しでも掛布が動いたり、少しでも腕が触れたりするだけで、もう眠れない。
眠剤なんか、すぐに慣れちゃってだめ。


だから、違う部屋で寝てるし、普段からその違う部屋にほとんど引きこもってる。


彼は声もかけずに入ってくるから、正直気分が休まらなくて、困ってて、ノックくらいして欲しいと頼んだけど、すぐに忘れるし、張り紙をしてみても、無視する。


昨日の夜、おやすみを言ったあと部屋で横になっていたら、また無言で入ってきた。


私は、一言声かけてよと言おうと思った。
でも彼の方が先に口を開いて、
「なんか寂しくて…」
と言った。


申し訳なくて、私は涙が止まらなかった。


彼からすれば、「勝手」なのはもちろん私の方で、、、


彼からすれば、私はとんでもなく気分屋で、わがままで、自分勝手で、、、私に振り回されてる。
多分そう。


こんな風にしか生きられないのなら、早く死ねばいいのに、私。


私はまだ、鬱がもたらすメンタルへの影響に、うまく付き合えてない。


負の感情は、鬱になる前なら、その瞬間悲しみや怒りとなって表れても、流すことができた。


でもうつ病になってからの私は、その負の感情にすっかり飲み込まれてしまって、脱することができなくなる。


負の感情は、私に「死にたい」と思わせる。
そういう時、頑張って振り解こうとしても、無理。
誰に何を言われても無理。


前、「死にたい気持ちと向き合わないと死ぬ」って記事を書いたけど、、、


今は、、、
多分今の私は、向き合ったら、本当に死ぬような気がする。「死にたいさん」に飲み込まれて。、、





私がもし、「今私はこうしたい」「こうして欲しい」
そう言えたらなぁ。


私にはそれさえ分からなくて、、、
うつ病になってから、分からなくなった。
自分の気持ちが。
分からないことを、自分で自覚できないことを、言葉にするなんてできないでしょ、
だから、周りに理解されないのは当然で、
理解されないから関係がチグハグになるのも当然で、
それは、とてもつらくて、、、






もう少し、


もう少しでいいから、
楽になりたいよ。


その方法を知りたい。、、












そうだ。、
そうだ、思い出した。
彼は昨晩こうも言ってた。
「あなたが元気になってくると、かわいくて、つい我慢てきなくなる」
そうだ、忘れてた。いつだってそうだった。演じてない私は、愛されない。いつだってそうだった。忘れてた。なんて馬鹿な。ずっとそうだったのに。そのままの私にはやっぱり、価値なんてない。ずっと分かってたことを、忘れてた。馬鹿だ。

129 オジギソウのつぼみ


今年の梅雨ごろに買ったオジギソウが、
今ごろ、つぼみをつけた

オジギソウの花は、7月頃に咲くと聞いていたが、
10月も終わろうというころに、つぼみが。

オジギソウにどんな花がつくのか、よく知らない。




毎日、1人じゃないのに孤独感でいっぱいの私は
いつもいつ死のうかと考えてる。

でも、とりあえず、この子たちが咲くまでは、
生きていようと思う。


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