適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

53🌑母が私にした虐待

過去の記事にも話の流れで書いていて、重複するものもありますが、パッと思い出せる限りまとめて書きます。

◆身体的、精神的虐待、他。

物心ついた時には既に虐待はあって、小学校3年生くらいまで毎日でした。3年生以降は、父がギャンブルで作った借金の返済と生活費の補填のため、母が夕方から午前3時くらいまで、ファミレスのパートに出るようになり家を空けたので、接触する時間が減り、物理的に虐待は少し減りました。

虐待の理由は、学校のテストで100点が取れなかっただとか、片付けがきちんとできなかっただとか、ご飯を食べるのが遅いだとかいう、母の基準に満たなかったということです。

●平手で叩く
●拳で殴る
●みさえのグリグリゲンコツ
●「叩く方も痛いんだよ、叩かせるな」などと、とよまゆ的発言で抑圧し謝らせる
●肩やみぞおちのあたり、蹴り飛ばされる
●家の外に締め出される(父にはバレないように父の帰宅時間前には家に上がらせる)
●たまたま早く帰宅した父が締め出されている私を目撃し母に「あんなことするな!」と叱りつけると翌日から「あんたのせいで私がおこられたじゃないのよ」と言って今度は二階のベランダに締め出される
●ベランダにて尿意を訴えるとミニトマトの空き容器を持ってきて「はい、これにすれば?笑」
●つねられる(親指の爪が全部剥がれるほど強くつねられたことも)
●勉強でわからないところがあると「なんでこんな事もわからないのよ」と、目の前で削り尖らせた鉛筆を何度も手の甲に刺す
●リモコンの角で頭を殴る
●「ばかな子」
●「ブス」
●「ろくすっぽできない子」
●「どうしてこんな事もできないの」
●「信じらんない」
●「あんたみたいな馬鹿な子産んだ覚えはない」
●「こんなにバカな子に育てた覚えはない」
●殴られるのを両腕で庇おうとすると「手が邪魔だ!どけろ!」従わないともっとひどい目にあうので従うと「本当にどけるんだ!笑 ばかだね!笑」 バシ!!
●幼稚園のころ、かけ算九九が言えないといつまでも湯船から出してもらえなかった
●洗ってもらった洗濯物を自分で畳んで片付けなかったという理由で全部ゴミ箱に捨てられた。学用品や玩具も捨てる
●小学6年生の時、運動会の徒競走で初めて1等が取れなかったとき母に「なによあれー。遅かった〜。1番じゃないとかありえないー。」と言われ祖母には「つまんねえな」と言われる。父には「頑張った気持ちと頑張った過程が大事なんだ」と励まされた。
悪いけど母や祖母より私はよっぽど身体能力も学力も上なんだけど。
●小学校4年の時、突如、夜尿症になった(虐待による影響以外、理由は思い当たることはないが、当時はなぜ急にお漏らしするようになったのか見当もつかず、とても傷ついていた)。仲良しの友達が家に遊びにきたときに「この子ね〜、もう4年生なのに未だにお漏らしするんだよ! ね〜! ハズカシイ〜! そう思うでしょ? 普通しないわよね〜笑」と友達に言う
●他にもテレビのクイズ番組の簡単な常識問題がわからない(知らない)などと、小学生相手に馬鹿にして、友達や友達のお母さんたちに私の目の前で言いふらすのが趣味みたいに好き好んでやっていた。その影響で友達は私を馬鹿にすることもれば(お漏らしのことなど)、勉強に関する罵りであれば「あなたのお母さんって怖いね」と同情する子もいた。友達の親たちは私の心情を察して「そんなことしょうがないよね!」などと庇ってくれるが明らかに困っていた。



父と過ごしたのは小学校まででした。中学からは別居、離婚。父が母の行き過ぎた行為に気づいたのは、私を強くつねった母の爪が剥がれて包帯ぐるぐる巻きになった時と、外に締め出されていたのを見つけた時で、両方とも父は母に強く叱り付けていました。「二度とやるんじゃねえぞ!」

父がかばってくれることはわかっていましたが、父に言いつければ母は叱られ「あんたのせいで私が怒られた」と更なる虐待が始まるだけです。言えませんでした。
第一私は、自分が「ろくすっぽできない」せいで、自分が悪いせいで、怒られている、と感じていました。母から叱られたことを話すと自分の「ろくすっぽできな」かったところが父にバレてしまうことを恥ずかしく思っていたので、それもあって言いませんでした。


私が外で遊んでいると、近所のおじいさんやおばさんが、「大丈夫か」「お母さんに怒られたんか? お母さんのすごい怒鳴り声がうちまで聞こえるよ」などと声をかけてくれることもありました。でも父のことと同様、言えませんでした。「大丈夫だよ!」と元気に振舞って誤魔化していました。大人相手に誤魔化せていたはずはないのですが。


それでも、誰も児童相談所に通報するなどはしなかったようです。時代的にまだ認知されていなかったのではと思います。田舎だし。学校の先生にも、ちっともバレていませんでした。道を挟んで向こう側のブロックを含む広い範囲のご近所にまで怒鳴り声が響き渡っていても、これは母と私の間の秘密のことでした。


大人になって、、と言っても17歳の頃ですが、母が付き合い始めた7つ下の男性とラブホテルに行った時のことなど聞かされたこともありました。
中1になる頃、母が離婚を決めた時、母は私に「お父さんか私か、これからの人生どっちと住むかあんたが自分で決めなさい。弟は私を選んだわよ」と言い放ちました。「そんなの選べない。私は何もしてないのにどうしてそんな辛い思いしなきゃなんないの! お母さんも何かしたんじゃないの!」と泣きながら訴えました。すると母は泣きじゃくって怒鳴りました。「私が悪いっていうの?! あのひとはねぇ、私が嫌だって言っても無理やりセックスしてくるのよ! もう嫌なのよ!!」と衝撃の返答をしました。
ギャンブルでの借金の話はずっと聞いていましたが、12歳の子どもにセックスがどうのだなんて、母親がいうと思わなかった私は、メンタル的に撃沈しました……。

1つ前の記事にもありますが、自分の性的なことを子どもに平気で見せたり聞かせたりします。



私が成人して以降は、依存されていました。一人暮らししようと思うと話す25歳になる私に、「何で出て行く必要があるの? ここにいればいいじゃない。うちにいていいわよ。心配なのよ」引き止められました。
老後の面倒も私だけにみて欲しいと。
婚約したことを伝えた時も顔が曇っていました。



また、うちは家中が本当に汚いです。母の部屋や台所はまるでゴミ屋敷みたいです。居間にも母の私物が散乱しています。片付けをしないどころか、衛生的に悪い環境。ネグレクトまではいかないけれど、、、。ゴミ屋敷に住まわせることはネグレクトにあたります。近い状況でしょうか……。

片付けられないんです。母も祖母も。そして弟も私も。私は今は、大人になってから自分で私物が整理整頓できるようになりましたが、昔は心がすさむほど、部屋が散らかっていく傾向にありました。女の子の部屋なのに、足の踏み場がないくらい酷いことがほとんどでした。何かを契機に心が落ち着くと自然と片付けられて、部屋も綺麗になるのですが、またすさむと部屋も荒れます。繰り返していました。かなり部屋に収納を増やした今もすぐ散らかりやすいし、片付けは完璧じゃないです。

ちなみに母の部屋は常に足の踏み場がないです。使っていないボロボロの布団や何かの紙や布切れやらが、ペシャンコになって床にへばりついています。

祖母の部屋は祖母なりに片付けてあるつもりのようですが、「捨てられない病」の祖母は溢れるほどの私物を雑多に積み上げているだけで、とても片付いているとは言えません。

弟の部屋も足の踏み場がないです。でも私と同じように、片付けたり散らかしたりを繰り返しているようです……。

劣悪な環境…虐待、不衛生。
きちんと思い返すと、私はそういう環境で育ったんだな……。

今思うと、「ウチは親が離婚して片親だけど、ひとり親家庭なんてザラだし、別に変わったことはない普通の家庭」と思っていたことが不思議です。どこが普通???



◆育ちって、、、。

育ちによって人柄が出る、そう言いますよね。その通りだと思います。

恋人相手に非難ばかりする私。
片付けられない私。
「ろくすっぽできない」私。

必死に自分を誤魔化したくて、
必死に他人も誤魔化したくて、
誤魔化し切るために完璧主義になって……。
あたかもきちんとしている人に見せかける。

でも、そんなの所詮ただの誤魔化し。嘘八百。化けの皮が剥がされる時がきます。私のそれは、婚約というタイミングで訪れました。


お金の計算や管理ができないからといって
彼を責めすぎた自分が許せなくなり
今度は自分を責めすぎて自殺を図り
なぜこんなに自他共に行き過ぎなほどに責めるのか調べると完璧主義が判明し
完璧主義の原因は育ちにあると知ることで
化けの皮が剥がされる……。


「私、何のために頑張って人生やり直してきたんだっけ?」

「お母さんに認められるために生きてきたのか?」

「お母さんはもう諦めた……。もはや生きてる意味って何なんだ……。」


化けの皮が剥がれる(完璧主義が(自分によってだけど)暴かれる)と、自分の価値がゼロだったんだ、というように感じてしまう……。自分のやりたいことがわからない。自分の存在意義がわからない。アダルトチルドレンの典型的な症状です。



今はもう、そんな風ではないです。私は私です。母に諦めがついてから程なくして気がつきました。

一昨日は就職の面接に行けたし、あちらにも興味を持っていただけました。

昨日は友人と出かけて楽しく過ごすこともできました。まだまだ落ちる日が多く、落ち込む自分にいちいち「こんなんじゃ私はまだまだダメなんだ」とか思ってすぐ責めたりするのですが、友人は「そういう日(前向きになれる日)が少しずつ増えていけばいいよね!」と励ましてくれて、また心が軽くなりました。

今は大丈夫そうです。



◆虐待の内容を書こうと思った経緯

私が受けた虐待についてを、わざわざ細かく書く必要があるかどうかということに対して、私は必要ないと思うから書かないと思っていましたが、やっぱり書きたくなったから書きました。

1.まずなせ書く必要はないと思っていたか

●書くためにわざわざ思い出すのが辛いから
●私よりもっと辛い経験してた人がいるから。骨折したとかひどい火傷を負ったとか、身体障害が残ったとか、病院での治療が必要になったり一生ものの障害が残ったりするほどまでに、酷いことをされたわけでもないのに書いても、このような虐待を受けた人からすれば「お前大したことないのに辛いとか言ってんじゃねえよ」って思うんじゃないかなって思ってた(これ一番)
●そのくせ、そのうえ、「お涙頂戴感」が出そうで嫌だ

です。どれも、書こうと決めて書いている今でも変わらずこう感じていますが、それでも書きました。

2.なぜ書こうと思ったか

昨日、友人が誘ってくれて紫陽花を見に行きました。久しぶりに外に出て人と遊びました。お花見るのは好きだから楽しかったし、おしゃれなカフェで食事しするの久しぶりで嬉しかったし、何より友達に会って話して、気持ちが軽くなりました。

母と祖母からの嫌がらせを一部話しましたが、友人が味方になって、聞いてくれただけで心が少し変わるし、吐き出すことはやっぱりいいことなんだと実感できました。

でも、全ては話せなかったです……。話が重たくなるし。一番慰められたいところは(一番と言っても2つあるけど)、母と分かり合えないのだという現実に向き合わなければならない悲しさと、虐待されてた子ども時代のことです。だけど、そういう核心部分は「悲しいさん」と「怒りさん」が押し寄せてくるから、友達の前でそれをさらけ出すのがなんか怖くて話せませんでした。


今までのブログ記事は『🦋私の人生・生い立ち』シリーズを省いては母のことはネタ要素的に書いたものが多いです(のつもりです。笑)。ある程度面白く表現すれば、ある程度深刻な印象は抑えられる。且つ異常さは伝わるようにもしたかった。

しかし虐待のことを書くとすると、あんまりふざけられないんです。真面目に辛くなっちゃうから。笑

でも、別にふざけないで書けばいいんじゃんと思えたので書きました。吐き出すと楽になる。昨日改めて実感しました。でも実際友達に告白するのはかなりのエネルギーと勇気がいる。だから、今はとりあえずここに書く! このブログは私の成長過程を記していくブログなんだから、先に進むために必要なら書けばいいと思いました。





◆最後に

同情してほしいだけかよって思ったり、不快に思ったりした人がいたら、ごめんなさい。私がブログを書く趣旨(克服して前に進む過程の記録を残す!)に沿っていたので書きました。

リアルでこの事を話せなくても、ここに書くことで吐き出して乗り越えたいです。話す必要なんてないかもしれないですけどね。
明日からまた頑張って生きよっと。 以上









トップページはこちら▶︎本当の自分 〜脱・AC〜