適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

90🙂毒家を出てから5ヶ月と20日


どうも、ACです。


毒家を出てからもうすぐ半年になります。
精神状態は良好です。
健康状態も。


新しく始まる仕事も、始業日やポジションが確定し、スタート地点に立つための心の用意ができました。


今月末で、今の仕事は退職なので、寂しい気持ちです。仕事を辞めたいわけではないのに辞めるというのは初めてなので、こんな気持ちがするのか…と感じています。5ヶ月間、赤ちゃんをみてきたけど、、、くっそ可愛いですね、ひとの子なのに。あの小さい人たちの、存在そのものが愛おしいというか。……寂しいです。


退職してから次の仕事が始まるまでは、12連休です。まじ神
友人と大阪へ一泊旅行する予定です。
USJと串カツが楽しみです。
何か大阪らしい、いいお店知ってたら教えてください。ほんとに!


















最近、また精神的な波を感じています。
今回は、いい方へ向かう方の波です。
よかった……。笑


私の周りが確実に変わってきているなと思います。なんか、環境が。


前までは自分が周りからどう見えるか、ひいては母からどう取られるか、そこに無意識に引っ張られて物事の判断をしていました。


前職もそれで決めていましたから。。


自分でこの仕事をする! と決めていたようで、実はそうではなかった…
母の「良い」に合わせることが、私の生き方そのものだったから。それは無意識だった。。


前まではそうでした。
母の呪縛に気づき自立することを目標にしてやってきて、今は本当の意味で自分の、自分だけの、本来の思いだけで新しく仕事を決められて、関わる人間もおなじく、住む場所も、生活のサイクルも、全て、自分がどう見えるか、母が何というか、そんなものを無意識に不安がることなく決められている。


自分が自分らしくしていれば、周りにも同じような人が集まってくるというのは本当の話なようで、今は生きやすい。


まあ、前までの自分を縛っていたのは、(母から押し付けられた)自分の価値観なんですけどね。


自分を解放することが少しずつできてる。まだまだ、ふとした時に認知の歪みを再認識されられて沈むことはあるけれど、それでも、今の職場でも新しい職場で必要としてもらって、仲の良い友達がいて、気持ちのいい人ばかりで、恵まれた環境で自分を解放することができる。


前職は毒人間の現場だったけど笑、今の生活にはパートのおばさんが一人、AC自己認識してる毒人間なくらいで大したことはない。


去年の5月、母と決別を決意したとき(私の価値観が崩壊したとき)、新しく「自分」を築いていくことなんてできるんだろうか、どうやればいいんだろうか、そもそも本当の自分って何なのだろうか、、、と途方にくれた自分がいました。


今では、何となく「自分」が現れてきました。まだモヤくらいの感じだけど。自分でもまだかすかにしか認識できてないから、文章には現せないけれど、多分、新しい仕事をしていく中で徐々に形成されていくような気がします。


このブログのタイトルにもある「本当の自分」。そもそも答えなんかあるのか?
と思いますけど、自分の価値観、自分の中の筋の通ったもの、そういうのを持って生活していきたいです。




















さ、精神的に上がってきている時の私は、すごく調子に乗りやすくて軽率で無遠慮な節があるので、それを気をつけてしばらくまた頑張ります。ちなみに精神的に下がって言っている時の私はやる気がなく嫌味っぽく人の言動にいちいちイライラしがちで感じ悪いです。笑

90番目の記事、何が書きたかったよくわかんないけど、もう90書いてるのか。早いな。

89🙂毒家を出てから5ヶ月と1週間

2018年になって、1週間。
もう18年なのか。
早いですね。
どんな一年になるのか。
どんな一年に、するのか。


今年は、いよいよ昨年7月に内定もらった職場での仕事が始まります。
転職して、責任者の資格取って、頑張ろう。


毒親問題は、どうなるのか……。
今はまだ、毒母と距離を取ってから半年ほどで、さほど時間が経っていないので、あちらも沈んだ状態で落ち着いていると言うか、、、何というか、、、。


元日と2日に毒母からメールが来ました。
一通は、新年を祝う内容と、ばあちゃんに顔を出してあげてくださいと。
もう一通は、年賀状が届いているから取りに来なさいと。


行くわけないんですけど分かってて言ってるんですかね。笑
ついこの前スタッドレスを取りに行ったとき、祖母には会ってますしね。


相変わらず、『忍法 ばあちゃんの術』ですね。
例えば、「あんたの靴が邪魔だってばあちゃんが言ってるわよ」とか。
言いたいけど言いにくいことは、全部祖母の言葉にしちゃおうという便利な術です。


年賀状は実家に送られて……。郵便局の転送届なんて、信用しない方がいいです。新住所に届かないものは結構多いかと。


なかなかウザい感じで始まった2018年、穏やかな年となりますよう、自分で自分に心底祈ります……。


私の予想では、今年の後半は、現在大人しくなっている母の毒は強まって、何かしらの被害に遭うように思います。多分自宅の周辺をウロつかれると思うし、連絡も何か要件を見つけ出しては頻繁にあるのではないかと。


上手にかわしていかないと。。。









少しでも、2018年が穏やかな一年になりますように。

88😶「いい歳して○○なんかやって笑」って言う人がいるんだけど

「あの人いい歳して○○なんかやってるんだね(笑)」


って言う人がいるんだけど、自分なんかいい歳して一個も趣味ないやん。
大抵の趣味はいい歳してから本気でやったほうが楽しいのにって言葉に対して確かにって思った。












「あの人いい歳してしょっちゅう話題の場所に遊びに出かけてて元気って言うか若いよね〜(小馬鹿)」


って言う人がいるんだけど自分は若い頃からジミーズやん。。










「ごめんて言われたんだから許してやればいいのに!」


って言う人がいるんだけどそれ程に傷ついたんじゃないか?ってその人の気持ちも汲んであげればいいのに。そこで「大丈夫だよ」と笑顔で返せるメンタルの賢者が相手だったとしてもそれは何事もなかったということではない。









「甘党なんだ!じゃお酒は飲めないね。」


って言う人がいるんだけど、クッソ腹立った〜。
なんなのその自分限定の二択。ほんとに世の中そういう言われが全てだと思っとんのか?



















ああ、なるほどね。別にナイフでグッさり刺したようなほどではないけどなんか引っかかる言葉たち。自分の世界だけで生きてるとね。自他の違いを、一人一人の違いを認知しないと。

87😇毒人間の常(ただのグチ記事)


どうも。ACです。
今日はただの愚痴なんです。
すみません。笑


毒人間というのは、大体同じようなところに行き着くもののようです。











過去の記事で、今の職場にAC仲間がいると書きました。42歳のパートさんです。お子さんが2人います。


その方とは私の入社後まもなく私が母と不仲であることがバレて以降、もっぱら毒親やACの話で持ちきりで「あなたって、色々分かっていて本当にすごいですよね!」なんて言われて何もしてないのに崇拝されてましたが、最近私はその方に何もしてないのに嫌われています。笑


まあ、本当のところは何もしてないってことはなくて、私が「何か」したから嫌われたんでしょうね。その方にとっては気に障る「何か」を。それがなんだかは知りません。


こうなることは、薄々分かってました。AC(というか毒人間)ってそういうのよくあるんです。勝手に相手のことを崇拝して大好きになって持ち上げてへりくだって、そのうち何かをきっかけに軽蔑が始まって大嫌いになってこき下ろして無視を決め込んだり嫌がらせを始めます。


崇拝→軽蔑。ある人を絶賛したかと思えばこき下ろす……。これは、二極思考が働いているんでしょうね。そしてその2つが切り替わる基準は、もっぱら自分の中の価値観だけによるものです。


私は何をしたんだか知りません(よくわかりません)。その方とは話せは話すほど毒が染み出してくるため母と似たような危険を察知して注意してましたので、常に中立を保ってます。…そういう態度が気にくわないのかもしれませんけど。笑
でもまあ、わたくしACなので多分性格が悪いから知らぬ間にお相手を傷つけたか何かしたんだと思います。…すみませんでした。。。



とりあえず、その方はその精神的幼稚で職場のほぼ全員に嫌われているのを知ってしまっているので、私が100%悪いんじゃないと思いたいところです。最近の私のモヤモヤのタネでした。


















今日、その方がお上様からお叱りを受けてしまいました。今日やってしまったことがどうこうと言うより、普段からよく身勝手な行動をしているので、いつ怒られようとも仕方ないです。


勤務中に勝手に携帯電話で電話し始めたとか、預かっている子どもに無茶苦茶な対応、乱暴な対応するとか、仕事のやる気がゼロでロクに働かないとか、以前から耳に挟んだり目にしたりしてました。。。























話を少しズラしますが、、、
お上様は、現場のリーダーがちょっと抜けると、必ず様子を見に来ます。みんな正直ウザがってます。文句の付け所を探しては、「私が口を挟むことじゃないけど」と切り出して何か文句を言っていくので。「こう言う風にしてください」
ちなみに私の持ち場は、リーダーとACのパートさんと私の3人だけです。


そのACのパートさんは、お上様がいちいち口出ししてくる時いつも、私がお上様に目をつけられて怒られているのだと言います。「リーダー! さっきリーダーがいない間にお上様がきて、また私さんが怒られちゃったんですよ! 本当意味わかんないですよね!」「すごい嫌な顔して怒ってるんですよ、あんな言い方することないじゃないですかね!本当嫌な感じ!」他の持ち場の人にまで言って回ります。


…正直、私、お上様に怒られた認識ないし、怒られどころなかったし、でも私が怒られてる空気にされるから一応謝ったりすると、お上様は「あなたが謝ることじゃないのよ」などとフォローを入れてくれます。


そりゃそうです。だって、怒られてるの、私じゃないです…。あなたでしょ…。


でもまあ、私も同じ空間にいたんだし、連帯責任でしょう。だから「私は悪くない!」なんて大人気ないアピールしません。
…私はね!!笑


要は、毒人間のあるあるとして、自分は悪くないって思いたいし、ってかほぼそう思ってるし、周りの人間にそう認めてもらいたいんですよね。自信ないからわざわざアピールするわけなんですけど。


















…話を戻します。
今日そのACのパートさんがチョコっとだけやらかしてお上様からお叱りを受けたわけですが、その方が退勤した後、お上様が何故かわざわざ私のところにフォローしに来ました。


今日のお叱りの現場に私は居合わせていなかったのですが、わざわざ私のところに来るなんてお上様も相当イラついてるんでしょうか、、、


お上様「ちょっといいかい? ACパートさんのことなんだけどね。あの人はああ言う人だし、もう長い間アレでずっとやって来てる人だから、今更私が言っても変わらないから、私はあんまりACパートさんに直接何も言わない。でもね、私さんが辛い思いをすることもあるとは思うけど、あなたはまだ若いんだし、勉強のつもりで頑張ってください。あなたは何も気にすることない。」

















……。












え、、やっぱり、怒られてたの私じゃなかったんじゃん。なんなのACパートさん。
ーーーー「リーダー! さっき、また私さんが怒られちゃったんですよ〜」じゃねえよ。メンヘラオバサンがっ!!!おめえだよっ!!!



てかさ、お上様もお上様で、あなたがはっきりあの人に言えないから私がなすりつけられるんでしょ?????「私さんが辛い思いをすることもあると思うけど」「言っても変わらないから私は直接何も言わない」じゃねえよ!!!!ぃぃい言え!!このオバアチャンがっ!!!!



でもまあ、お上様が私に目をつけて一々言いに来てたわけじゃないって分かったし、むしろACパートさんについてを分かってくれていたと知ることができたので、最近のモヤモヤも晴れましたから、もういいです。
はあーー!! まったく、毒人間に関わるとこれだから嫌だわ!! 母親と似たようで自分本位な性格!! 個人のことは自由ににすればいいけどこっちに迷惑かけんな!!
……あ、私も毒人間かもしれないんだった……。気をつけよ。














毒人間の常。
二曲思考
自分は悪くないアピール、正当化
(こんなのごく一部に過ぎないけど)


母親と同じや……。
「あなたしかいないわ〜♡依存」→「あんたなんか○☆×°#¥.....!!怒からのシカト&嫌がらせ」二曲思考。
「私が悪いって言うんでしょ!?(虐待は)仕方なかった」正当化。

そして、かつての私もそうだった……。













しょうがないね。気がつかないうちは。
自分がどう生きていきたいかを、改めて考えさせられる。皆さんの周りにもいます?こんな人。

86🌑親がウザいとかそんな話じゃない。毒親は危険なんだよ。


「いくら親が嫌だからって縁を切るなんて」
「あなたの思い込み過ぎなんじゃないの?」
「お母さんだって苦労してるんじゃない?」
「あなたも親になれば分かるよ」



私を苦しめる言葉。
私を未熟だと諭すような人もいる。



…私はやっぱり悪い人間なんじゃないかと思えてくる













でも、精神科の先生も、相談センターの人も、友人も、母の異常さを理解して、私が逃げることに納得している。勧める人もいる。



そもそも、誰もそう言わなかったとしても私自身がそうすべきだと分かってる。



私は母から逃げる。
縁を切る。



それは、ウザいとか嫌いとか、そんなレベルの話じゃない。



暴力を受けたり、金を取られたり、食事も取らせないような嫌がらせを受ける。



それは、身体的虐待、経済的虐待、精神的虐待であるということ。



これは、母といると身に危険が及ぶということ。



私の親はウザいんじゃない。
私の親は、危険なんだよ。
















ーー毒親



その毒がいかなるものかを理解しがたい人もいる。


というか理解できないと思う。
そういうものに触れずに健やかに生きてこられたのなら。


それは幸せなことだよ。










未だに、否定を受けたり、理解が得られないと苦しくてたまらなくなる。


この苦しさをこじらせると鬱になる。
鬱をこじらせると死を選ぶ。











…長い治療になるのは分かってたけど、、、
やっぱ、辛いね。


…大丈夫だよ。みんなそれぞれ違う価値観で生きてるんだから。意見が違って当たり前なんだから。自分だけは一生、自分の味方でいようと決めたんだから。もう、過去のように自分を隠したり取り繕ったり背伸びをしたりはしないと決めたんだから。これでいいはず。違う意見に触れたというだけで、私が否定されたと捉えることはない。みんな違うんだから。受け入れる器がある人もいれば、理解できず拒んだり矯正を試みてくる人もいる。みんな違うから。違うだけ。負けるな私。

85😊毒家を出てから4ヶ月


毒家から脱出して4ヶ月が経ちました。
はてなからお知らせがきたけど、このブログを始めてからは半年が経ったようです。


振り返ってみるのには区切りがいいかなと思います。



前は、うつ気分がぶり返してきて辛いので過去の記事を読み返すことができなかったけれど、今見てみたら、読めるようになっていました。


きっと少しずつ克服していて、時の流れも味方して、過去のことと感じて客観的に見れるようになったのだと思います。


読み返してみて思ったことを書こうと思います。自分のためにです。









◆母と私は共依存関係じゃないよね笑
19番のブログの当時の私は母と自分が共依存関係にあったと思っていたようですが、今思うとそれは違いますね。


幼少の私は暴力の元ただ言いなりになるばかりで、
10代の私は反抗してて、
20代の私は人生を全うにやり直したい気持ちと母への寄り添う気持ち、親子関係の盲信があった。


幼少の私に母は暴力と暴言を浴びせた。
10代の私に母はつけ離したし無視した。
(↑手に負えないことがムカつくから)
20代の真面目になった私に母は甘えたし可愛がったし調子に乗ってた。依存した。


それは別に共依存なんかじゃなくて
ただ自分勝手さに振り回されてただけですね。私が。あとは、母に認められたい思いがいくら年月を重ねても満たされないので欲求が凄まじくなっていた。


それだけ。








◆元婚約者と別れるための手段えげつな。笑
20番のブログ読み返して引きました自分で…(*_*)


あの当時、共依存であることが発覚した彼が怖くて別れたい意向を数回伝えても、やり直したいという返答だけが返ってきていました。


どうにも別れられなくて、思いついたやり方が彼のご両親を巻き込むべく彼の実家に乗り込むという…。それを実行するという…。えげつない。。


あれ私、そういうことやれば彼に嫌われることもできるし別れられるかもだし一石二鳥じゃんとか思ってわざと強行しましたけど、我ながら最低だな!!


クソゲス人間だな、私、。


でも、今の私はそういう思考回路にならないなあと思う。過去の私は自分が思ったことをどうしても実行したくなると手段を選ばないところがあった。執着心がすごいから。でも今は別にどうなってもいっかって思う。成るように成る。それでいい。それは、完璧主義を手放すことができた証であり、諦めのような感覚でもある。












◆完璧主義はかなり薄くなってる
21番の記事、6月2日ですが、自分のことを完璧主義者だときっぱり書いていました。
今は12月3日。半年が経っています。


この半年間、自分を振り返ったり、いそいそとネットや本を読んで勉強したり、実家を出て一人暮らしを始めたり、仕事を始めて社会復帰したり、色々できました。


半年前まで抑うつで死ななくてはいけないと思っていて自殺を図ったような人間とは思えないな…


でもこの半年間の色々が、私を変えた…というか、変わったのではなくて、価値観の上書きという形となっていった、というのが正しい感じがするのですが、そのことは間違いないです。


母には愛情を伝えたところでつけ離されて、毒親とは分かり合えないと聞いていたことをリアルに実感痛感したことは、私がこの家に生まれてきたことの意味は無かったと告げられたのと等しくアイデンティティが死んだのと引き換えに、私を母の呪縛から解放してくれました。


母の価値観で生きるという呪縛が解けると今度は何を基準に物を考える、行動を起こす、働く、日常を過ごす、、つまりどう生きるのか…分からなくなっていましたが、次第に人がそれぞれ自分なりの価値観を持って生きているだけなのだと分かると、生きやすくなりました。それは私には衝撃的な事実だった。


世の中には「普通」とか「常識」とかは存在してなかったんだってこともよく分かりました。それに縛られてるのは個人ですつまりその人の価値観がその人を縛っている。世の中の「普通」や「常識」が個人を縛っているのではない。


ちなみに「普通は〜」「常識は〜」などと言って押し付けてくる奴はただの毒人間。自分のことも縛っていて辛くなりがちな人間。でもそれは、その「普通」や「常識」が正しいと、世の中の正義だと、勘違いしてしまっているから。本当のところ自分が無意識にそれにすがり付いているだけなのである。


それが分かると完璧主義も薄れてゆく。だって、人は、他者の価値観に縛られた中で生きる必要などないのだから。


私は私の中だけの基準(母から植え付けられたもの)を満たさない自分が恥ずかしくて情けなくて大嫌いだった。だから頑張った。豊田真由子みたいに笑。満たしたと思っても次から次へと課題が現れて(やり遂げても不安になって、自ら更に上の課題を設定する)、そして疲れ果てる。疲れても疲れても、睡眠を削ってでも課題に取り組む過去の自分を、今はバカだなって思う。それは、今ではもはや、少し暖かい気持ちで。










◆「頑張れ、私」のフレーズ今は無くなってる
過去の記事はその最後に「頑張れ、私!」とよく書いていました。そういえば、書いてた。本当にそう思ってました。


最近の記事は全然それを書いてないです。焦る気持ちがなくなったんでしょうかね。いい傾向だと思います。


今の私は、ACを克服することや母から逃げることに対して「頑張れ、私!」って思ってないです。心に余裕が出てきた。










今日は過去記事を頭から読んで、4分の1くらいまで読み返しました。
また明日、読み返してみよう。


こんなに色々変化を感じられるとは。
自分の心の変化がよくわかって気分が明るくなります。ブログ書いてよかったなあ。これからも続けよう。


読み返すきっかけとなったのははてなから来た「半年経ちましたよ」のお知らせメール。はてなさんどうもありがとうございます。

84🤫なんか毒親分析をしたい〜①

どうも。ACです。
この前、このアパートに越してきてから初めて湯船に浸かりました。やっぱりお湯に入ると気持ちいいです。うちは追い炊きがないので湯を張るのがもったいなくて今まで使ってませんでした。疲れたときやリラックスしたいときには、やっぱりお風呂ですな。










さて、気が向いたので毒親ディスる記事を書こうと思います。


多分他にも出てくるような気がするので、この記事のタイトルは「①」としてみました。


こんなことわざわざ思い出して羅列して何になるのかはわかりませんが笑、なぜか書きたいと思ったので書いておこうと思います。











それでは。
毒親あるあるを言いたい〜。








◆イヤミを人の言葉として伝えがち

「玄関にある靴が邪魔だって、ばあちゃんが言ってたわよ」

忍法! ◯◯が言ってたわよの術。


毒親は自分が他人からどうみられるかを謎のポイントで気にする生き物なんじゃないかと思います。


周囲の人間から嫌われることや能力がないのを知られることなどを、極端に恐れている節があります。だから、何かあると「私は✖︎✖︎だけど、〇〇がこう言ってたから」「〇〇の話だとこう」などと、自分が責任を負わない方向に持って行くやり方で話したがります。


しかし見てくれや世間体を気にする割にはその考えは本人の中だけの基準なので、他人からすればなぜそんなに人のせいにしたがるのか、見栄を張っているのかと、疑問に感じたりします。


この例の場合、「靴をどかしてほしい」そう言えばいいだけです。


更には、それを伝えるのに当たって「邪魔だって言ってた」というイヤミな言い方になってしまう。


イヤミな上に、発言の責任を他人になすり付ける。


もうこれは、ひねくれた性格と自信のなさが露呈している以外の何でもないでしょう。











◆謝らない

「私が悪いって言いたいんでしょ?!怒」


毒された人々は決して謝りません。
自分の否は認めません。
薄々自分が悪いとわかっていてもです。


認めることを恐れているのです。
もともと自尊心が無いからです。


また、責められているわけではないのにそう捉えるひねくれた部分があり、勝手に『責められた!』と感じて同様の発言をすることもあります。


おそらく本人には、本当にそう聞こえているのです。自らが毒に侵されているので、そのように脳内変換されてしまうのでしょう。


哀れな人たちです。










◆恩着せがましい

「育ててやったのに」


毒親といえば、恩着せがましい。
よくありますよね。


そう言えば、うちの毒親が、老後のことはああしてくれこうしてくれと、私に楽しそうに話してくることがありました。当時は、言われなくても親ですもん、親が歳をとったら面倒を見ようなんてわざわざ考えもしないほど、そのことを当たり前に感じていました。


でも、老後のために子どもを産んだんだとか言われると、悲しい気持ちにしかなりません。










◆都合がいい

「心配なのよ!泣」


私が一人暮らしをしようと思うと初めて告げたとき、全力で止められました。なぜなら、依存対象である娘がいなくなることを恐れているからです。


しかしそこで出てきた言葉は「心配なのよ」です。これは違います。自分の手元に置いておきたい、そういうことです。


本当に娘を心配するならば、24歳の成人した私を心配していないで、10代の頃の荒れ狂ってた私に、そんな風に泣き怒りながら「心配なのよ」と言ってあげて欲しかったです。


手のつけようもなく荒れた10代の私を、毒親はほぼ無視でした。それが、20代で真面目に(?)なった私には、幼い頃暴力でねじ伏せていたようにまた強気で挑んできます。


相手を見て、都合のいい言い方をする。
反抗されると分かれば無視を決め込む。


出て行けとかあんたみたいな子どもを産んだ覚えはないとか、散々罵ったり暴力を振るったかと思えば、今度は「あなたしかいないわ」「あなただけよ」と擦り寄ってくる。


毒された人々は都合がいいんです。


……ただその人々には、自分が都合のいいことばかり言っていることに自覚がある人とない人がます。
自覚ありはメンヘラです。暴力を伴うことが安易にあり危険。
無自覚で本気でその言葉を口にしているのは大体過干渉です。
……どちらにしても厄介です。










◆他人への愛想 は いい

「あなたのお母さんは、気さくで明るくて元気で、いいお母さんだね」


学校の先生や、元婚約者の両親、他にも何度か言われました。


私から言わせて貰えば、そんなのは見てくれがいいだけです。「あなたたちは本当のうちの母を知らない」。あの頃の暴力や罵りを知ったらどう思うのだろうか。


多分、見てくれだけがやたらといいせいで、そのことを他人に言っても信じて貰えないか、私が母を悪く捉えすぎだとか、私がまだまだ子供だとか、親の苦労をわかってないだとか、そんな話になってしまうと思います。ここが辛いところです……。


飯食わしてもらってきたんだから感謝しろと?? そもそも、私は産んでくれと頼んだことなどありません。


あちらが自分で勝手に「親になる」と決めたのです。


















書いててなんとなく思ったけど、私は自分の子供の頃(虐待してた毒親)を振り返る事は簡単にできるけど、


私が大人になってから(私に依存する毒親)を振り返ることはまだあまりできない。
まだ最近の事だからなのか、母と縁を切ろうとしている大人になった自分に後ろめたさがあるからなのか……。


今、落ち着いてきて、振り返る準備ができてきたから、書きたいと思ったのかもしれません。


んー、毒親分析じゃなくて自己分析になった。笑



これが克服の術の内になればいいですけどね。。