適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

83🤫いるいる毒人間。「生きづらさ」あなたも私も毒人間?


どうも。ACです。この前玄関にクリスマスの飾り付けをしました。あは


さて、自分が毒親の元で育っていたと気付いてから約半年が経ちました。ブログを83記事になるまで書いているけど、この問題と正面から向き合ってから、まだ半年程度なのですね。


それ以前の私は「毒親」という言葉自体を知らなかったし、


子どもの頃に受けた暴力も「虐待」だとは捉えてはいなかったし

(うちのお母さんは躾が厳しかっただけ、私ができの悪い子だっただけでお母さんは悪いわけではない、そう考えていた)


私が大人になってからは、母のことは変わった人なのだとは感じていたけどそれだけだったので、


毒親」というものを知ったときはその当てはまり具合にぶっ飛んだのもです。









この半年間、「毒親」問題について考えたり、過去を振り返ったり、調べて勉強をしたり、皆さんのブログを読んでいたりすると、色々と思うことがあります。


結構いるんですよね。身近に。


「毒人間」。









「毒人間」とは、私たちの身の回りに存在する人で、親に限らず、毒に侵されていることに気付かず苦しみながら、あるいは毒を振り巻きながら生活している人たちのことです。勝手に名付けました。


「毒」はなにも、親ばかりが持っているものではない。職場の中にいるかもしれない、友人にいるかもしれない、家の隣人かもしれない、、、


私はそう思っています。









しかしながら、自分以外の人間の毒に気がつくことができても、自らの「毒」に気がつくことは難しく、その自らの毒を解毒することは本当に、殊更に、難しいことです。


人は、生きるためについつい、何かを思い込みながら生きています。それは社会の一としてうまく環境に溶け込むための処世術であり、自らの精神を保つための防衛術でもあります。


みんながしていること。


しかしそれは、ときに周囲の人間に押し付けられ、物によってはそれが毒になる。だからこそ、私たちの身の回りには「毒人間」が溢れているのです。











先ほど書いたように、人には大抵「思い込み」があります。それは「価値観」と呼ばれることもあります。


なぜ私がここで「価値観」を「思い込み」と呼ぶかといえば、価値観なるものは人それぞれ異なるにもかかわらず、自分の思うそれが一番いいと思って押し付けてくる人に対する嫌味です。笑


その押し付けて来る人を、私は「毒人間」と呼びます。


あなたの周りにもいませんか?
「毒人間」。


いるな…と思った人。
ここで、考えてみたほうがいいことがあります。


「いる」と思った人、その想像した人は、本当に毒人間かもしれません。私はその人に会ったことがありませんから分かりませんけど、さぞかし対応に困っていることでしょう。ストレスを感じていることでしょう。


ただ、ここで想像したのが、特定の人物ではなく漠然と「そういう人いるよな〜ほんとやだやだ」くらいにしか思わなかったけど「いる」側の回答をした人。あるいは感じた人。


その人は、もしかしたら、毒に侵されているかもしれないと、私は思います。


人との関わりの中で、自分が遠回しに嫌味を言われているように感じることが多い人や、
見下されている、バカにされているような気がする人、いませんか。相手がはっきりあなたを見下す言葉を口にしたわけではないのにそう聞こえる。そう感じ取る。

それ、「生きづらさ」ですよ。


人によってはそれを糧にして何クソ根性で努力を惜しまず頑張る人もいます。でも、その生きづらさのせいで、自暴自棄になる、破滅型の人生を辿る人もいれば、自分を責めたり、抱え込んだりしてネガティブな感じや冷めた感じになる人もいます。鬱になる人もいます。


それは全て、毒に侵されて「こうでなければならない」と思い込んでいるからです。
「こうでなければならない自分」と「実際の本当の自分」が違う人間なので苦しいのです。


何クソ根性のひとも、
破滅型の人も、
冷めた感じの人も、
心の中が毒されていて(思い込みがあって)
その裏返しとして頑張ったり開き直ったりしているだけ。ついていけなくて病んでるだけ。


これは、治せます。
自分でなおすのは結構難しいけど。。


「自分と他人は、価値観が違う」


それだけのことです。


頑張って治したほうがいいかなって思うから、私はそうしています。、のつもりです、、まだまだ全然自信ないけど、、


治さないと多分、後輩を育てるときや、何より自分の子どもを育てるとき、その子が毒人間に育ちますよ。きっと。


あなたの価値観(思い込み)の、
「こういうものは、こうあるべき」
みたいなことを無意識に押し付けてしまうから。


押し付けている時のあなた自身も、すっかり毒人間でしょう。



毒人間によって毒に侵されて育つと、人によっては気付かないまま自らがいつの間にやら毒人間となり、毒の連鎖を繰り返します。


私のように暴力や金銭面でのことなど、非常にわかりやすいケースなら毒にも気がつきやすいのでしょうが、「親は自分のために色々とやってくれている」と思うと毒がわかりづらいケースがよくあります。


親子でも違う人間です。親が色々やってくれてるから、その期待に応えないといけないと思ってるけど、ほんとは違うことをやりたい、、、とか典型。。。


その思いを告げた子どもが、親に猛反対された挙句に「そんなくだらないこと」などとバカにされたり罵られたりする、、、とかも典型、、、。


親と子でももちろん価値観が違って当然なんだから、
他人と自分は違う。



異なる価値観を持っていて、それは
自分と(あるいは自分の属するグループと)異なる価値観だからといって人をバカにする材料にはならないし、
反対に、自分をバカにしてくる奴らも違う。


価値観の違いを、
わかってる人/わかってない奴
として捉えるのではなく、
単なる自他の違いとして捉えれば、
人を尊重し、自分もあるがままをうけいれれば、
それが解毒になる。











「生きづらさ」


それは、持っている限り自分が苦しいし、いずれ必ず誰か(大抵は子ども)に受け継がせてしまう。


価値観はあなただけのもの。
大切にすればいい。


時に押し付けてしまうのは、毒によってそれと違う方向性になることを恐れてしまうから。


そういう時もあると思うけど、頭と心を柔らかくして、相手を自由にさせてみることもたまにはアリかも。どれほど「違う!」と自分が思っても、自分の価値観は押し付けず我慢できる機会があればやってみるのもいいかも。


違う方向性の向こうの方に、知らなかった素晴らしいものがあったりする。その時、毒に気づけたりする。


世の中に溢れる毒人間。
日本人はアタマカタブツが多いって言うけど、「こうでなければならない」とか、そういうの多分、この世の中にない(犯罪行為とかそういう系以外は)。


劣等感なんて感じることないし、
見栄を張ることもないし、
人を批判することもない。


みんな違うだけ。


私はまだまだ修行中。





「生きづらさ」

捨てよ。

82😕ふと湧き上がる感覚。毒家を出てから3ヶ月半。


今日、いつもと同じように、仕事から帰って、ご飯作って食べて、テレビ観て、お風呂入って、髪乾かしてたとき、洗面台の鏡の前で、急に。


「何でこんなところにいるんだ?」


と、ふと思いました。。


違和感というか、よくわからないような気分になったから、部屋の掃除をして紛らわせました。。というか現実を確認した、というか。。












私が、8月から借りているこのアパートに住んでるのは、自分が毒家を出なければ! と考えて出てきたんだから、自分の意思で行動した結果なのに、それなのに、そんなことを感じるなんて、不思議なことです。


そもそも、毒から離れることができて生活が安定し、精神面もよくなり、毒のない暮らしができている今を幸せだと感じられるし、実家に帰りたい気持ちなど微塵もないのです。


でも、前にも何度かありました。同じ感覚。
アパートで過ごしているとき、たまに、急に、感じるんです。


「あれ、私、何でこんなところにいるんだ」


なんか、他人の家に来ちゃってて家に帰りたい気持ち(ホームシック?)になったみたいな感覚です。落ち着かないし居心地悪く感じたときみたいな。


それで、過去を思い出す作業をして、納得する。


「あ、そっか」


それで、この感覚については、
AC独特のやつだったりするんかな。とか、
毒親のお土産かな。とか、
まだ鬱の名残があるからなんかな。とか、
一人暮らしあるあるなんかな。とか、
色々考えます。
多分一番最後のやつです。


ーー何度かこの一連の流れを経験しました。。。










何なんですかね、これは。


ここでの生活はもう慣れたと思っていたけど、この感覚に襲われた後は鬱だった頃みたいな変な感じがします。情緒面で、なにか違和感があるような。落ち着かないそわそわするような。「死にたいさん」が来るときのような。


自分のことを後から振り返りやすいように、こんな些細なことだけどこれもブログに書いておこうと思います。

81😐どうしても一回グチりたい


どうも。ACです。


今日は、どうしても、どうしてもグチりたいので、ACと全然関係ないやつ書きます。





今、期間限定で勤めてる職場、すごい汚い。笑
子どもを預かる施設なんですけど、埃だらけですごい。。汚い。、


私、幼い頃から鼻炎持ちだから毎日毎日辛すぎ〜!! こんなに連日で鼻炎薬飲み続けたことあったかなって思うーーー


押入れ開けるたびにクシャミ連発!!
「大丈夫ですか?笑笑」


窓開けるたびにサッシの部分の埃が舞って、クシャミ連発!!
「大丈夫ですか??笑笑」


毎日毎日鼻水でまくる!!
「大丈夫ですか??笑笑」


……大丈夫じゃな〜い!!笑


埃が積もりまくり! いくら私が掃除したところで、みんなはあんまりやらないから意味ない! 汚い!!


あと2ヶ月半で退職!
それまで鼻炎薬で乗り切るしか!


私、あの職場行き始めてから鼻がイカれ続けてて、匂いとか味がよくわかってないと思う〜。鼻の下が荒れて皮むけ気味なのも困る〜。痛いしファンデが乗らないよ!


仕事で子どものオムツ変えたりするけど、うんちっちが出てる時は大体みんな臭いでわかるのに、私だけ気付かない。笑


多分みんな私の鼻がおかしいだけだと思ってるんだろうけど、おかしいのは毎日ホコリまみれで生活してる君達だからな!!!バカにすんなっ泣 つらい!



80🌑毒親育ちでも気楽に生きられる


毒親
「毒家族」
「毒になる親」



……これらの言葉を目にする、あるいは耳にすることが増えましたね。


私と同じように、あるいは私よりもずっと早くに、このようなことでブログを書いている人はたくさんいます。


ブログを見てると、毒親に対してずっと毒づいているだけのブログがあります。笑
きっと、自分が変われないと、一生そうやってイライラしながら生きて行くんだろうな。


解毒のための指南をしているブログ、過去を1つずつ振り返っているブログ、様々ありますけど、みんながそれぞれのところに立っていて、このくだらない世の中を一生懸命に、あるいは仕方なく、生きているのを感じます。


私のブログは、主に自分がどんな状態にあるか分かるように、自分のことを書いています。前は整理をつけるために振り返って色々書いてました。


さて、先程「自分が変われないと、一生そうやってイライラしながら生きて行く」と書きました。


毒親持ちの皆さんが奴等に対して沢山の恨みつらみがある中で、私もその1人として生きていますが、私は毒母に対しての恨みは、今はあまり湧き上がってきません。


落ち着いてるだけかもしれませんが、でももういちいち恨まないかな。でもガッカリした気持ちは多分一生消えない。


これは、私が、そう感じる人だっていうだけ。人によっては、怒りが満ちて一生消えないと感じる人もいると思うし、みんな違うのは当たり前だと思う。


今日私が一番言いたいことは、みんな違うのが当たり前だってことなんですけど、私の周りにはあんまりそれに気づかない人が多いと感じる。


皆さんの周りにもいるかもしれないけど、
「普通はこう」とか、
「常識ってもんがある」とか、
「信じらんない」とか、
そう言う一見ものがわかったような言い方をした自分基準の言葉を口にする人って多いと思う。


一応言っておくと犯罪などの明らかに社会に迷惑を被るタイプのものまで含めて言ってるんじゃない。そういうのはダメに決まってる。普通の会話の中にあるものの話。


他にも
「男の子ってこう」とか
「子どもってこう」とか
「年寄りってこう」とか
それも勝手な思い込みが染み込んでいて、知らず知らずにそういう自分基準の言葉が出てくる人っている。


「あの人はいまだに◯◯だなんて、いったいいくつだよ」みたいな言葉とか、
「あの子はカラオケであんなにはしゃいで、若いよね」みたいな言葉も、
私には違うと感じる。


変な言い方すればいくつになってもバカな人はバカだし、若くても賢い人は賢い。
35歳だってハッチャケる人はハッチャケるし、18歳だっておとなしい人はおとなしい。


人はみんな違うってこと。
歳なんて関係ない。


自分の価値観と違う相手をバカにする対象にしてしまう人が多いと思う。


例えばファストフードが好きな人を、健康志向の人がバカにしてたりとか。
パチンコ行くのが好きな人を、ギャンブル嫌いが見下してたりとか。


ファストフードだって食べたら美味しいかもしれないし心が満たされるかもしれないし楽しい食事になるかもしれない。
パチンコだって自分の稼いだ金の中で節度を守って楽しむ分にはとてもいい娯楽なのかもしれない。


でもそれをバカにしたり見下したりする人は、頭と心が凝り固まってる。それによって被害を被った過去があるならまだしも、誰かから洗脳されてるだけの可能性もある。後者は厄介。生きづらさを生じるから。


そういう風にバカにしたり見下したりする人は、みんながそうとは言わないけど極端な思考の持ち主だと思う。


ファストフードの件なら食べすぎると健康に悪いのにそんなもん食ってるなんてバカだろ、とか。
パチンコの件ならそんなもんに金使って借金地獄にでもなったらどうするんだバカだろ、とか。


実際にファストフードの食べ過ぎて肥満になって糖尿になって歩けなくなったら、私もそればバカだなとは感じるし、
実際にパチンコのやり過ぎで借金にまみれて自己破産とかしたら、私もそれはバカだなと感じるけど、
実際にそうなってないなら、そうならないように上手にやりくりしてるなら、いいじゃんそれで。


そういう風に人の考えを受け入れたり推測したりすることができないから、毛嫌いしたりバカにしたりするんだと思う。頭と心が凝り固まってるから。


人はみんな違う。


中には本当に何にも考えてない人もいるだろうけど、バカなところを持っていても、まあどっかしらいいところとか持ち合せていたりたりする。


そういう風に捉えられない。


価値観が違うだけ。
年齢とかも関係ない。
立場とかも関係ない。


そういう風に捉えられない。


そういう風に捉えられれば、ひとはひとだし、自分は自分だし、いちいち他人にイライラせずに生きられる。まあいっか(^^)って思える。何度も言うけどそれで被害を被ってないならね。トラウマとかってやつもあるし。


この世の中には多分、
「普通」とか
「常識」とか
そういうものは存在してないと思う。


職場ごとに「常識」は違うし、
1人の人間ごとに「普通」っていう感覚も違う。


ただそういう中で、まあまあ上手に人付き合いしていくし、たまに似てる人を見つけて仲良くなったりもするし、ぶつかったりもするし、それで普通。


許せないと思う相手が何故か多い人や、
理解できない奴ばかりだと感じる機会が何故か多い人、
または、関わりのある人間のほとんどを見下しているような気が自分でしている人は、
自分の中の価値観が、つまり頭と心が凝り固まってるせいではないのか。


自分の考えは、自分の中だけで貫いたらいい。それは自分がどんな人間であろうとも自分の自由だということだし、人も人で自由なのだ。まあそりゃ仕事においては難しいこともあるけどさ。私が言ってるのは「生きづらさ」の話。


生きづらさを生み出しているのは、自分の中にある価値観。もっと言えば悪く出てるこだわりの部分。


その価値観が誰かから植えつけられたものであったとしても、これに気づけば変えられるよ。 んん ……変えられる、というより上書きする事はできる、と言った方が正しい気がするけど。


毒親に育てられた人でも、毒までいかなくても考えの偏った親に育てられた人も含めて、その、「変な」親から植えつけられた「変な」価値観はやっぱり根深く自分を巣食っているから、100%矯正することは多分不可能な気がするけど、それが「変だ!」と気がつく能力があるなら、あるいは気がつく機会が偶然でも得られたなら、変えられるよ。本当の自分が感じる心地よさを、上書きすればいいから。誰かから強制された生き方を、やめたり変えたりすればいいんだから。


この世の中が、というか日本という国が、もっと変わったらなあ。互いの違いを受け入れられる社会なら。これもやりやすいのにね。


まあ、日本が集団意識や謙遜意識の塊だからこそ、今の日本があるのかもしれないから、……まあいっか(^^)






まあでもね、毒親育ちなら、全ては毒親の元を離れてからの話ね。

79🌑思い出したこと

さっき、東洋経済ONLINE読んでて思い出した。


今、東洋経済オンラインで
“『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO刊)に収録された100の手紙から、3日連続で1つずつ紹介していく。”
という連載をやってる。


昨日、第一弾を読んで、
今日、第二弾が公開されていたので読んでた。


30歳の女性の書いた手紙だった。
私の1つ上だから、同じくらいの人。


やっぱり、虐待親とか、毒親って、みんなおんなじような発想するんだね!


ジュースや食事をこぼしたり、箸やスプーンやフォークがうまく使えないとビンタ。


…そうそう、同じ同じ。


その人は「スプーンとかがうまく使えないならこうやって食え」って言われて、髪の毛掴まれて頬つねられてお皿に顔押し付けられたって。それで「笑える、ワンって言ってみな」って言われたんだって。


痛くて早くやめてほしいから「ワン」って言ったら「こいつ、ワンって言ったよ。笑」


…似てるー。うちの毒と。


私もよく言われてたな〜。
「3回まわってワンって言いなさいよ」


笑っちゃうよね!


でも怖いからいう通りにすんだよね〜。
で、やったら笑われる。


「ホントにやるんだ! バカだね。」


しかも結局、それをやったところで暴力や罵りが免除される訳はなく。


毒親って、やってることバカっぽいね!

78🌸仕事が大好きな人ホントすごい!

今の職場の人でお仕事が大好きな人がいます。


自宅から職場まで車で1時間。
早番の日とか、朝何時に家出てるんだろ!


今日は飲み会がありました。その人が幹事で、1人で色々手配してやってくれました。結構上の方の人なんですけど、あれこれ動いてすごいなぁ。仕事も一番忙しい持ち場にいることを考えると、それやりながら幹事やってくれて、本当すごいや。


人柄もよくて。すごい優しいです。怒らないし。人が良すぎて逆に心配な感じです。


色々思うのは、仕事が楽しくて毎日が充実してる、そんな風に見えるのですが、素晴らしいと思うのは、やはりあの職場の人的環境がいいからかなって。


好きなことや興味のあるものを仕事にしている人もいれば、仕事は仕事と割り切っている人もいると思います。


でもやっぱり、大人になると「生活」ってもんがあるわけで。


それに、おかしな奴の1人や2人、いますよね。働きづらくなることもある。


要は好きなだけじゃ、できなくなったりもする。


それでも、あの人がそんな風に見えないのは、そもそもの人柄に加えて、職場の人的環境のよさが更にそうさせてるのかなと。


好きなことを仕事にできて、人間関係にも恵まれて、そしたらあのくらいパフォーマンスがよくなるのかな。。


でも、もしかしたら、ああいう人がいるからみんなが感化されて職場が良くなるのかもしれない。


鶏が先か卵が先かはわからないけど、どちらにしてもあの職場がいい環境なのは間違いないです。


ああいうところが、私の社会復帰の場となったことに感謝しながら、来週もまた働こう。そう思いました。鬱がこのまま、何事もなかったように消え去ればいいなと。

77🌸アダルトチルドレンが前に進むには。毒家を出てから約1か月半

最近ゲリの話ばっかり書いてたからちょっと一回このブログの趣旨っぽいことを書いておこうと思います。


今いる職場で、よく言われること。
「しっかりしてて気持ちが強い」
「誰にでも穏やか」
「いつもニコニコしてる」


ありがたいですね、そう思ってもらえてるとしたら。


前にも書いたのですが、職場の同じ持ち場の方で、ひとりAC仲間がいます。42歳って言ってたかな。女性のパートの方。


その方に、どうしてそんなに穏やかでいられるの?とよく聞かれます。


正直、自分ではよくわかりません。


どういうところがそう感じさせるのか分からないし、自分が穏やかにしようと思ってるわけでもないし、本当に穏やかなのかよく分からないし。


自分の今の自己像は、自信のない、あやふやな人という感じなのに。


母に跳ね除けられて「毒親とは分かり合えない」ことに気がついて以降、物事の考え方について自分に自信がありません。


なぜなら、それまで母からの洗脳で形成されていた自分の価値観が崩壊したからです。


崩壊したというのは…
母に味方になってほしい気持ちと、自分を殺して合わせなければならないという気持ち(強迫観念?)との間に溺れていたのが、その一件を機に母へのすがる気持ちに解放されて、イコール、母の価値観から解放され心が軽くなったのと同時に母の価値観に合わせる必要がなくなるので、考え方の基準がなくなったことにより、本当の自分らしい考え方とはどれなのか分からなくなった、もしくは崩れてなくなった……。それか、まだ自分の考え方とは何かについてを自分で知らなかったと気がついた。


そういうことです。


要約すると、とにかく自分が何者かわからないので、再構築しないとな。じゃ、しよ。
というのが、今現在の感覚です。


それだけなのです。


私は、努力して母から精神的に自立してきたのではなく、母につけ離されたことによって自然と母を諦め、心や価値観から解放されただけだし、解放されて心の中の価値観の町が更地になったから、しょうがないので自然と再構築を始めただけだし、、、


つまり、努力して母の呪縛から離れることができたわけではないのです。


たまたま、偶然、こういう流れになった。


それだけなのです。








まあでもそもそも、パートさんが聞いているのは、母にすがる気持ちの対処法ではなく、自分の中にあるモヤモヤとの向き合い方。
なのだとは思います。


でも、分かんないけど、1つのことを切り離さないと、それは難しいのかもしれないという気がするのです。


それは、過去の自分と現在の自分。


これを切り離す方法を具体的にいうと、辛い(あるいは悲しい、苦しい)思いをしたのは過去の自分で、今の自分とは違う。


「今の自分は、辛い過去はあるけれど〇〇で恵まれている。」
例えば理解ある友人がいるとか、
仕事が充実しているとか、
新しい家庭があるとか、
何でもいいとは思う。


でももし、現在さえも嘆いてしまう状況にいるとしたら、大人になった今、こう考えるくらいの精神的成長はしてるんじゃないか。
「今の自分もコレとかアレとか辛いことはあるけれど、子どもの頃の自分が辛い思いをしていたことはわかる。自分の親が子どもへの適切な接し方ができない人だった、という『気づき』を得ることはできる。」


虐待を受けたり、罵られたり、虐げられたのが親も若かったころの過去の話なら……。現在の自分がもうそこまで酷い扱いを受けなくなっているのなら……。


過去と現在を自分の中で区切れるのは、自分しかいない……。


未だに毒親から大きな被害を受けているならば、とにかく逃げなくちゃ。離れなくちゃ。できるなら、離れて。


そしたら、まずは、物理的にはある程度の平和がくるよ。
精神的には波が来るけど、そしたら
こんどは自分で自分を許そう。
自分を甘やかしていいんだよ。
悪いことじゃない。
こんどは自分で自分を擁護しよう。
自分で自分を認めよう。


もう親になんて求めなくていいんだよ、大人になったんだから。子ども時代みたいに親に依存しないと生きられない存在じゃないんだから。大人になったんだよ。大丈夫だよ。本当だよ。


そうやって変えていく、、のがいいのかな。他にもやり方はあるんだろうなと思うけど。、、


ACが前に進むには、
きっかけが必要かもしれない
偶然が必要かもしれない
努力が必要かもしれない
仲間が必要かもしれない
分からないけど、どれも当てはまらないケースもあるかもしれない。


とにかく、努力なしに偶然にも母を諦めることとなった私には、自分で乗り越える術がよく分からない。


毒親との関係に悩んでいるときに、その毒から精神的に脱却するのは本当に難しいことだと思う。


特に無意識下の場合は本当に難しい。
まずは自分が親の理解を求めてしまっていることに『気づき』を得なければならないと思う。『気づか』ないと、始まらないから。


前に進むのに必要なのは、
おそらく『気づき』。


まずは、親に毒されてしまっている自分に気づかなくてはならないと思う。毒が自分からも漏れ出ていることに気づけば、変えるべきところがどこなのかわかる。自分から毒が出でいるところが、直すところ。でもまあそれはおそらく、気が強いタイプのACに当てはまるやり方。萎縮型のACには当てはまらない気がする。とは言え、ACは気が強くなったり萎縮したりを繰り返す生き物。笑











余談だけど、ACのパートさんのこと。
パートさんは、仕事で預かっているうちの1人の子どもをよく批判する。まだ1歳なのに。また、その子の家族をよく批判する。普通じゃないって言う。イライラするって。ありえないって。


私がパートさんにリアルでは言えないと思うけど、思うことがある。何でそんなに穏やかでいられるの?って聞いてくるから、遠回しに伝えてみた。


物事を決めつけてる自分に気づいてほしい。その、決めつけてあれじゃダメだこれじゃダメだと一生懸命喋ってるその瞬間にでいいから、言いながらでもいいから、いや、言った後でもいいから、気づいてほしい。


決めつけながら喋ってるときのあなたは、多分、あなたが嫌っているお父様やお母様と、そっくりだと思うから。


これはああだこうだと決めつけて、あなたの気持ちを押さえつけてきたあなたのご両親と、そっくりになっているはずだから。


決めつけられた側には、それなりの気持ちがある。あなたはそれを知っているのに、自分自身が経験しているのに、人のことを自分の価値観で決めつけて批判している。


あなたがどれだけ経験があって、どれだけ機転がきいて、どれだけ頭が良かったとしても、あなたのその言葉は、人によっては正解にも不正解にもなる。親切にも不親切にもなる。感謝されることもあれば余計なお世話だと反感を買うこともある。


あなたがどれだけ心底そう思っても、人によっては全く違う。


あの家族にも、あの家族のやり方や、事情や、価値観や、能力がある。それを、あなたの価値観だけで決めつけて批判しないでほしい。


穏やかになりたいのならば、自分の価値観を変えないと、一生そのイライラはあなたにつきまとう。


なぜなら、そのイライラの原因は、あなたの価値観……
あの家族がおかしいのではなく、
あなたこそが、あなたの価値観こそが、そのイライラを生み出しているのだから。


自分が親にされて嫌だったことをこの1歳の子にやっちゃうんじゃなくて、「あの時こうしてほしかったな…」と思っているそれを、この子にしてあげるのはどう?
この子が大人になった時、惨めな悩みを抱えず済むように。


ちなみに、私はそのパートさんを嫌いとかじゃない。あの人にも心が軽くなる日がくることを願ってる。彼女の心が軽くなるなら、私の思うことも話す。リアルではっきり言わず遠回しにいうのは、本当はその人が話を聞いてほしい、理解してほしいだけなのわかるから。でも、聞いてくるから一応答える。だから中間取って遠回しに言う。はっきり言われると、彼女がどうなるか想像がつく。自分と似てるから。どうなるかって言うと、どん底に落ちたような衝撃が走って、この世の終わりみたいな感覚がした後しばらくして、蹴飛ばしたいほどの怒りがこみ上げる。それで、相手を嫌いになって、最後に、自分も嫌いになる感じがする。私はそれわかる。ACだから。ACってそんな感じの気持ちで生きてる。