適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

125 彼の父親、生理的に無理

隠し子がいて、自分勝手な人で、人を振り回す人で
……本当むり。

私はいま彼氏と同棲してる。
家は、彼の実家の真隣にある平家。

元々はおじいちゃんとおばあちゃんをすぐ近くで見守るために住まわせるつもりで建てた平家だったみたいだけど、着工してからだったか、おばあちゃんは亡くなって、そのうちおじいちゃんも亡くなって、誰も住まないから、彼が住んだ。

そこに、鬱が再発して働けなくなった私が転がり込んだ。

両親は2人とも明るくて、優しい。
彼のお父さんは、明るくて、ものすごいお喋りで、多趣味で、世話焼きで、人がいい。
でも、デリカシーが無くて、自分勝手で、押し付けがましい。他人の話題はすぐ自分の話題に持っていっちゃうし。

私が鬱だという事を、彼は、彼の両親に、伝えなくていいと言った。わざわざ心配させるような事を言う必要はないと。

私は、彼一人、こんな状態の人間の世話をするのは荷が重すぎるだろうから、両親が知っててもらえれば、彼が少し楽になるかと思った。

でも、彼は伝えなくていいと言ったから、両親には黙ってた。隠して過ごした。

でもある時、両親が、一緒に旅行に行こうと、彼は経由で誘ってきた。

彼は、旅行は無理だよね、と、私を気遣った。
私も無理だと思った。

彼は、もう正直に言おうか、鬱だと。そう言った。、
旅行を断る理由として。

彼の両親の反応が怖かった。
でも、2人とも、なんて事ないと言ってくれた。

ありがたかった。

私のうつを告白した数日後、彼の父と2人で、庭で話した。
彼の父は、私のうつを、人間生きていればいろいろあるよと言った。

そして、いつものように、自分の話にすり替えた。
「俺もいろいろあったよ。」

知ってるよ。これまでに散々、あなたから聞かされたから。

彼の父は、25年前、フィリピンの人と浮気して、子どもが生まれた。
フィリピンの人は、その時日本からフィリピンへ帰っていたけれど、日本からフィリピンへ、養育費を払い続けた。
それに、毎月フィリピンに会いに行っていたとお父さんは言った。

彼の母は、どんな気持ちがしただろう。

彼の父は、若い頃、雇われて働くのは無理だと言って、自分で色々と会社を興しては潰れて、興してはまた潰れて、それを何度か繰り返してた。
彼の母は、何度でも、夫を支え続けてた。

彼には兄がいる。軽度の知的障害がある。
彼の父は、障害なのだと分かっていながら、つい怒ってしまう、関係がうまくいかないと言っていた。
彼の母は、夫の協力をうまく得られず、どんな気持ちで子育てをしていただろう。

フィリピンの子は、大学まで、フィリピンで過ごした。
日本で就職したいと言って、大学卒業後に彼の実家に住み始めたと聞いた。
からしたら、きちんと紹介もされてないけど急にウチに住み始めて…「誰?」
って感覚だったって言ってた。

今はもうフィリピンの子は東京で就職して、家を出た。でもしょっちゅう帰ってきて、彼の両親はフィリピンの子と一緒に出掛けたり、旅行へ行ったりを、よくしている。
その子は、私も仲良くなった。とてもいい子だった。

お母さんは、全て、受け入れた。
夫の勝手、全部、受け入れた。

私だったら、受け入れるどころか、耐えられないかなと思う。

彼の父は、私と2人で、庭で話してたあの時、私に一つの告白をしてきた。

「フィリピンには、実はもう1人、子供がいる。誰にも言えなかった。16年間、誰にも言えなかった。辛かった。」


……。


「言っちゃったよ、つい。家族の誰にも言ったないのに」

私は驚いたけど、何でもない顔をして、「大丈夫、大丈夫」と返した。誰にも言わないよ、と気持ちを込めて。

聞きたくもない他人の話を聞かされ続けて、聞いてたら、2人目は、計画的だったような感じだった。

私は嫌悪感でいっぱいになった。

お母さんのこと、この人は、どれだけ裏切れば気が済むんだろうと思った。病気みたいだと思ったら少しはましだけど、でもやっぱり嫌悪感でいっぱいになった。

彼からすれば、知らないうちに腹違いの妹ができてて、3人兄弟になったことに衝撃を受けて、でも受け止めたそのあとに、彼は知らぬ間に4人兄弟になってたってことでしょ。

きもちわるいよね。すごく。

「つらかった、つらかった」
彼の父は、何度も言ってた。

私がうつでしんどい話じゃなかったっけ。
鬱がしんどいんですよって言ってる人間に言う話かね。

まるで私のうつを受け入れる事と引き換えにでも話したかのようだった。

隠し子がいる事を聞くまでも、厄介な人だと思っていたけど、あの人柄で、そしてお母さんの明るさで、私はそんな「厄介」を流せた。

でも、隠し子の話を聞いてからは、もう、気持ち悪すぎて、本当に無理。話したくない顔も見たくない。気持ち悪い。

というか何故わたしが貴方の隠し事を2人で共有しなくちゃならないんですか……。

彼の父は他人に話して少しは楽になったかもしれないけど、今の私には、無理すぎる話題だった。

案の定うつをこじらせた。
私の調子が悪くなって、彼はまた戸惑った。
理由が分からないから。

分かってもらっては困る。
彼には言えるはずもないんだから。

あれから、彼の父の件はもはや関係なく、ひたすら鬱が悪くなってる。そうなると彼とまたうまく話せなくなったし、そうするとまた自己嫌悪が始まるし、抗うつ薬も容量増えた。今は、いつ死のうかとばかり考えてる。

124 死にたい

59日ぶりのブログ

死にたい

すごく。


生まれたらいつか死ぬ、
それまでの間に、何かいろいろある。
人生はただそれだけのこと。

こんなしんどい思いしながら生きてるくらいなら
もう死にたい
本当に死にたい。

しんどくないなら生きたいのか?
別にそうでもない。

ただただ全てが嫌。
今は死ぬことさえ面倒に思える。

泉谷閑示という人の
「うつ」にまつまる誤解
という連載をネットで読んだ。
参考になった。

どうやら、私の死にたいさんは
「頭」のせいらしい。
「心=身体」を「頭」が支配しているから、
それを解き放つことが必要らしい。
分かり易くて他にも気づきを与えてくれる連載だった。
興味があれば読んでみてほしい。いい記事だから。


いままで、ずっと、分からなかった。 

このブログのタイトル 
「本当の自分」

そんなもの、本当は無いんじゃないかと
ブログを書き始めてしばらく経った頃から思っていた。

私は幼少期から、ああやって育てられて大人になってきた。でもその価値観は崩壊して、何が本当の自分か分からなくなった。

でも、うつが良くなって元気になると、たちまちもとの価値観に支配される。
自分でも気付かぬうちに。

でも、やっとそれは、「本当の自分」はどこにあるのか、
何となくわかった気がする。

「頭」の自分を、本当の自分だと信じてた。
本当は「心=身体」こそが、私がこのブログのタイトル、いつかの目標としてたてた、
「本当の自分」なのだろう。

でもいまは、「心=身体」は、口を紡いだまま。
何も話してはくれない。
今までずっと抑圧され続けた「心=身体」は、
心を表現する機能が退化したようなものだと
泉谷閑示さんは書いていた。

頭と心は違う。
そんなことわかってたけど、
わかってなかった。

薬を飲んで、休養して、少しずつ元気を取り戻すたび、
待ってましたとばかりに「頭」がでしゃばって、
私をもとの辛い世界へ引きずり落とす。
いつもそう。
気づくとそうなってる。


何度繰り返しただろうそんな事を。
その度彼は、戸惑っている。
ここに愛情なんて、あるのだろうか。
ここにあるのは、、、何もないかもしれない。
あったとしても、困惑と同情なんじゃないだろうか。

彼のことは分からないけど、私のほうは、
今はとにかく、しんどい。
今すぐ
消えてなくなりたい。

私の首を切り落とせば、
「心=身体」は、自由を得るだろうか。
それなら、しんどくないんだろうか。

123 でも、彼は帰ってこない


私 適応障害って最初言われたけど引っ越ししてから病院変わって不安症害っていわれた。
でもそこの先生が嫌でまた病院変えたらうつ病って言われた。

なんでもいい。、別に。

私の気分が凸凹でちぐはぐなせいで、彼に嫌われてると思う。一緒に住んで1年経った。
前の方が症状は良かった。一緒にいることが楽しかったし、私が作る料理を昼も夜も一緒に食べてくれて、美味しいって、残さず食べてくれた。少食なのに。ただ普通に、幸せに、過ごせてた。

でも今の私は家事もしない。セックスもしない。会話もできない時もある。同じ部屋にいることさえできない時もある。目を合わせることさえ辛い時もある。新しいiPhone買ってもらったのに。クーラー買ってもらったのに。身の回りの世話してもらってるのに。彼のおかげで生きられてるのに。私は彼にひどい態度を取ってると思う。

でも向き合えない。向き合う気力さえない。

毎日、毎日、自分を責めてばかりいて泣いてる。
そんなことしてないでもっとコミュニケーションとりたい。普通に過ごしたい。

でもできない。
うつが、ほんの少しの心の揺らぎも許さない。
生きるって選択する気持ちを保つので精一杯。
今にも壊れそう
しんどい。
助けてほしいのに
誰にも伝わらない

彼に甘えたい
朝早く、そーっと出て行った
もう夕方になった
でも、彼は帰ってこない

122😶シャンビリ、シャンビリ!


ひっっっさしぶりに書く。
少しだけならと書く気になったのでメモ的に。


クリニックの先生が嫌すぎた(理由はまた別の時にでも)ので、違うところに変えた。
そしたら、医師が変われば見立ても変わるということか、不安障害からうつ病に診断が変わったのが7月14日だから3日前か。


イフェクサー150mgはリフレックス15に変わった。
ベルソムラはサイレースになった。


イフェクサー離脱症状であるシャンビリ感についてはネットで散々見てきたので怖いなと思ってたんだけど、やはり……。


シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン!!!!!


何というか…


数秒おきにめまいみたいな。
シャッ!!みたいな。
シュッ!!みたいな。


そんでめまいが。
いちいちめまいが。
ぐぁん🙂🙃ぐあん🙂🙃みたいな。


持続的じゃない。
数秒おき?


何やねんこれ死ぬ😭



体は元気で心は死んでる時もあるし、
心は元気で体は死んでる時もあるし、
何やねん訳わからん

120 無気力


また気分の波が
しんどい




さっき、宇多田ヒカルの「夕凪」という曲が流れてきて、つらさで高ぶった心が少しフラットに近づいた感じがした


死を客観視させられるような


誰しも必ず死が訪れるなら、今死ななくてもいいのか、今死んでも変わらないのか
でも残された側の気持ちを聞かされると…


倫理的には簡単なことだけど、自分自身の考えを出すこともできない
無気力になって













相変わらず、なぜ生きていなければならないのかと思う。なぜ産み落とされてしまったんだろう


友達と、死なないと約束したのが、今生きてる理由かなあ……


違うかもしれない
期待してるのかも


だけど期待してもだめ。


結局、私は私。
ここでひっそりと暮らして心を休めようとしていたって、抗うつ薬抗不安薬を飲んでいたって、
結局、私は私のまま。


ただ生きてるだけで、
ここに、いる、というだけで、
なぜいちいち悲しいんだろうか


理由を探ると、
人のせいにして、
結局は自分の性格が悪いせいで、
また悲しくなって、
つらくて心が高ぶって、
無意味なのに抗不安薬のんで、
泣きながら寝る。


こんなこといつまで続けるんだろうか。
あの時、私は変わってしまって、
いや壊れてしまったのかもしれないけど、どちらでもいいけど自分を保てない。
自分の感情の波を制御できない。
自分なんてないのかもしれない。
自己像が透けてく



私が私である限り、期待しても無駄。
人間の失敗作



どうでもいい
本当の私なんて
消えて無くなりたい

















泣いてたら抱きしめられて
暑いくらいだった
人の温もりはちゃんとわかるのに
まるで非現実の世界を見てるみたいだった
離人感。
自分が自分じゃないみたいだった


お風呂って何度も言うから
少し無理して入った
お湯の温かさがしみてきて
普通の人みたいだった
普通の人っていうか普通に毎日を生きられていた頃の自分みたいだった
そういえば私、お風呂がすごく好きだった
自分が戻ってきたような瞬間があって
あのとき生きてる感じがした