適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

61🌸脱出決定!!


毒親支配下にある状況からの脱出を決意して、早二ヶ月半。

やっと、やっと…(;_;)

やっと実家を出られることになりました。
よかった。、
よかった本当に。

未来の私よ、これまでの人生で一番、マシな生活を確保した。喜んでくれ(;_;)




◆恐怖、迷い、葛藤……勇気、希望

日付で言えば明日にはもう、この、嫌がらせにあふれた実家から出られるわけですが、ここに至るまでにはたくさんの弊害がありました。。



家を出る決心をした5月の半ば。
あの頃は無職でした。
4月からずっとフリー。
当然、賃貸なんぞ無理な話で。。


その一週間後、心身ともに徐々に回復を遂げながら、ハローワークに登録して、更に待機期間の一週間を経てようやく本格的に職探し。


その後も一ヶ月、再就職するに当たって悩みました。また子どもを相手にする仕事をするか、異業種へいくか…。


また子どもを相手にすることが怖かったので、異業種で探してフラフラと彷徨っていました…。私は自分の過去を思うと、私の中にも毒が根付いていると思えてならなくて、それが怖かったんです。。私も、子どもたちに毒を与える素質を持っている……。そう思うと、本当に怖くなっていました。子どもと関わることは好きなのに。


フラフラすること3週間。私には幼児教育や児童福祉の道しかないと思いました。


私のような自己肯定感のない人を1人でも多く生み出さないために、私がお手伝いできることがあるんじゃないか。


幸いなことに私自身が子供の発達の援助にかかる仕事をしてきた。勉強も積み重ねてきた。そして何より、真っ当な発達段階を踏めなかった人間が、大人になってからどんな葛藤を、苦しみを、抱えて生きなければならなくなるのか、私にはよくわかる。



子どもに関わる仕事をしよう。



異業種へフラついてみて、私には子どもに関わる仕事しかない、そう思えました。


とても良さそうな求人を見つけ、面接に行き、内定をもらいました。


しかし、就業開始日は8ヶ月後……。
おい、求人に書いておいてくれよ(´;Д;`)
(面接時には言われていましたので、了承の上で内定もらったんですけどね…)


賃貸は、内定があれば借りられるようですが、これほど先の話だと、やはり貸してはくれません。。


繋ぎの仕事を見つけなくてはいけません。こんなに半端な期間で雇ってくれるところがそもそも、なかなか見つかるもんじゃありませんでした。再び異業種も多く視野に入れ、繋ぎの職探しをすること数週間。
なんとか、派遣で保育園の仕事にこぎつけそうです。


今度こそアパートを借りられる!そう思って不動産屋に行くも、再び弊害が…。





◆保証人の壁でかすぎかよ

かなり厄介な壁にぶち当たりました。


これに関しては予想はついていたものの、予想以上に私を救済してくれる方法が無かったことに絶望しました…(;_;)


まず、私が家を出るのは、もはや母とは絶縁するのだ、そういう思いな訳です。当然、母を保証人にするなんて選択肢はありませんでした。


保証会社を利用すれば話は通るのではないか、そう思って不動産屋を訪ねました。


まず、保証会社を利用して借りられるところを希望条件にあげると、親はいないのかと聞かれました。


「母だけいますが母を保証人にしたくない」と言うようなことをやんわり話すと、途端に怪訝な顔。。まあ、そうでしょうね……。それまでニコニコと話していたおばさんは、対応を一転。


「保証会社で必要な保証人も、電話連絡が来る際に、なぜ親御さんじゃないのか、と聞かれますよ。今の状況だと難しそうですね、一人暮らしは」


と言われました。笑われながら。


そもそも部屋を借りることが初めてなので、本当にそういうものなのか、よく分からず……。


別の不動産屋に行ってみるも、今度は勤務年数で不動産屋からいろいろお話がありました。


転職の場合、勤務年数0年なので、保証会社をつけないとまず通らないということ。それに加えて、親で保証人をつければ、いけると思う。


そう言われました。



弟を保証人に当てるのではどうか。それもやはり、親が望ましいと言われました。不動産屋さんは、できなくはないけれど…と言いながら苦笑いしていました。




……。
保証会社を利用しても、私の場合は、より信用度を高める手段が必要で、、どうしても話に「親」が出てくる……。何軒かの不動産屋を当たるも、どこも同じような話でした。




そうなんですね……
(´-`)



途方にくれました。






◆悩みに悩んで一周回る

その頃はもう、母と決別する、家を出ると決心してから2ヶ月が経っていました。


弟に相談しました。多分、初めてでした。幼少期、両親とも家をあけることが多かったため、7つ年の離れた弟をいつも面倒見ていた私は、そう言えば、弟に相談ごとをしたり頼ったりしたことがありませんでした。守るべき存在であり、頼っていい相手だとは思っていなかった……。


でも、話してみてよかったです。弟はもう小さな子どもではない。保証人の件は承諾してくれましたし、考え方もアドバイスをくれました。




それから、色々考えました。

母にこれからの居場所を知られたくないと思ってあれこれ調べても相談しても、不動産屋ではどうしても「親」が話に出てきてしまう……。
一度、親に話した方がいいのではないか…



親に保証人を頼まなかった理由は、新しい住所を知られることが嫌だからですが、そもそも、保証人になってくれと頼んでも、この嫌がらせの様をみれば、断られるか無視されるかのどちらかで、親に頼むこと自体が無意味なのではと考えていたこともありました。



だけどもしかしたら、頼めば承諾するかもしれない……? まだ実際に断られてはいないんだから。、



でも、かなり悩みました。
仮に承諾してもらえて家を借りられても、新しい住所を訪ねてきては、結局、再び私に毒を振りまくのでは……。そういうのは毒親の典型ですから。。



かなり悩んで、再び弟と話して、結局、とりあえず親に頼んでみることにしました。
弟は少し心配したようですが、「できることがあればなんでも」と励まして支えになってくれました。


……あんな風に睨まれて、あんな風に無視されて。またそうなるんじゃないかと思うと傷つくのが嫌で、話しかけることがとても怖かったけど、勇気を出しました。



前の記事の通り、母は「いいですよ」と。



それで、やっと、アパートを借りられることになりました。



これだけ長い間、そして、これだけ多くの弊害があった末の話なので、友人たちは、一緒になって喜んでくれました。
私はもちろん嬉しかったけど、、これからどうなるやら。。。


新しい家に母が訪ねてこないことを願うばかりです。





◆困難の終わりは、人生の始まり

生まれた時から(と言っても3歳までの記憶はないけど)、ずっと苦しんできて、28年。8月には、29歳になります。


やっと、解放される時が来ました。
やっと、ゴールに辿り着いた。
そんな感覚です。


予感ですが、引っ越して片付け終わったら、きっと、「終わった」と感じて、また「無」になりそう……。、笑




「無」になってる場合じゃないです。8月中には、繋ぎの仕事が就業開始になる予定だから。


だけど、引っ越しの片付けが終わったら、ちょっと休もう。ゆっくり、1人の時間を過ごそう。今まで縛り付けられてた分を、今までマインドコントロールされて過ごしてきた分を、取り戻す……ことはもうできないけれど、でも、ちょっと、休もう。

と、今は思います。












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