適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

86🌑親がウザいとかそんな話じゃない。毒親は危険なんだよ。


「いくら親が嫌だからって縁を切るなんて」
「あなたの思い込み過ぎなんじゃないの?」
「お母さんだって苦労してるんじゃない?」
「あなたも親になれば分かるよ」



私を苦しめる言葉。
私を未熟だと諭すような人もいる。



…私はやっぱり悪い人間なんじゃないかと思えてくる













でも、精神科の先生も、相談センターの人も、友人も、母の異常さを理解して、私が逃げることに納得している。勧める人もいる。



そもそも、誰もそう言わなかったとしても私自身がそうすべきだと分かってる。



私は母から逃げる。
縁を切る。



それは、ウザいとか嫌いとか、そんなレベルの話じゃない。



暴力を受けたり、金を取られたり、食事も取らせないような嫌がらせを受ける。



それは、身体的虐待、経済的虐待、精神的虐待であるということ。



これは、母といると身に危険が及ぶということ。



私の親はウザいんじゃない。
私の親は、危険なんだよ。
















ーー毒親



その毒がいかなるものかを理解しがたい人もいる。


というか理解できないと思う。
そういうものに触れずに健やかに生きてこられたのなら。


それは幸せなことだよ。










未だに、否定を受けたり、理解が得られないと苦しくてたまらなくなる。


この苦しさをこじらせると鬱になる。
鬱をこじらせると死を選ぶ。











…長い治療になるのは分かってたけど、、、
やっぱ、辛いね。


…大丈夫だよ。みんなそれぞれ違う価値観で生きてるんだから。意見が違って当たり前なんだから。自分だけは一生、自分の味方でいようと決めたんだから。もう、過去のように自分を隠したり取り繕ったり背伸びをしたりはしないと決めたんだから。これでいいはず。違う意見に触れたというだけで、私が否定されたと捉えることはない。みんな違うんだから。受け入れる器がある人もいれば、理解できず拒んだり矯正を試みてくる人もいる。みんな違うから。違うだけ。負けるな私。

85😊毒家を出てから4ヶ月


毒家から脱出して4ヶ月が経ちました。
はてなからお知らせがきたけど、このブログを始めてからは半年が経ったようです。


振り返ってみるのには区切りがいいかなと思います。



前は、うつ気分がぶり返してきて辛いので過去の記事を読み返すことができなかったけれど、今見てみたら、読めるようになっていました。


きっと少しずつ克服していて、時の流れも味方して、過去のことと感じて客観的に見れるようになったのだと思います。


読み返してみて思ったことを書こうと思います。自分のためにです。









◆母と私は共依存関係じゃないよね笑
19番のブログの当時の私は母と自分が共依存関係にあったと思っていたようですが、今思うとそれは違いますね。


幼少の私は暴力の元ただ言いなりになるばかりで、
10代の私は反抗してて、
20代の私は人生を全うにやり直したい気持ちと母への寄り添う気持ち、親子関係の盲信があった。


幼少の私に母は暴力と暴言を浴びせた。
10代の私に母はつけ離したし無視した。
(↑手に負えないことがムカつくから)
20代の真面目になった私に母は甘えたし可愛がったし調子に乗ってた。依存した。


それは別に共依存なんかじゃなくて
ただ自分勝手さに振り回されてただけですね。私が。あとは、母に認められたい思いがいくら年月を重ねても満たされないので欲求が凄まじくなっていた。


それだけ。








◆元婚約者と別れるための手段えげつな。笑
20番のブログ読み返して引きました自分で…(*_*)


あの当時、共依存であることが発覚した彼が怖くて別れたい意向を数回伝えても、やり直したいという返答だけが返ってきていました。


どうにも別れられなくて、思いついたやり方が彼のご両親を巻き込むべく彼の実家に乗り込むという…。それを実行するという…。えげつない。。


あれ私、そういうことやれば彼に嫌われることもできるし別れられるかもだし一石二鳥じゃんとか思ってわざと強行しましたけど、我ながら最低だな!!


クソゲス人間だな、私、。


でも、今の私はそういう思考回路にならないなあと思う。過去の私は自分が思ったことをどうしても実行したくなると手段を選ばないところがあった。執着心がすごいから。でも今は別にどうなってもいっかって思う。成るように成る。それでいい。それは、完璧主義を手放すことができた証であり、諦めのような感覚でもある。












◆完璧主義はかなり薄くなってる
21番の記事、6月2日ですが、自分のことを完璧主義者だときっぱり書いていました。
今は12月3日。半年が経っています。


この半年間、自分を振り返ったり、いそいそとネットや本を読んで勉強したり、実家を出て一人暮らしを始めたり、仕事を始めて社会復帰したり、色々できました。


半年前まで抑うつで死ななくてはいけないと思っていて自殺を図ったような人間とは思えないな…


でもこの半年間の色々が、私を変えた…というか、変わったのではなくて、価値観の上書きという形となっていった、というのが正しい感じがするのですが、そのことは間違いないです。


母には愛情を伝えたところでつけ離されて、毒親とは分かり合えないと聞いていたことをリアルに実感痛感したことは、私がこの家に生まれてきたことの意味は無かったと告げられたのと等しくアイデンティティが死んだのと引き換えに、私を母の呪縛から解放してくれました。


母の価値観で生きるという呪縛が解けると今度は何を基準に物を考える、行動を起こす、働く、日常を過ごす、、つまりどう生きるのか…分からなくなっていましたが、次第に人がそれぞれ自分なりの価値観を持って生きているだけなのだと分かると、生きやすくなりました。それは私には衝撃的な事実だった。


世の中には「普通」とか「常識」とかは存在してなかったんだってこともよく分かりました。それに縛られてるのは個人ですつまりその人の価値観がその人を縛っている。世の中の「普通」や「常識」が個人を縛っているのではない。


ちなみに「普通は〜」「常識は〜」などと言って押し付けてくる奴はただの毒人間。自分のことも縛っていて辛くなりがちな人間。でもそれは、その「普通」や「常識」が正しいと、世の中の正義だと、勘違いしてしまっているから。本当のところ自分が無意識にそれにすがり付いているだけなのである。


それが分かると完璧主義も薄れてゆく。だって、人は、他者の価値観に縛られた中で生きる必要などないのだから。


私は私の中だけの基準(母から植え付けられたもの)を満たさない自分が恥ずかしくて情けなくて大嫌いだった。だから頑張った。豊田真由子みたいに笑。満たしたと思っても次から次へと課題が現れて(やり遂げても不安になって、自ら更に上の課題を設定する)、そして疲れ果てる。疲れても疲れても、睡眠を削ってでも課題に取り組む過去の自分を、今はバカだなって思う。それは、今ではもはや、少し暖かい気持ちで。










◆「頑張れ、私」のフレーズ今は無くなってる
過去の記事はその最後に「頑張れ、私!」とよく書いていました。そういえば、書いてた。本当にそう思ってました。


最近の記事は全然それを書いてないです。焦る気持ちがなくなったんでしょうかね。いい傾向だと思います。


今の私は、ACを克服することや母から逃げることに対して「頑張れ、私!」って思ってないです。心に余裕が出てきた。










今日は過去記事を頭から読んで、4分の1くらいまで読み返しました。
また明日、読み返してみよう。


こんなに色々変化を感じられるとは。
自分の心の変化がよくわかって気分が明るくなります。ブログ書いてよかったなあ。これからも続けよう。


読み返すきっかけとなったのははてなから来た「半年経ちましたよ」のお知らせメール。はてなさんどうもありがとうございます。

84🤫なんか毒親分析をしたい〜①

どうも。ACです。
この前、このアパートに越してきてから初めて湯船に浸かりました。やっぱりお湯に入ると気持ちいいです。うちは追い炊きがないので湯を張るのがもったいなくて今まで使ってませんでした。疲れたときやリラックスしたいときには、やっぱりお風呂ですな。










さて、気が向いたので毒親ディスる記事を書こうと思います。


多分他にも出てくるような気がするので、この記事のタイトルは「①」としてみました。


こんなことわざわざ思い出して羅列して何になるのかはわかりませんが笑、なぜか書きたいと思ったので書いておこうと思います。











それでは。
毒親あるあるを言いたい〜。








◆イヤミを人の言葉として伝えがち

「玄関にある靴が邪魔だって、ばあちゃんが言ってたわよ」

忍法! ◯◯が言ってたわよの術。


毒親は自分が他人からどうみられるかを謎のポイントで気にする生き物なんじゃないかと思います。


周囲の人間から嫌われることや能力がないのを知られることなどを、極端に恐れている節があります。だから、何かあると「私は✖︎✖︎だけど、〇〇がこう言ってたから」「〇〇の話だとこう」などと、自分が責任を負わない方向に持って行くやり方で話したがります。


しかし見てくれや世間体を気にする割にはその考えは本人の中だけの基準なので、他人からすればなぜそんなに人のせいにしたがるのか、見栄を張っているのかと、疑問に感じたりします。


この例の場合、「靴をどかしてほしい」そう言えばいいだけです。


更には、それを伝えるのに当たって「邪魔だって言ってた」というイヤミな言い方になってしまう。


イヤミな上に、発言の責任を他人になすり付ける。


もうこれは、ひねくれた性格と自信のなさが露呈している以外の何でもないでしょう。











◆謝らない

「私が悪いって言いたいんでしょ?!怒」


毒された人々は決して謝りません。
自分の否は認めません。
薄々自分が悪いとわかっていてもです。


認めることを恐れているのです。
もともと自尊心が無いからです。


また、責められているわけではないのにそう捉えるひねくれた部分があり、勝手に『責められた!』と感じて同様の発言をすることもあります。


おそらく本人には、本当にそう聞こえているのです。自らが毒に侵されているので、そのように脳内変換されてしまうのでしょう。


哀れな人たちです。










◆恩着せがましい

「育ててやったのに」


毒親といえば、恩着せがましい。
よくありますよね。


そう言えば、うちの毒親が、老後のことはああしてくれこうしてくれと、私に楽しそうに話してくることがありました。当時は、言われなくても親ですもん、親が歳をとったら面倒を見ようなんてわざわざ考えもしないほど、そのことを当たり前に感じていました。


でも、老後のために子どもを産んだんだとか言われると、悲しい気持ちにしかなりません。










◆都合がいい

「心配なのよ!泣」


私が一人暮らしをしようと思うと初めて告げたとき、全力で止められました。なぜなら、依存対象である娘がいなくなることを恐れているからです。


しかしそこで出てきた言葉は「心配なのよ」です。これは違います。自分の手元に置いておきたい、そういうことです。


本当に娘を心配するならば、24歳の成人した私を心配していないで、10代の頃の荒れ狂ってた私に、そんな風に泣き怒りながら「心配なのよ」と言ってあげて欲しかったです。


手のつけようもなく荒れた10代の私を、毒親はほぼ無視でした。それが、20代で真面目に(?)なった私には、幼い頃暴力でねじ伏せていたようにまた強気で挑んできます。


相手を見て、都合のいい言い方をする。
反抗されると分かれば無視を決め込む。


出て行けとかあんたみたいな子どもを産んだ覚えはないとか、散々罵ったり暴力を振るったかと思えば、今度は「あなたしかいないわ」「あなただけよ」と擦り寄ってくる。


毒された人々は都合がいいんです。


……ただその人々には、自分が都合のいいことばかり言っていることに自覚がある人とない人がます。
自覚ありはメンヘラです。暴力を伴うことが安易にあり危険。
無自覚で本気でその言葉を口にしているのは大体過干渉です。
……どちらにしても厄介です。










◆他人への愛想 は いい

「あなたのお母さんは、気さくで明るくて元気で、いいお母さんだね」


学校の先生や、元婚約者の両親、他にも何度か言われました。


私から言わせて貰えば、そんなのは見てくれがいいだけです。「あなたたちは本当のうちの母を知らない」。あの頃の暴力や罵りを知ったらどう思うのだろうか。


多分、見てくれだけがやたらといいせいで、そのことを他人に言っても信じて貰えないか、私が母を悪く捉えすぎだとか、私がまだまだ子供だとか、親の苦労をわかってないだとか、そんな話になってしまうと思います。ここが辛いところです……。


飯食わしてもらってきたんだから感謝しろと?? そもそも、私は産んでくれと頼んだことなどありません。


あちらが自分で勝手に「親になる」と決めたのです。


















書いててなんとなく思ったけど、私は自分の子供の頃(虐待してた毒親)を振り返る事は簡単にできるけど、


私が大人になってから(私に依存する毒親)を振り返ることはまだあまりできない。
まだ最近の事だからなのか、母と縁を切ろうとしている大人になった自分に後ろめたさがあるからなのか……。


今、落ち着いてきて、振り返る準備ができてきたから、書きたいと思ったのかもしれません。


んー、毒親分析じゃなくて自己分析になった。笑



これが克服の術の内になればいいですけどね。。

83🤫いるいる毒人間。「生きづらさ」あなたも私も毒人間?


どうも。ACです。この前玄関にクリスマスの飾り付けをしました。あは


さて、自分が毒親の元で育っていたと気付いてから約半年が経ちました。ブログを83記事になるまで書いているけど、この問題と正面から向き合ってから、まだ半年程度なのですね。


それ以前の私は「毒親」という言葉自体を知らなかったし、


子どもの頃に受けた暴力も「虐待」だとは捉えてはいなかったし

(うちのお母さんは躾が厳しかっただけ、私ができの悪い子だっただけでお母さんは悪いわけではない、そう考えていた)


私が大人になってからは、母のことは変わった人なのだとは感じていたけどそれだけだったので、


毒親」というものを知ったときはその当てはまり具合にぶっ飛んだのもです。









この半年間、「毒親」問題について考えたり、過去を振り返ったり、調べて勉強をしたり、皆さんのブログを読んでいたりすると、色々と思うことがあります。


結構いるんですよね。身近に。


「毒人間」。









「毒人間」とは、私たちの身の回りに存在する人で、親に限らず、毒に侵されていることに気付かず苦しみながら、あるいは毒を振り巻きながら生活している人たちのことです。勝手に名付けました。


「毒」はなにも、親ばかりが持っているものではない。職場の中にいるかもしれない、友人にいるかもしれない、家の隣人かもしれない、、、


私はそう思っています。









しかしながら、自分以外の人間の毒に気がつくことができても、自らの「毒」に気がつくことは難しく、その自らの毒を解毒することは本当に、殊更に、難しいことです。


人は、生きるためについつい、何かを思い込みながら生きています。それは社会の一としてうまく環境に溶け込むための処世術であり、自らの精神を保つための防衛術でもあります。


みんながしていること。


しかしそれは、ときに周囲の人間に押し付けられ、物によってはそれが毒になる。だからこそ、私たちの身の回りには「毒人間」が溢れているのです。











先ほど書いたように、人には大抵「思い込み」があります。それは「価値観」と呼ばれることもあります。


なぜ私がここで「価値観」を「思い込み」と呼ぶかといえば、価値観なるものは人それぞれ異なるにもかかわらず、自分の思うそれが一番いいと思って押し付けてくる人に対する嫌味です。笑


その押し付けて来る人を、私は「毒人間」と呼びます。


あなたの周りにもいませんか?
「毒人間」。


いるな…と思った人。
ここで、考えてみたほうがいいことがあります。


「いる」と思った人、その想像した人は、本当に毒人間かもしれません。私はその人に会ったことがありませんから分かりませんけど、さぞかし対応に困っていることでしょう。ストレスを感じていることでしょう。


ただ、ここで想像したのが、特定の人物ではなく漠然と「そういう人いるよな〜ほんとやだやだ」くらいにしか思わなかったけど「いる」側の回答をした人。あるいは感じた人。


その人は、もしかしたら、毒に侵されているかもしれないと、私は思います。


人との関わりの中で、自分が遠回しに嫌味を言われているように感じることが多い人や、
見下されている、バカにされているような気がする人、いませんか。相手がはっきりあなたを見下す言葉を口にしたわけではないのにそう聞こえる。そう感じ取る。

それ、「生きづらさ」ですよ。


人によってはそれを糧にして何クソ根性で努力を惜しまず頑張る人もいます。でも、その生きづらさのせいで、自暴自棄になる、破滅型の人生を辿る人もいれば、自分を責めたり、抱え込んだりしてネガティブな感じや冷めた感じになる人もいます。鬱になる人もいます。


それは全て、毒に侵されて「こうでなければならない」と思い込んでいるからです。
「こうでなければならない自分」と「実際の本当の自分」が違う人間なので苦しいのです。


何クソ根性のひとも、
破滅型の人も、
冷めた感じの人も、
心の中が毒されていて(思い込みがあって)
その裏返しとして頑張ったり開き直ったりしているだけ。ついていけなくて病んでるだけ。


これは、治せます。
自分でなおすのは結構難しいけど。。


「自分と他人は、価値観が違う」


それだけのことです。


頑張って治したほうがいいかなって思うから、私はそうしています。、のつもりです、、まだまだ全然自信ないけど、、


治さないと多分、後輩を育てるときや、何より自分の子どもを育てるとき、その子が毒人間に育ちますよ。きっと。


あなたの価値観(思い込み)の、
「こういうものは、こうあるべき」
みたいなことを無意識に押し付けてしまうから。


押し付けている時のあなた自身も、すっかり毒人間でしょう。



毒人間によって毒に侵されて育つと、人によっては気付かないまま自らがいつの間にやら毒人間となり、毒の連鎖を繰り返します。


私のように暴力や金銭面でのことなど、非常にわかりやすいケースなら毒にも気がつきやすいのでしょうが、「親は自分のために色々とやってくれている」と思うと毒がわかりづらいケースがよくあります。


親子でも違う人間です。親が色々やってくれてるから、その期待に応えないといけないと思ってるけど、ほんとは違うことをやりたい、、、とか典型。。。


その思いを告げた子どもが、親に猛反対された挙句に「そんなくだらないこと」などとバカにされたり罵られたりする、、、とかも典型、、、。


親と子でももちろん価値観が違って当然なんだから、
他人と自分は違う。



異なる価値観を持っていて、それは
自分と(あるいは自分の属するグループと)異なる価値観だからといって人をバカにする材料にはならないし、
反対に、自分をバカにしてくる奴らも違う。


価値観の違いを、
わかってる人/わかってない奴
として捉えるのではなく、
単なる自他の違いとして捉えれば、
人を尊重し、自分もあるがままをうけいれれば、
それが解毒になる。











「生きづらさ」


それは、持っている限り自分が苦しいし、いずれ必ず誰か(大抵は子ども)に受け継がせてしまう。


価値観はあなただけのもの。
大切にすればいい。


時に押し付けてしまうのは、毒によってそれと違う方向性になることを恐れてしまうから。


そういう時もあると思うけど、頭と心を柔らかくして、相手を自由にさせてみることもたまにはアリかも。どれほど「違う!」と自分が思っても、自分の価値観は押し付けず我慢できる機会があればやってみるのもいいかも。


違う方向性の向こうの方に、知らなかった素晴らしいものがあったりする。その時、毒に気づけたりする。


世の中に溢れる毒人間。
日本人はアタマカタブツが多いって言うけど、「こうでなければならない」とか、そういうの多分、この世の中にない(犯罪行為とかそういう系以外は)。


劣等感なんて感じることないし、
見栄を張ることもないし、
人を批判することもない。


みんな違うだけ。


私はまだまだ修行中。





「生きづらさ」

捨てよ。

82😕ふと湧き上がる感覚。毒家を出てから3ヶ月半。


今日、いつもと同じように、仕事から帰って、ご飯作って食べて、テレビ観て、お風呂入って、髪乾かしてたとき、洗面台の鏡の前で、急に。


「何でこんなところにいるんだ?」


と、ふと思いました。。


違和感というか、よくわからないような気分になったから、部屋の掃除をして紛らわせました。。というか現実を確認した、というか。。












私が、8月から借りているこのアパートに住んでるのは、自分が毒家を出なければ! と考えて出てきたんだから、自分の意思で行動した結果なのに、それなのに、そんなことを感じるなんて、不思議なことです。


そもそも、毒から離れることができて生活が安定し、精神面もよくなり、毒のない暮らしができている今を幸せだと感じられるし、実家に帰りたい気持ちなど微塵もないのです。


でも、前にも何度かありました。同じ感覚。
アパートで過ごしているとき、たまに、急に、感じるんです。


「あれ、私、何でこんなところにいるんだ」


なんか、他人の家に来ちゃってて家に帰りたい気持ち(ホームシック?)になったみたいな感覚です。落ち着かないし居心地悪く感じたときみたいな。


それで、過去を思い出す作業をして、納得する。


「あ、そっか」


それで、この感覚については、
AC独特のやつだったりするんかな。とか、
毒親のお土産かな。とか、
まだ鬱の名残があるからなんかな。とか、
一人暮らしあるあるなんかな。とか、
色々考えます。
多分一番最後のやつです。


ーー何度かこの一連の流れを経験しました。。。










何なんですかね、これは。


ここでの生活はもう慣れたと思っていたけど、この感覚に襲われた後は鬱だった頃みたいな変な感じがします。情緒面で、なにか違和感があるような。落ち着かないそわそわするような。「死にたいさん」が来るときのような。


自分のことを後から振り返りやすいように、こんな些細なことだけどこれもブログに書いておこうと思います。

81😐どうしても一回グチりたい


どうも。ACです。


今日は、どうしても、どうしてもグチりたいので、ACと全然関係ないやつ書きます。





今、期間限定で勤めてる職場、すごい汚い。笑
子どもを預かる施設なんですけど、埃だらけですごい。。汚い。、


私、幼い頃から鼻炎持ちだから毎日毎日辛すぎ〜!! こんなに連日で鼻炎薬飲み続けたことあったかなって思うーーー


押入れ開けるたびにクシャミ連発!!
「大丈夫ですか?笑笑」


窓開けるたびにサッシの部分の埃が舞って、クシャミ連発!!
「大丈夫ですか??笑笑」


毎日毎日鼻水でまくる!!
「大丈夫ですか??笑笑」


……大丈夫じゃな〜い!!笑


埃が積もりまくり! いくら私が掃除したところで、みんなはあんまりやらないから意味ない! 汚い!!


あと2ヶ月半で退職!
それまで鼻炎薬で乗り切るしか!


私、あの職場行き始めてから鼻がイカれ続けてて、匂いとか味がよくわかってないと思う〜。鼻の下が荒れて皮むけ気味なのも困る〜。痛いしファンデが乗らないよ!


仕事で子どものオムツ変えたりするけど、うんちっちが出てる時は大体みんな臭いでわかるのに、私だけ気付かない。笑


多分みんな私の鼻がおかしいだけだと思ってるんだろうけど、おかしいのは毎日ホコリまみれで生活してる君達だからな!!!バカにすんなっ泣 つらい!



80🌑毒親育ちでも気楽に生きられる


毒親
「毒家族」
「毒になる親」



……これらの言葉を目にする、あるいは耳にすることが増えましたね。


私と同じように、あるいは私よりもずっと早くに、このようなことでブログを書いている人はたくさんいます。


ブログを見てると、毒親に対してずっと毒づいているだけのブログがあります。笑
きっと、自分が変われないと、一生そうやってイライラしながら生きて行くんだろうな。


解毒のための指南をしているブログ、過去を1つずつ振り返っているブログ、様々ありますけど、みんながそれぞれのところに立っていて、このくだらない世の中を一生懸命に、あるいは仕方なく、生きているのを感じます。


私のブログは、主に自分がどんな状態にあるか分かるように、自分のことを書いています。前は整理をつけるために振り返って色々書いてました。


さて、先程「自分が変われないと、一生そうやってイライラしながら生きて行く」と書きました。


毒親持ちの皆さんが奴等に対して沢山の恨みつらみがある中で、私もその1人として生きていますが、私は毒母に対しての恨みは、今はあまり湧き上がってきません。


落ち着いてるだけかもしれませんが、でももういちいち恨まないかな。でもガッカリした気持ちは多分一生消えない。


これは、私が、そう感じる人だっていうだけ。人によっては、怒りが満ちて一生消えないと感じる人もいると思うし、みんな違うのは当たり前だと思う。


今日私が一番言いたいことは、みんな違うのが当たり前だってことなんですけど、私の周りにはあんまりそれに気づかない人が多いと感じる。


皆さんの周りにもいるかもしれないけど、
「普通はこう」とか、
「常識ってもんがある」とか、
「信じらんない」とか、
そう言う一見ものがわかったような言い方をした自分基準の言葉を口にする人って多いと思う。


一応言っておくと犯罪などの明らかに社会に迷惑を被るタイプのものまで含めて言ってるんじゃない。そういうのはダメに決まってる。普通の会話の中にあるものの話。


他にも
「男の子ってこう」とか
「子どもってこう」とか
「年寄りってこう」とか
それも勝手な思い込みが染み込んでいて、知らず知らずにそういう自分基準の言葉が出てくる人っている。


「あの人はいまだに◯◯だなんて、いったいいくつだよ」みたいな言葉とか、
「あの子はカラオケであんなにはしゃいで、若いよね」みたいな言葉も、
私には違うと感じる。


変な言い方すればいくつになってもバカな人はバカだし、若くても賢い人は賢い。
35歳だってハッチャケる人はハッチャケるし、18歳だっておとなしい人はおとなしい。


人はみんな違うってこと。
歳なんて関係ない。


自分の価値観と違う相手をバカにする対象にしてしまう人が多いと思う。


例えばファストフードが好きな人を、健康志向の人がバカにしてたりとか。
パチンコ行くのが好きな人を、ギャンブル嫌いが見下してたりとか。


ファストフードだって食べたら美味しいかもしれないし心が満たされるかもしれないし楽しい食事になるかもしれない。
パチンコだって自分の稼いだ金の中で節度を守って楽しむ分にはとてもいい娯楽なのかもしれない。


でもそれをバカにしたり見下したりする人は、頭と心が凝り固まってる。それによって被害を被った過去があるならまだしも、誰かから洗脳されてるだけの可能性もある。後者は厄介。生きづらさを生じるから。


そういう風にバカにしたり見下したりする人は、みんながそうとは言わないけど極端な思考の持ち主だと思う。


ファストフードの件なら食べすぎると健康に悪いのにそんなもん食ってるなんてバカだろ、とか。
パチンコの件ならそんなもんに金使って借金地獄にでもなったらどうするんだバカだろ、とか。


実際にファストフードの食べ過ぎて肥満になって糖尿になって歩けなくなったら、私もそればバカだなとは感じるし、
実際にパチンコのやり過ぎで借金にまみれて自己破産とかしたら、私もそれはバカだなと感じるけど、
実際にそうなってないなら、そうならないように上手にやりくりしてるなら、いいじゃんそれで。


そういう風に人の考えを受け入れたり推測したりすることができないから、毛嫌いしたりバカにしたりするんだと思う。頭と心が凝り固まってるから。


人はみんな違う。


中には本当に何にも考えてない人もいるだろうけど、バカなところを持っていても、まあどっかしらいいところとか持ち合せていたりたりする。


そういう風に捉えられない。


価値観が違うだけ。
年齢とかも関係ない。
立場とかも関係ない。


そういう風に捉えられない。


そういう風に捉えられれば、ひとはひとだし、自分は自分だし、いちいち他人にイライラせずに生きられる。まあいっか(^^)って思える。何度も言うけどそれで被害を被ってないならね。トラウマとかってやつもあるし。


この世の中には多分、
「普通」とか
「常識」とか
そういうものは存在してないと思う。


職場ごとに「常識」は違うし、
1人の人間ごとに「普通」っていう感覚も違う。


ただそういう中で、まあまあ上手に人付き合いしていくし、たまに似てる人を見つけて仲良くなったりもするし、ぶつかったりもするし、それで普通。


許せないと思う相手が何故か多い人や、
理解できない奴ばかりだと感じる機会が何故か多い人、
または、関わりのある人間のほとんどを見下しているような気が自分でしている人は、
自分の中の価値観が、つまり頭と心が凝り固まってるせいではないのか。


自分の考えは、自分の中だけで貫いたらいい。それは自分がどんな人間であろうとも自分の自由だということだし、人も人で自由なのだ。まあそりゃ仕事においては難しいこともあるけどさ。私が言ってるのは「生きづらさ」の話。


生きづらさを生み出しているのは、自分の中にある価値観。もっと言えば悪く出てるこだわりの部分。


その価値観が誰かから植えつけられたものであったとしても、これに気づけば変えられるよ。 んん ……変えられる、というより上書きする事はできる、と言った方が正しい気がするけど。


毒親に育てられた人でも、毒までいかなくても考えの偏った親に育てられた人も含めて、その、「変な」親から植えつけられた「変な」価値観はやっぱり根深く自分を巣食っているから、100%矯正することは多分不可能な気がするけど、それが「変だ!」と気がつく能力があるなら、あるいは気がつく機会が偶然でも得られたなら、変えられるよ。本当の自分が感じる心地よさを、上書きすればいいから。誰かから強制された生き方を、やめたり変えたりすればいいんだから。


この世の中が、というか日本という国が、もっと変わったらなあ。互いの違いを受け入れられる社会なら。これもやりやすいのにね。


まあ、日本が集団意識や謙遜意識の塊だからこそ、今の日本があるのかもしれないから、……まあいっか(^^)






まあでもね、毒親育ちなら、全ては毒親の元を離れてからの話ね。