32🌑死にたい気持ちを無視すると死ぬ
「死にたいさん」
それは小島慶子さんの言葉だ。私にも時たま起こる死にたくなる気持ちがこう擬人化されて、気持ちを客観的に捉えることができるようになるのでありがたいと思っている。
私のところに、今日は朝から「死にたいさん」がやってきている。帰るそぶりを見せるのだが、なかなか帰らないのだ。もう夜になった。
*◆「消えたい」と「死にたい」
死にたい気持ちが現れるようになったのは、4月の一件からだ。始めは「消えたい」と感じるところから始まった。その辛さから信頼できる相手にだけそれを打ち明けると、誰もそんなこと望んでないよ、悲しいからそんなこと言わないで、と言われた。当たり前だ。相手は慰めているつもりなのだ。
しかし、そう言われると、本人は素直に黙る。誰にも言えなくなる。そんなことを話せる相手なんてそうはいなかったのに、その相手に拒否されれば誰にも言えなくなる。
言わないでと言われると、「消えたいと感じるが誰にも言ってはいけないという状況」にただ変化するだけ。消えたい気持ちを内側に抑え込むだけの日々がはじまるだけなのだ。
ひとり、心のなかで、「消えたい」と願っていた。
誰にも打ち明けずひとり思い続けていると、消えたい気持ちは具体化してくる。
「死にたい」に変化するのだ。
そして、具体的な方法を考えるようになり、何かの契機に実行してしまう。私の場合はあのときたまたま完遂されなかったためにこうやって今ブログを書くことができている。
*◆「死にたい」と思う癖
ーーそれからというもの、あの時は死なずにすんだが、時たま死にたい気持ちに苛まれる。しかしそれは、4月の頃のように具体的に死にたい理由などなく、ただ、漠然と「死にたい」と感じる時間が始まるのである。
やりきれない思いや孤独感に襲われたときに限らず、前兆もなく唐突に現われたり、朝起きると既にあったりする。ただ、今のところ日をまたいで思い続けていることはないのが救いである。
5月のころは、「死にたい」と思ったとき私はそれを否定するよう心がけた。思い続けていると、具体的に方法を企図した挙句、何かの契機に実行してしまうことになるのが怖かったからだ。「いや、死んではいけないのだ」「自死は単に周囲に迷惑をかける」「友人が悲しむ」「元婚約者が自分を責めるかもしれない」そんな風に考えるようにした。
誰かのブログで、「死にたいたいと思ったときは時間をやり過ごすといい」と書いてあるのを見た。漠然とした希死念慮は、長くとも概ね8時間もすれば消えているものであると。
それ以降死にたい気持ちになったときは、そのときできそうなことを適当にやって過ごすようにした。「死にたい」と検索をかけてみたり、眠ったり、泣いたり……、適当に何かしていれば、確かにそのうち、いつのまにか、死にたい気持ちが失せているのだ。
*◆希死念慮を自分の意思とは切り離さなければならない
そのうち、「死にたいさん」という概念に出会う。死にたい気持ちに襲われるのではなく「死にたいさん」が『やってくる』。
なるほど、死にたい気持ちに襲われる・湧き上がるという恐ろしい感覚から、何となく客観的に、自分の心情とは切り離して希死念慮を捉えることができる。死にたいと願うことが自分の意思ではないのだと思うことができるのだ。「私が死を願っているのではなく、死にたいさんが、勝手に『やってくる』」
私は小島慶子さんに「死にたいさん」という概念を分けてもらってから、こう考えている。
時折アポイントなしでやってくる「死にたいさん」は、相手をしてやればそのうち帰ってくれるのだと。「死にたいさん」が満足するまで、一緒に遊んであげればいい。ーー「遊んであげる」という考え方は、私が幼児教育に携わっていたからだろうか。
とにかく、死にたいと思ったときはそれを抑え込むことをしなくてよいのだ。そう思うなら素直に「死にたい」と口にすればいい。我慢する必要はないのだ。
むしろ我慢はダメだ。「死にたいさん」は遊んで欲しがっているのに、我慢してしまっては、死にたいさんの遊んで欲しい気持ちを拒否してしまうことになる。
死にたいさんが怒ったら、どうなるか知ってる? ……死にたいさんが怒ると、数時間や1日くらいじゃ帰らない。毎日毎日あなたの元に居続ける。ちゃんと向き合ってくれるまで毎日毎日い続ける。
毎日毎日死にたい気持ちを内に閉じ込めてしまうと、具体的な死に方を考えるようになる。そして何かの契機に実行してしまう。つまり…
「死にたいさん」を怒らせると、
殺される。
*◆「死にたいさん」がくる人は、気をつけないと…
ーー今日は、朝から「死にたいさん」がきている。朝は「死にたいさん」に少し付き合った。それなのにまだ帰らないのだ。……私はどうやら「死にたいさん」を少し怒らせているかもしれないと今気づいている。死を願う気持ちが今なかなか振り払えず、取り込まれていると感じるのだ。
午前中は再就職の件で色々とやることがあったし、午後も借りてきた西島秀俊主演のサイコパスのDVDが返却日に近いので観ておかなくちゃ、なんて思って観ていた。頭のどこかに死にたい気持ちがよぎるのを、いつものことだしやることあるし、なんて考えて無視していた。……多分「死にたいさん」は少し怒っている。いや、まだ、拗ねている、くらいの段階かもしれない。
「死にたいさん」を無視してはいけない。今、これに少し後悔して…、というか、機嫌取りをしないと取り込まれてしまうのではないかということに気付き単純に怯えて、このブログを書いている。やらなきゃいけないことや、いつものことだし、と流さず、今私がやるべきこと、「死にたい気持ち」と向き合っている。
これは私に限った話ではないのではないか。うつ病の人も、人格障害の人も、仕事に忙殺される人も、人間関係に悩む人も、みな、同じなのではないか。
「死にたいさん」を怒らせると、殺される。
ーーーつまり、
死にたい気持ちを無視すると、死ぬ。