132鬱だと思ってたら双極性障害だった
今年、令和3年。
初ブログ。
またしばらくあいてしまったなあ。
でも、前述の通りこのブログは、のちの私のためのメモであり、それがたまたま誰かの目に留まって何か感じるものがあるとしたら、ここに書く意味もあるかなと思ったから。
では、書く。メモ。
先日、思い切って病院を変えてみたら、双極性障害の診断が出た。
今回はその診断がついた時のことを書こうと思う。
再発時、「適応障害」
半年後、「不安障害」
半年後、「うつ病」
半年後、「双極性障害」←現在
私の診断の変遷はこんな感じ
大体半年おきに転院した。
今やっと、着地したような、そんな気がする。
今までずっと、気分に波があるとは思ってた。
今の先生は、私が
「波に振り回されて困っている」
と話したことや、今までの事柄をきき、それに対して
「んー、何から説明しようかな。」
そう言って、大うつ病性障害と双極性障害の違いをとても丁寧に説明した。
説明を聞きながら、身に覚えのあることが多くて、やっとわかってもらえた、と感じて涙が出た。同時にその涙は、ショックを受けて絶望的に思えた気持ちも含んでいた。
双極性障害について(ちなみに私はⅡ型)、気にはなっていたけど、当てはまる様な当てはまらない様な、調べる限り自分では、よく分からないというのが本当のところだった。
先生は
「双極性障害は遺伝的な要素が強い」
そう話した上で、
「ご両親のどちらかに同じように気分の波がある人はいませんでしたか」
と聞いてきた。
私は考えたが、よく分からなかった。
すると先生は質問の仕方を変えた。
「では、同じことをしても、その時によって反応が違う人はいませんでしたか」
これには、「母だ」と迷わず感じた。
このとき、思ったことがある。
双極性障害とは、単に気分がいい、悪い、と言った上下の波だけではなく、その時々によって態度が変わるような、左右の波も含まれているのか、と。
そして、それが双極性障害の波であるならば私の母はその波を持っているし、ならば今の私の病気は、「生まれつき」ということになる、と思った。
誤った認識であるが、
それは私にとってひどいショックだった。
このブログを始めたとき、私は「たくさん認知の歪みを持ってこじれた人」なのだろうと思った。そして家庭環境を考えると、「アダルトチルドレン」なのだろうと思った。だからそういうタイトルにした。
だけど、先生の話を聞く限り、私は生まれつき双極性障害の要素を持っていて、そこに環境要素が加わって、発症したということだろう。
私はそれまで、アダルトチルドレンであることの原因は一心に母であり、全て母のせいだと思うようにしたり、
母もそのような環境で育ったのだろうから仕方がないし母も可哀想な人だと思うようにすることで、おそらく自分を保っていた。
でも、私が元々生まれ持ったものが顕在化したのならば、
「やはり私がおかしいんだな」
そう思った。
その涙は、先生が私を理解してくれると感じた嬉しさの涙に混じって、一緒に出てきた。
複雑だった。
診断を受けたその日は、処方された新しい薬と「神田橋語録」なるものを受け取り、あとは、ただただショックからか、ソワソワして落ち着かなかったし、食欲も出なかった。
次の日、朝から絶望感でいっぱいだった。
幻聴が聞こえるようになった。
……疲れてきたから、またこんど書こうと思う。