適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

85😊毒家を出てから4ヶ月


毒家から脱出して4ヶ月が経ちました。
はてなからお知らせがきたけど、このブログを始めてからは半年が経ったようです。


振り返ってみるのには区切りがいいかなと思います。



前は、うつ気分がぶり返してきて辛いので過去の記事を読み返すことができなかったけれど、今見てみたら、読めるようになっていました。


きっと少しずつ克服していて、時の流れも味方して、過去のことと感じて客観的に見れるようになったのだと思います。


読み返してみて思ったことを書こうと思います。自分のためにです。









◆母と私は共依存関係じゃないよね笑
19番のブログの当時の私は母と自分が共依存関係にあったと思っていたようですが、今思うとそれは違いますね。


幼少の私は暴力の元ただ言いなりになるばかりで、
10代の私は反抗してて、
20代の私は人生を全うにやり直したい気持ちと母への寄り添う気持ち、親子関係の盲信があった。


幼少の私に母は暴力と暴言を浴びせた。
10代の私に母はつけ離したし無視した。
(↑手に負えないことがムカつくから)
20代の真面目になった私に母は甘えたし可愛がったし調子に乗ってた。依存した。


それは別に共依存なんかじゃなくて
ただ自分勝手さに振り回されてただけですね。私が。あとは、母に認められたい思いがいくら年月を重ねても満たされないので欲求が凄まじくなっていた。


それだけ。








◆元婚約者と別れるための手段えげつな。笑
20番のブログ読み返して引きました自分で…(*_*)


あの当時、共依存であることが発覚した彼が怖くて別れたい意向を数回伝えても、やり直したいという返答だけが返ってきていました。


どうにも別れられなくて、思いついたやり方が彼のご両親を巻き込むべく彼の実家に乗り込むという…。それを実行するという…。えげつない。。


あれ私、そういうことやれば彼に嫌われることもできるし別れられるかもだし一石二鳥じゃんとか思ってわざと強行しましたけど、我ながら最低だな!!


クソゲス人間だな、私、。


でも、今の私はそういう思考回路にならないなあと思う。過去の私は自分が思ったことをどうしても実行したくなると手段を選ばないところがあった。執着心がすごいから。でも今は別にどうなってもいっかって思う。成るように成る。それでいい。それは、完璧主義を手放すことができた証であり、諦めのような感覚でもある。












◆完璧主義はかなり薄くなってる
21番の記事、6月2日ですが、自分のことを完璧主義者だときっぱり書いていました。
今は12月3日。半年が経っています。


この半年間、自分を振り返ったり、いそいそとネットや本を読んで勉強したり、実家を出て一人暮らしを始めたり、仕事を始めて社会復帰したり、色々できました。


半年前まで抑うつで死ななくてはいけないと思っていて自殺を図ったような人間とは思えないな…


でもこの半年間の色々が、私を変えた…というか、変わったのではなくて、価値観の上書きという形となっていった、というのが正しい感じがするのですが、そのことは間違いないです。


母には愛情を伝えたところでつけ離されて、毒親とは分かり合えないと聞いていたことをリアルに実感痛感したことは、私がこの家に生まれてきたことの意味は無かったと告げられたのと等しくアイデンティティが死んだのと引き換えに、私を母の呪縛から解放してくれました。


母の価値観で生きるという呪縛が解けると今度は何を基準に物を考える、行動を起こす、働く、日常を過ごす、、つまりどう生きるのか…分からなくなっていましたが、次第に人がそれぞれ自分なりの価値観を持って生きているだけなのだと分かると、生きやすくなりました。それは私には衝撃的な事実だった。


世の中には「普通」とか「常識」とかは存在してなかったんだってこともよく分かりました。それに縛られてるのは個人ですつまりその人の価値観がその人を縛っている。世の中の「普通」や「常識」が個人を縛っているのではない。


ちなみに「普通は〜」「常識は〜」などと言って押し付けてくる奴はただの毒人間。自分のことも縛っていて辛くなりがちな人間。でもそれは、その「普通」や「常識」が正しいと、世の中の正義だと、勘違いしてしまっているから。本当のところ自分が無意識にそれにすがり付いているだけなのである。


それが分かると完璧主義も薄れてゆく。だって、人は、他者の価値観に縛られた中で生きる必要などないのだから。


私は私の中だけの基準(母から植え付けられたもの)を満たさない自分が恥ずかしくて情けなくて大嫌いだった。だから頑張った。豊田真由子みたいに笑。満たしたと思っても次から次へと課題が現れて(やり遂げても不安になって、自ら更に上の課題を設定する)、そして疲れ果てる。疲れても疲れても、睡眠を削ってでも課題に取り組む過去の自分を、今はバカだなって思う。それは、今ではもはや、少し暖かい気持ちで。










◆「頑張れ、私」のフレーズ今は無くなってる
過去の記事はその最後に「頑張れ、私!」とよく書いていました。そういえば、書いてた。本当にそう思ってました。


最近の記事は全然それを書いてないです。焦る気持ちがなくなったんでしょうかね。いい傾向だと思います。


今の私は、ACを克服することや母から逃げることに対して「頑張れ、私!」って思ってないです。心に余裕が出てきた。










今日は過去記事を頭から読んで、4分の1くらいまで読み返しました。
また明日、読み返してみよう。


こんなに色々変化を感じられるとは。
自分の心の変化がよくわかって気分が明るくなります。ブログ書いてよかったなあ。これからも続けよう。


読み返すきっかけとなったのははてなから来た「半年経ちましたよ」のお知らせメール。はてなさんどうもありがとうございます。