適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

83🤫いるいる毒人間。「生きづらさ」あなたも私も毒人間?


どうも。ACです。この前玄関にクリスマスの飾り付けをしました。あは


さて、自分が毒親の元で育っていたと気付いてから約半年が経ちました。ブログを83記事になるまで書いているけど、この問題と正面から向き合ってから、まだ半年程度なのですね。


それ以前の私は「毒親」という言葉自体を知らなかったし、


子どもの頃に受けた暴力も「虐待」だとは捉えてはいなかったし

(うちのお母さんは躾が厳しかっただけ、私ができの悪い子だっただけでお母さんは悪いわけではない、そう考えていた)


私が大人になってからは、母のことは変わった人なのだとは感じていたけどそれだけだったので、


毒親」というものを知ったときはその当てはまり具合にぶっ飛んだのもです。









この半年間、「毒親」問題について考えたり、過去を振り返ったり、調べて勉強をしたり、皆さんのブログを読んでいたりすると、色々と思うことがあります。


結構いるんですよね。身近に。


「毒人間」。









「毒人間」とは、私たちの身の回りに存在する人で、親に限らず、毒に侵されていることに気付かず苦しみながら、あるいは毒を振り巻きながら生活している人たちのことです。勝手に名付けました。


「毒」はなにも、親ばかりが持っているものではない。職場の中にいるかもしれない、友人にいるかもしれない、家の隣人かもしれない、、、


私はそう思っています。









しかしながら、自分以外の人間の毒に気がつくことができても、自らの「毒」に気がつくことは難しく、その自らの毒を解毒することは本当に、殊更に、難しいことです。


人は、生きるためについつい、何かを思い込みながら生きています。それは社会の一としてうまく環境に溶け込むための処世術であり、自らの精神を保つための防衛術でもあります。


みんながしていること。


しかしそれは、ときに周囲の人間に押し付けられ、物によってはそれが毒になる。だからこそ、私たちの身の回りには「毒人間」が溢れているのです。











先ほど書いたように、人には大抵「思い込み」があります。それは「価値観」と呼ばれることもあります。


なぜ私がここで「価値観」を「思い込み」と呼ぶかといえば、価値観なるものは人それぞれ異なるにもかかわらず、自分の思うそれが一番いいと思って押し付けてくる人に対する嫌味です。笑


その押し付けて来る人を、私は「毒人間」と呼びます。


あなたの周りにもいませんか?
「毒人間」。


いるな…と思った人。
ここで、考えてみたほうがいいことがあります。


「いる」と思った人、その想像した人は、本当に毒人間かもしれません。私はその人に会ったことがありませんから分かりませんけど、さぞかし対応に困っていることでしょう。ストレスを感じていることでしょう。


ただ、ここで想像したのが、特定の人物ではなく漠然と「そういう人いるよな〜ほんとやだやだ」くらいにしか思わなかったけど「いる」側の回答をした人。あるいは感じた人。


その人は、もしかしたら、毒に侵されているかもしれないと、私は思います。


人との関わりの中で、自分が遠回しに嫌味を言われているように感じることが多い人や、
見下されている、バカにされているような気がする人、いませんか。相手がはっきりあなたを見下す言葉を口にしたわけではないのにそう聞こえる。そう感じ取る。

それ、「生きづらさ」ですよ。


人によってはそれを糧にして何クソ根性で努力を惜しまず頑張る人もいます。でも、その生きづらさのせいで、自暴自棄になる、破滅型の人生を辿る人もいれば、自分を責めたり、抱え込んだりしてネガティブな感じや冷めた感じになる人もいます。鬱になる人もいます。


それは全て、毒に侵されて「こうでなければならない」と思い込んでいるからです。
「こうでなければならない自分」と「実際の本当の自分」が違う人間なので苦しいのです。


何クソ根性のひとも、
破滅型の人も、
冷めた感じの人も、
心の中が毒されていて(思い込みがあって)
その裏返しとして頑張ったり開き直ったりしているだけ。ついていけなくて病んでるだけ。


これは、治せます。
自分でなおすのは結構難しいけど。。


「自分と他人は、価値観が違う」


それだけのことです。


頑張って治したほうがいいかなって思うから、私はそうしています。、のつもりです、、まだまだ全然自信ないけど、、


治さないと多分、後輩を育てるときや、何より自分の子どもを育てるとき、その子が毒人間に育ちますよ。きっと。


あなたの価値観(思い込み)の、
「こういうものは、こうあるべき」
みたいなことを無意識に押し付けてしまうから。


押し付けている時のあなた自身も、すっかり毒人間でしょう。



毒人間によって毒に侵されて育つと、人によっては気付かないまま自らがいつの間にやら毒人間となり、毒の連鎖を繰り返します。


私のように暴力や金銭面でのことなど、非常にわかりやすいケースなら毒にも気がつきやすいのでしょうが、「親は自分のために色々とやってくれている」と思うと毒がわかりづらいケースがよくあります。


親子でも違う人間です。親が色々やってくれてるから、その期待に応えないといけないと思ってるけど、ほんとは違うことをやりたい、、、とか典型。。。


その思いを告げた子どもが、親に猛反対された挙句に「そんなくだらないこと」などとバカにされたり罵られたりする、、、とかも典型、、、。


親と子でももちろん価値観が違って当然なんだから、
他人と自分は違う。



異なる価値観を持っていて、それは
自分と(あるいは自分の属するグループと)異なる価値観だからといって人をバカにする材料にはならないし、
反対に、自分をバカにしてくる奴らも違う。


価値観の違いを、
わかってる人/わかってない奴
として捉えるのではなく、
単なる自他の違いとして捉えれば、
人を尊重し、自分もあるがままをうけいれれば、
それが解毒になる。











「生きづらさ」


それは、持っている限り自分が苦しいし、いずれ必ず誰か(大抵は子ども)に受け継がせてしまう。


価値観はあなただけのもの。
大切にすればいい。


時に押し付けてしまうのは、毒によってそれと違う方向性になることを恐れてしまうから。


そういう時もあると思うけど、頭と心を柔らかくして、相手を自由にさせてみることもたまにはアリかも。どれほど「違う!」と自分が思っても、自分の価値観は押し付けず我慢できる機会があればやってみるのもいいかも。


違う方向性の向こうの方に、知らなかった素晴らしいものがあったりする。その時、毒に気づけたりする。


世の中に溢れる毒人間。
日本人はアタマカタブツが多いって言うけど、「こうでなければならない」とか、そういうの多分、この世の中にない(犯罪行為とかそういう系以外は)。


劣等感なんて感じることないし、
見栄を張ることもないし、
人を批判することもない。


みんな違うだけ。


私はまだまだ修行中。





「生きづらさ」

捨てよ。