本当の自分 〜脱・AC〜

性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

29🌸だからうつになったんだよ、私 。

ベストセラー本「脳が壊れた」についても書いているので、お時間があれば今回のこのブログを読んでください。

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完璧主義だからさぁ、うつになったんだよ私。あと「可愛がられたい病」。

自業自得ってもんよ(*゚▽゚*)

 

先に言うと私はもう、うつではない。それも、大うつとして数ヶ月、数年に渡りうつを患ったわけでもない。

せいぜい数週間程度の、抑うつを体験しただけだ。体験しただけ、と言ってもそれはとても苦しい日々だった。うつは心だけでなく体もズタズタにしてくる……。とくべつ、内面に「死」を持ちかけてくることは、うつの非常に辛い産物である。

 

抑うつ状態が2週間以上にわたり慢性化した場合大うつと診断がされるという記述を見たことがあるが、私の抑うつ状態は2週間程度でその前後のひどい情緒不安定を入れても1ヶ月とちょっと程度のことだ。細かいところはよくわからないし置いておく。

 

私の抑うつ状態の原因となった「完璧主義」と「可愛がられたい病」はひどいものであった。どちらも母が私に28年かけて送ってくれた愛情の賜物である。良くも悪くも作用した。

 

いくつか前の記事に「ステンドグラスクッキー」を作ったことをわざわざ写真付きであげているが、20歳前後 当時の私は、中学生の頃から徐々にハマりだした菓子づくりを特技としていた。

 

菓子を作るには、家で作る手抜きでも美味しいおかずと違って、大雑把に作るよりも分量をきちんと決めて作ることでより美味しく感じられた。完璧主義からくる心理なのか、きちんと決められていたり研究によって一つの解が導き出されそれを続けていくことは、私にとってとても心地よく快感なのだ。そして女子としてはお菓子は可愛がられるにはうってつけである。

 

なぜか殊更にクッキーが好きで、サクッと軽いクッキー、カントリーマアムのようなしっとりクッキー、卵を使わないホロホロ食感のスノーボール、バリバリ食べる固めの腹にたまる系クッキー、ステンドグラスクッキー、他……。

色んな種類のクッキーを作っては、それに見合った粉とバターと砂糖と卵の分量・割合を少しずつ変えて研究を重ねては自分の納得いくレシピを作り上げるのが趣味であった。

そのこだわり様は趣味の範疇を超えそうな勢いで、菓子には通常 薄力粉を使うものだが、場合によっては強力粉を使用したり、砂糖も上白糖、グラニュー糖、粉、三温糖、きび、黒糖、それはそれは様々に変えて研究する。

ちなみに研究したのはクッキーだけではない。色々な焼き菓子で独自の研究のもとレシピを完成させている(何度やっても納得いく完成度にならなかったものも多数あるが)。

 

ここには完璧主義なのか、完璧に仕上げたい、というか仕上げなければ!  という強迫的な心理が隠されている。

 

では何故「強迫的」 なのかというと、人にあげたいからだ。人にあげるものや見せるものは「100点」でなければならない。これも完璧主義的思考であるが、100点を取らなければならない深層心理は、母の偉大なる愛情の賜物である。

 

では何故「人にあげたい」のか。それは、「可愛がられたい病」だからだ。私は人から可愛がられたい、褒められたい、認められたい、そんな肯定されたい欲求により生かされていたと言っても過言ではなく、それはおそらく病的なほどである。だから菓子のレシピを一般の趣味レベル以上に研究したり、14歳の時には4、5年分の、グレてサボった勉強を一年で巻き返してむしろ平均よりずっといい成績を残して見せたり、パギャルのヤンキーみたいなガキだったのが一念発起、幼稚園の教員になれたりしたわけだ。

 

私はその全てをやってのけた時々において、誰かが褒めてくれることに関して、「やったー!」と思うと同時に前記事の「インポスター症候群」により、謙虚なのではなくむしろ後ろ向きに捉えていた(本当は見せかけだけの頑張り屋さんぶってるだけの私なのではないか……と密かに悩む)わけだが、まあそれは大方あっている。

 

妥当な答えを導き出すと、様々に何かを成し遂げたことは、自ら素直に喜び誇りを持って良いし、持つべきなのであろう。自分がそれを成し遂げたのは事実なのだから。後ろ向きにとらえる必要はない。実力と努力がなければなし得ないことだろう。

だが、その努力の原動力が「可愛がられたい病」であったことは、それを認知できている今、歪んだ深層心理であったことを認め、改める必要がある。

 

そしてこの「完璧主義」と「可愛がられたい病」は私の人生に根深く這うように広がって、ねっとりと纏わり付き、私の人生を見事にブチ壊してくれた。

 

完璧主義は自分と恋人を苦しめ続けた。可愛がられたい病がそれを更に色濃く複雑で捻じ曲がったものにする。

「私はこんなに頑張っているの!」

「私は人が尊敬するくらい頑張れるの!」

「私は正しいの!  誠実で道徳的で正義を重んじるの!」

「あなたも私の価値観わかるでしょ??」

と言いながら周囲の人間に良い子の押し売りを365日繰り返し恋人には恋人ならばわかるでしょと言って追い詰める。

私っていい子でしょ!  と言いながら生きている。

 

それを肯定してもらえることもあるが、恋愛においてそれは長くは続かない。大抵私が求めすぎるのだ。

しかも相手は私が完璧で誠実であることなど、私が思うほど強くは願っていないのに。一人で高い課題を設定し、相手にも同じ程度のクオリティを求める。

 

果たしてここに本当の愛情が存在しただろうか。自分でこんなことを言っては過去の恋人達に向ける顔がないが、ここなら言えるし、そこに疑問を抱いてしまっているという現状は事実である。

 

私は「完璧主義」で「可愛がられたい病」であった。他人を、特に恋人を苦しめてきた。そして自分のことは365日、24時間高い課題を課して、達成しては まだまだなのではと更に新しい課題を課して、ほとんど絶え間なく自分を苦しめてきた。

 

だからうつになったんだよ〜、私。

 

 

 

鈴木大介著、「脳が壊れた」は、本を読むのが遅い私でも半日かけずに読み切れた、リズムよく興味深く感動的で表現豊かでユーモアのある感慨深いノンフィクションの本である。

その中で著者は自らを「背負い込み体質」「妥協下手」「マイルール狂」「ワーカーホリック」「ケチ」「善意の押し付け」とし、その結果 脳梗塞を患ったのだ、としている。

そしてそれを、生活習慣病ならぬ「性格習慣病」と表現し、『この性格を改善しないかぎり、いずれまた同じ生活に戻り、そして再発する。』と。

 

私は著者の言葉の表現力にただただ感心したり憧れたりしながら、この「性格習慣病」という彼が名付けた「病気」に私がぴったり当てはまるという事態に、大きな衝撃を受けた。

 

著者はリハビリのI先生(言語聴覚士)の助言のもと「性格と身体を変えることにし」て、

・人と物に頼る

・家事の分担はやらせるのでなく「お願いする」

・頼んだ家事の仕上がりに文句を言わない

・夫婦互いに譲れないことを出し合い許容し合う

など決めて取り組んだ姿も記している。

性格を変えるというのは、それはそれは大きな事柄である。しかしそれをやってみせる原動力と実行力が、著者にはある。羨望と尊敬の念を抱いた。

 

そして私は、自分の母に対して「思うこと」が山ほどあるのだが、本を読んで、著者も自身の家族(両親)に私の計り知れない広範囲に及んで「思うこと」があるのだろう、と勝手に彼の何かを想った。

 

著者はとても強い人だ。自身は恵まれているだけだと言う。それもあるかと思うが、恵まれた上に人柄という部分も大きいであろうと思う。「人の縁」という財産を考えた。

 

私は自業自得でうつになり、母と、婚約者をいっぺんになくした。でも、元・婚約者には、なんとなく、連絡してみたいような気持ちになった。

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「脳が壊れた」  鈴木大介・著