適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

18🦋 その12④ 私の生い立ち・人生 〜アダルトチルドレン〜(2件目の精神科)〜

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運転するのは怖かったが、予約した精神科は自宅からほど近いところで、車で5分ほどで着く。自力で行った。

 

自分で行けたし、今度は、前回のように怯えたりせずに、きちんと話をすることができた。

 

時間もたっぷり取ってくれて、まくしたてられることもなく、先生は穏やかに、ただただ、この一件の最初から最後までを聞いてくれた。

 

母とのことのくだりで、先生は驚いて、そのあと深く頷いていた。

 

自分はアダルトチルドレン(AC)なのではないかと話したことも、「そうだね」とは言わないが、話を全て聞いて、納得している表情だった。

 

その上で、私はもう母への諦めがついたこと、家を出ようと思うことを話すと、先生はこう言った。

 

「そうだよ。その通りだよ。諦めがついたというのは、決別をするということだよ。もう過去のことは切り離しなさい。そんな酷いお母さんに、まだ話を聞いてもらいたいかい? もう違うんでしょう? 家を出るんだよ。合ってるよ! あなたの思っていることは、合ってるよ!!」

 

年配の痩せ型のその先生は、窪んだ大きな目を見開いて、しっかりと私を見ながら、
微笑んでいた。
励ますように。


涙が出た。


こんな風に誰かに私の心境を理解してもらったことはなかった。


初めてだった。

 

私の心境を話しても、友人も彼も叔母も恩師も、「お母さんも辛かったんじゃない?」とか、「そのうち元どおりになるよ!」とか、そんな返答が返ってくるのだ。

 

私の抱えている問題は、そんなことではないのだ。

 

初めて、母の元から逃げろ、というニュアンスの事を面と向かって言われた。

 

ケータイの画面では何度も見たことがあったが、まさか、ついに、自分がそう言われた。

 

私は、パーソナリティ障害じゃない。

 

ただの、ACだった。

 

それだけだったが、それは、


大きなことだった。

 


共依存の彼へ続く