適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

17🦋 その12③ 私の生い立ち・人生 〜アダルトチルドレン(母への諦め)〜

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その日の午後は、気分転換で、彼にランチやドライブに連れて行ってもらった。

 

彼と話してるうちに、久しぶりに笑ったりして、少し元気が出た。

 

その後も、自分の状態や性格傾向についてを調べ続けた。

 

アダルトチルドレン

 

完璧主義、強迫性パーソナリティ、境界性パーソナリティ障害についてはかなり調べたが、ACについては、まだ具体的に調べていなかった。

 

ACについて調べると、かなり共感できることが多く、驚いた。

 

生きづらさ…

 

まさにそんな感じだった。
調べるほどに、当てはまった。

 

私は、ACなのかもしれない…。

 

しかし、ACはその状態にあるというだけで、病名ではない。医者に行ってもACという診断が下されることはないらしい。

 

だからと言って、なんということはなかった。自分は病気なのではなくて、ACという状態なのだ。

 

だから、この性格傾向にあるのだろう。そう思えた。

 

ACには、見捨てられ不安も当てはまるらしい。

見捨てられ不安というところだけ取って、境界性パーソナリティ障害を疑ったこともあったが、見捨てられ不安以外のほとんどが当てはまらなかった。

 

ACは克服できる。


らしいことも分かった。

インナーチャイルドを癒すとか、色々カウンセリングを受けるとか、自助グループのこととか、ACの人が書いているブログとか、たくさん読んだ。

 

虐待を受けていた人のブログとかも見たし、そう言う人を対象にしたコラムも山ほど読んだ。

 

インナーチャイルド癒すことは、まず最初に見つけたので、やってみようと思った。

 

でも子どもの頃の虐待の様子を思い出しても、辛いばかりだった。

 

もう、母との関係が辛くなってたまらなくなっていた。虐待したかと思えば、今度は依存してくる。何なんだ。

 

「大丈夫?」と「なんか食べる?」を言う以外何もしない。何なんだよ。

怒りがこみ上げていた。

でも…


母の何かにすがりたかった…。

そしてすがる思いからか、あることに気がつく。

 

母は、確かに行き過ぎた躾をした。

あれは躾ではない。ただの虐待だ。


しかし…。

母は行き過ぎることがあっても、私を放置したことはなかった。無関心なことはなかったではないか。

 

私は、子どもの頃はもっと、優しくしてほしかった、抱きしめてほしかった、そんな風に思っていた。愛情が、ほしかったと。

 

でも、考えてみれば、母は昼夜働いて私を育ててくれたじゃないか。30歳手前にもなって「話を聞いてくれない!」なんて言って反抗期を引きずっているような幼稚な娘を、今でも1つ屋根の下、そばにいて支えようとしてくれているじゃないか。

 

なんだ。

 

それこそ…。

それこそ愛じゃないか。

 

どうして気がつかなかったんだろ。私は、愛されていたじゃないか。

 

私は母に、思いの丈を打ち明けることにした。

母が休みの日だった。いや、休みを連日取ってくれていたのかもしれないが。

 

私は母に話した。大体こんな内容だ。

 

子どもの頃にされたことは、すごく嫌だった。あれは行き過ぎてた。でも、お母さんは私を今まで育ててくれてた。ありがとう。愛がないだなんて思ってた。違った。お母さん、育ててくれて、ありがとう。

 

母は「ごめんね。嫌だったよね。」
と言うかと思った。

 

 

 

 

 

 

しかし…
母の反応は予想だにしないものだった…

 

母は、鼻水を垂らしながらグジョグジョに泣いて


「私が悪いって言うんでしょ…!!」


そう言って、顔を酷く歪ませて泣きながら首を振り、部屋を出て行った。

 

 

 


……。

 

 

 

 

後悔した。


自分の思いの丈を打ち明けたことを。

 

私は自分の話を聞いてほしいと彼に押し付けたように、母にも押し付けて傷つけてしまった…。

 

そう感じて、とても後悔した。

 

その日の夜、母はよそに泊まりに行った。おそらく恋人といたのだろうが。

 

その日から、私は母に恨まれた。

 

酷く睨まれる。
目が合えば酷い顔押して逸らされる。
ドアをバシンッ!!と閉められたり、
あからさまに無視をされる。
他にも私が嫌がることを立て続けに繰り返した。

 

そんな日が何日も続いた。


もう限界だと思った。

 

分かった。


母とは、分かり合えないのだ。

 

ACの人のブログには、“毒親”と呼ばれる人たちと分かり合おうとするのは不可能なことであり、毒親を持つ子どもの人生においてはわかりあおうなどと言うのは馬鹿げていることなのだと書いてあった。

 

他のコラムや、精神科医が書いているACに当てたメッセージにも、同様のことが書かれていたが、私はそんなことはないだろうなんて思っていた。

 

でも。

 

実際、無理だった。


自分で証明されてしまった。

 

無理なんだ。


母と分かり合うのは。

 

毒親と分かり合うのは、無理なんだ。

 

…そうなんだ。
…本当だったんだ。

 

その日以来、母には諦めがついた。

 

母とのことは、もうどうでもいい。

家を出よう。こんな風にあの毒親と一緒にいては、心身をすり減らすだけだ。

 

友達を拳銃で殺して精神科医に予約を入れてから一週間が経っていた。明日は、予約を入れた日だ。この前行ったクソみたいな医者じゃない、違うところ。


母に諦めがついてからは、6時間くらい眠れるようになったし、情緒不安定も落ち着いてきているけれど、明日は行って、先生に話を聞いてもらおう。
そう思った。

 

12-④〜アダルトチルドレン〜(2件目の精神的)へ続く