適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

13🦋 その10 私の生い立ち・人生 〜母〜

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私は彼によって警察に連絡され、捜索されていた。

 

さようなら、のメッセージに反応して私の自宅に来たものの、行方がわからなくなっていたから…。

 

彼、母、親友、警察が、私を探していた。叔母夫婦は実家に着て祖母と一緒に待機してくれていた。従姉妹の2人も車で私を探してくれていたらしい。

 

私は死ぬ気が殺がれて静かな場所を求めて彷徨いながら、あまりにも警察の車両とすれ違うので、自分が捜索されていると気がついた。

 

どの警察車両も、すれ違う私の姿が見えなかったのか保護しなかったが。

 

結局私は、実家付近で彼に見つかり、自宅に戻された。

 

死ねなかった…

相変わらずそんなことしか思っていなかった。

 

親戚や友人、彼が帰って、警察も引き上げて、とりあえず家が落ち着いてから、迷惑をかけた人たちに「ごめんなさい」と連絡を入れた。


あとはよく覚えていない。

死ねなかった、ということ以外は。

 

母は、どうにか寄り添おうとしてくれた。コミュニケーションが下手くそな人だ。しかし母なりに言葉をかけてくれた。

 

その日以降も、泣いてばかりいる私をいつも気遣って、仕事も続けて休みを取り、私の部屋から泣き声が聞こえると駆けつけた。

 

私はそんな母に話を聞いてほしかった。
母に気持ちをわかってほしかった。

 

しかし、私が話し始めると、遮って何か喋り出す…。

 

「顔合わせはどうなってるの?  こんな体じゃ言えないでしょ、私が代わりに言って来てあげるから、彼の連絡先を教えてちょうだい。」

 

泣いているのに、母が喋るのはこんなことだ。

 

言いたいことはほとんど言えなかった。思えばいつもそうだった。本音で話せたことなんて、ほとんどなかった。

 

こんな時くらい、私の話を聞いてほしかった。悲しくなると、また、ちっとも話せなくなる。悲しさと怒りが溢れかえって、泣いて止まらなくなるから。

 

違う時にもまた独り泣き出すと、母が部屋に来た。

 

ベッドに横たわりながら泣くばかりで、ろくに話もできない状態の私に、母は完全に戸惑っていた。

 

「…。何がそんなに悲しいの…」

 

母も泣きたい気持ちであっただろう。
今この涙が落ち着いたら、話そう、聞いてもらおう、そう思った。

 

しかし、先に話し始めたのは母だった。私の実家はとても古く、築50年以上の小さな小屋のような家だ。私の部屋の天井には、雨漏りのシミができている。それを見た母は、

 

「この部屋も雨漏りが酷いのねえ…今の状態で一体いくら借りられるのかしら…」

 

金の話だった。

私はまた泣き叫んでしまった。


まさかこんな状況になってまでもお金の話をするとは思ってもいなかった。金がない金がないというのは母の昔からの口癖である。私は今度こそ、母に私の思いを聞いてもらおうと思っていたのに、母は金の話をしているのである。

 

泣き叫んでしまった。

 

要は、家を建て替えたいねという話だったわけだが、私は、「一生、金の話して生きてろクソババア」と思った。

泣き叫びながらそう思っていた。

 

「お母さんには、一番、私の気持ちをわかってほしいのに、いつだって話せない。気持ちを話そうとしても聞いてくれない。私はいつも、お母さんとうまく話せない…。」

強くそう感じた。

 

この頃はもう、悩みのタネは彼との結婚に関することではなくなっていた。

 

母との関係に悩んだ。

 

なんでいつも、ちゃんと話を聞いてくれないんだろう。

なんでいつも、お金の話ばっかり聞かされなきゃいけないんだろう。

 

母には話を遮られてばかりで、結局自分の悲しい気持ちや自責の念をほとんど話せなかった。

 

話を遮られると泣いてしまう私の背中を、トントンたたいてなだめようとする母の手を振り払って、叩いてしまったこともあった。

 

「あっちへ行け!来んな!」

 

母はかなり戸惑っていた。
それでも母は、私に声をかけ続けた。

 

「大丈夫?」

「なんか食べる?」

 

の二言だけだったが。
正直、それも頭にきた。

 

大丈夫な訳あるか? 死のうとしたんだぞ?…バカなんじゃないのか?

 

それに、なんか食べる? と言われても、何も喉を通らないのだ。無理に食べると、すぐに戻してしまう。食べられそうな時に、気分に合ったものを少しだけ口にすることができるようになってはいたが、食事という食事はできなかった。

 

「大丈夫?」と「なんか食べる?」は大きなストレス源だった。

それを聞くと発狂しそうになって、すぐ泣く。

散々だと思った。

 

11 〜不眠症と睡眠への恐怖〜へ続く