6🦋 その3 私の生い立ち・人生 〜青年期〜
19歳、定時制高校1年生。
素晴らしい仲間と、素晴らしい先生たちに出会う。これでもかと、昼間のアルバイトと夜の勉学に励む。よき友達に恵まれ、バイト先の男の子と恋愛もした。満ち満ちていた。
先生たちは、本当に素晴らしかった。生徒たちと真摯に向き合っている。先生というのはこういうものだったのかと、実感させられる日々だった。
定時制には複雑な背景を持つ生徒が多く存在する。私の学校ではほとんどが片親家庭で、継母・継父に悩む子もいる。勉強はとてもよくできるのに経済的な理由で全日制(昼間の学校)に通えなかった子や、元ヤンで大人になってから入ってきた人、外国籍の人、また、子ども頃に家の手伝いをしていて学校に通うことができなかったおばあちゃんやおじいちゃんもいた。
先生たちは、その生徒一人一人の背景をよく覚えており、理解し、心配し、暖かく迎え入れ、寄り添ってくれた。
デザインも捨てがたいが、先生と呼ばれる職業に興味を持つようになった。
子どもに興味があったので幼稚園か小学校の先生になりたいと思うようになる。小学校の先生は大変そう過ぎるので(笑)幼稚園にした。
この頃の母はというと、もう、昔の母ではなかった。私の成長に伴ってか、とても優しい母へと変貌していたのである。
私は、母が昔のことを話し始めればイヤ
でも聞いた。父とのこと、母は辛かっただろう。私と弟を育てるために昼も夜も働いて帯状疱疹になったこともあった。母は苦労している。私が母の理解者としてあろうと思った。
母の日や誕生日は必ず贈り物をした。母はこう言った。
「あの子(弟のこと)は何考えてるんだか…。まったくどうしようもないよね…。あなただけよ、母の日にありがとうだなんてプレゼントをくれるのは。悪いわね〜。」
嬉しそうにしていた。
また別の時には、母が占いに行った日に、ニコニコとこう話してきた。
「下の子はそのうち家を出て行っちゃう。でも上のお嬢さん(私のことだ)は、一生あなたの面倒を見てくれるわよ、って占いで言われた。よかったわ娘がいて。よろしくね〜」
母は、私が子どもの頃は虐待をしていたが、大人になった私には依存??していた…
まったく、母の話は大抵自分のことなのだ。私の悩みなどほとんど聞かない。私が何か話し始めても、自分の意見をひたすらに喋り、私の「気持ち」はちっとも見えていないのだ。
23歳、短大1年生。
幼稚園の先生になるため、短大に進学した。4歳も年下の子たちが同級生だが、定時制高校の時も3歳下だったので気持ちとしてはあまり変わりなかった。
実際入学してみると、周りがなんだか冷たく感じた。定時制とは温かみが違った。
何となく、周りの子が離れていく。
…何となく、気になっていた。私、何かしたかな…。そのころは全く気づいていなかった。完璧主義…。他にも色々「少し変わっている人」に見えていたのだと思う。
その後無事、幼稚園の教員免許と保育士資格を取得、幼稚園に就職した。
4〜就職、恋愛、婚約〜へ続く