適応障害・うつ病・双極性障害2型の記録、アダルトチルドレン。(旧,本当の自分 〜脱・AC〜)

28歳で発症。アダルトチルドレン・適応障害・うつ病・双極性障害2型、診断を受けた時の記録や、体験談を書いています。性格習慣病。アダルトチルドレン(AC)を克服しようと奮闘する人のブログ。

58🌸おい、そこの毒! 虐待する親も過干渉な親も同じだからな!


テレビやウェブなどで話題に上がることがある「毒親」「親の毒」などというのは、虐待やら放任やら、反対に過干渉といった親の言動により、子どもの成長や精神面に良くない影響を与えるもので。


このところまたまた多く見るのは「過干渉」。子どもの頃から習い事やら着る服やら付き合う友達やらに口を出してきて、大人になってからも就職先やら恋愛する相手やら下着の色にまで何やら言ってくるらしい。

気持ち悪いですね。子どもかわいそう。
うちの母は別に過干渉ではないので同じ毒親でも畑が違うななんて思いながらも「毒親」のキーワードにつられてついつい見ちゃう。

前に読んだことがある記事に上がっていた女性は、好きな人にプロポーズされても手放しに喜べずむしろ不安になったんだとか。理由は「お母さんが認めてくれるレベルの人じゃない」から。その女性は社会人として生活する今も、自販機でジュース一本買うのでさえ「これを買ったらお母さんが怒るかも」などと考えるそう。重症……。


こういう過干渉な親が毒親として取りざたされる記事には、大抵決まった感じの書き込みがみられる。

「何をするにも親の許可がいる」
「自分で決められない」
「親がいちいち報告を求める」

気がついたんですが、そう言えば私は、自ら

報告してる

そう言えばそう、何をするにも必ず報告して生きてきたな……。

それは子どもの頃からの習慣で、何か勝手にやろうものなら母からとんでもなく怒られるから。もしくは嫌味が死ぬほど続くから。

前に私が婚約してた相手は、大事なことを隠すタイプでした。私はそれを「プライドを死守するため」以外のなんでもないと思ってました。だって、借金の額とか生活費足りないこととかはぐらかしてるのは、自分の落ち度がわかってるからでしょ。

まあ、もしかしたら普通っていうか、よくあることなんだろうと今なら思います。

以前の私だったら、借金やら生活費足りないやら、そんなことになったら、絶対隠さないです。家族(親)に話してしまう。そもそもお金で失敗するようなことになる前にかなり工夫してるはずですけど。私は計画がキモいほど綿密です……。心配性なんだと思う。

その計画がうまく行きそうになくなった時点で親に相談するでしょうし、それでも借金してしまったら事後報告でも親に言います。


とにかく、昔の私は親に隠し事をするなんてあり得なかったんですよね…。私の母は、わたしが大人になってしまってからは、母の側からうるさく干渉してくることはありませんでした。

それでも私は、母に自ら報告してました。良いニュースも悪いニュースも必ず伝えます。どんなに言いづらくても必ず言います。あとが怖いということが頭に刷り込まれてるから報告しちゃう。

それに、冒頭に上げた女性の話、「お母さんが認めてくれるレベルの人じゃない」ってはなし、私も感じてしまったことがあります。

あれは、私がプロポーズされたあとウチの実家で母と初対面となる日。私は1時間も早く彼と合流してました。理由は「間違いがあってはならないから」。もし間違えると、恐らく死ぬまで母に嫌われ嫌味を言われ萎縮します。彼が。

30分前には実家付近で待機して、髪が乱れてないかだとか、スーツにホコリやらゴミやらシワやら付いてないかだとか、変な匂いがしないかだとか、靴は汚くないかだとかみたり、彼が緊張しないように話しかけたりと、こっちが緊張してました。

これ、今考えたら失礼です。笑
婚約者を信用してない感マンマン。そんなつもりなかったんですよ、母に彼を気に入ってもらえるようにしたかった。「ウチの親うるさいし細かいからさ〜! でも大丈夫まかせて☆」 みたいな妙な張り切り感。



なんだ、やっぱりここでも「母基準」。



もうなんか、無意識にこうなんですよね。自分の意思で、いいなと思えた彼をありのまま見せればいいのにねえ。



で、気づいたこと。

虐待と過干渉は同じ毒でも毛色が違うと思ってたけど、本質は一緒だった。

支配するんですよ、無意識に。
支配されてるんですよ、無意識に。
結局、親の基準が子どもの価値観なわけ。

虐待も過干渉も、反対の意味みたいなかんじではあるけど、どちらも子どもの自立を奪うんですね。気づかないまま一生終わる人絶対多いと思うわ。


おい!!
へこたれんな!!
私は気づいたんだから!!
毒人間とは違うんだから!!!

頑張れ、わたし。






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57🌸おとうと。

昨日、弟と二人で話しました。
毒親について。…初めて。




弟は7歳離れていて、家族の中では唯一男で(父はいない)、何となく、家では特別な存在になっていました。



◆まだ幼い男の子。守られる存在。

姉である私は勝手に、ミニ母気分でした。幼い頃、両親が離婚する前。母は深夜まで仕事て家におらず、父もなかなか帰ってこないので、私が夜ご飯を作って食べさせて、お風呂や歯磨きをさせて、寝かせて。
彼はまだ、幼い弟でした。



現在私が毒母との関係悪化により実家脱出計画を立てる中、弟にどう話していいか迷っていました。話してはいけないのではないかとも思えました。



弟は私のような扱いを受けずに育ったので、母が毒親だったと知ったら戸惑うのではないか……。

弟は母との仲が悪いわけではないのに、私との関係を話すことでギクシャクするんじゃないか……。

毒親だなんて受け止められなくて逆に「姉はおかしいから俺が母を守らなければ!」なんて母に傾倒すれば、母からは間違いなく依存の対象にされる。今までの私の、身代わりになってしまう。とすれば弟は生活を、人生を、母に取り込まれるんじゃないか……。




こんなことを考えていたので、言おうかどうか迷っていました。



◆もう子どもじゃない

弟のことについて、このところずっと、上のように考えるのは、私が(他の家族=母と祖母も同じだけど)弟をいつまでも子供扱いしているということなのではないだろうか、そう感じていました。



弟はもう成人しました。もう子どもじゃない。善悪の判断くらい、自分でつくはずです。



昨日、話そうと決め、弟と話をしました。



◆「共感できちゃったしね」

弟に相談したいと持ち掛けると、すぐに出てきてくれました。個室のあるお店に昼食を食べに行きました。



話した内容は、現在家を出たいと考えていること、元婚約者とのこと、死にたかった時のこと、子どもの頃の母のこと、毒親とのこれからについて。自分の心境を含めてたくさん話しました。




弟はやはり、母との間にわだかまりは無いようでした。ただ、私と同じように小さい頃につねられたり、家から締め出されたりはしていて、嫌だったとは言っていました。弟からしてみればそれだけで毒親にはならないけれど、私がされてきたことを聞くと「言われてみれば確かにそういうところがある」と言っていました。私が母から性的な話をされてきていることを知るとドン引きしていました。笑




こんなことを話しながらも、不穏な空気になることはなく、普通に話を聞いてくれました。そして弟は「そんな状況じゃ家にいられないよね」と共感を示してくれました。




親が毒親であると知ったら弟がどうなるか心配していたことは、「姉弟だけど、それぞれの親子関係であって別物と考えればいいんじゃない」というようなことを言ってくれました。私のせいで弟がどうなるとか考えなくていいと。




「認知の歪み」に対しても、「そんなに考えすぎないほうがいい」と言ってくれました。「夏目漱石が『肩が凝る』という言葉を作った時、途端に人々の肩が凝り出したんだって」と。




家を出たいのだけれど、不動産屋では保証人の関係で話が進まないことに関して、「とりあえず色々あたってみたほうがいいんじゃない?」と言ってくれました。保証人になってもらえそうです。




これから家を出ることに対してどうしたらよいか、一緒に考えてくれました。弟は、母や父とのことは、年齢や育った環境の違いがあるので姉弟でも違うと思っていたが、それでも母に対することは「共感できちゃったしね」と言って笑っていました。




話してよかったです。
本当に、弟はもう子どもじゃない。
味方になってもらえる身内ができたことに、嬉しさと感謝でいっぱいです。




もしかしたら、私の方から壁を作っていたのでしょうね。こんなに身近に頼りになる人がいたのに。




「弟を信頼することにしよう」なんて、失礼でした。立派な大人です。頼りになる人です。




◆22歳

今日は、弟の誕生日です。
やっと22歳じゃないです。
「もう」22歳です。

頼れる弟がいることに、感謝しながら生きていきます。








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55🌑クソババア

「ここにいれといた新聞の集金代がない。
封筒ごとないんだが。」



家中が物で溢れて何がどこにあるか分からないからこのどこかに落ちてるんじゃない?
本当は集金代を入れてなかったのに入れたと思って勘違いしてるんじゃない?



祖母です。私を疑ってるのは。




たかだか3千円?
取る? 私??





「前にはガス代1万7千円も無くなったんだよ封筒の中身だけ抜かれて。確かに入れたのに」








いつ金を入れたのか、どんな封筒なのか、誰も撮ったりしないと思うけど

色々はなしても顔が怒ってる。私の目をのぞいてくる。










ショックすぎる。
私、金を取るような人間だと思われてるの…??












じゃあ新聞とガス代今出すよって言った。そんくらい無職だって金あるよ。貯金してきたんだから。そんな少しばかりの金取るか。バカにすんな。クソババア。









悲しい、
悲しい。

悲しすぎて涙がこみ上げた

前科持ちなら疑われて当然だろうけど、今まで人を裏切ったり疑われることに繋がったりするような野蛮な行為なんかしてきてない。結果だけみて批判中傷するクソババアの神経にほとほと嫌気がさす。子供の頃からそう。そこに至るまでに何があったかなんてクソババアには関係ない。どうせボケてんだよ80過ぎて。ふざけんなクソババア。死ぬまで被害者だと思ってろ。


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54🌸いいこと。


もう7月だなんて、早いですね。私の気分は5月です……。


先日、自分の中にあるモヤモヤを少しでも解消したくて私が受けた虐待について書いてから数日……。

あのあと、4回、いいことがありました。
嬉しい。(^^)



◆掃除機〜

一人暮らしに向けて家電を見に行ったら、他店舗オープンの記念セールをやってました。
掃除機を見ていたのですが、ピッタリのやつを1万円以上も値引きで買えました!! やった! ポイント3000円分付けてもらったので、それ使って9月の中間決算あたりに安価の炊飯器でも買おうかな。炊飯器は特にこだわりないので究極安く済ませたいからちょうどいいです。ポイントの有効期限9月だし。



◆恩師〜

そのあとリサイクルショップに行ったら、たまたま高校時代の恩師に会いました。「24🌸恩師の言葉」に登場した人ですが、また色々温かい言葉をかけてもらいました。自殺を図ったなんて聞いたら、距離を置かれるかなと思っていましたが、あの時話したことを全て克明に覚えていて心配していてくれていました。やっぱり温かい。嬉しいです。



◆内定!!!

昨日は、第一希望の職場から内定の電話をもらいました。よかった! 以前の職務内容を生かせる仕事なので、私には合ってます。教員ではないけれど、また子どもを相手にする仕事です。


前は、人と関わることはなるべく避けたくて、人間相手じゃない仕事、モノを扱う工場で仕事を探していましたが、結局やる気になれず自ら辞退……。何やってるんだか。
家で嫌がらせを受けながら更に卑屈になってまた引きこもってましたが、やっぱり私は人を相手にする仕事がしたいです。内定嬉しい。


まだとても若い会社ですけど、「ゆくゆくは幹部候補と考えております」と。ぶっ飛んだけど今の私には特に怖いものはないので、いや、どうにでもなれ、いや、何でもいい、いや間違えた、与えられた仕事は便所掃除から素人さんへの指導統括まで何でも精一杯やります!
そんな気持ちです。



◆ネイル〜

それから、中学時代からの友人が誘ってくれて、ネイルの練習のモデルやらないかって。10代のときから飲食店でバイトしてそのまま教員になったので、ネイルサロンで施術してもらったことがなかったので、即答で了承!! 嬉しい!! どうせ今は無職だから制約ないしネイルやる!!!
楽しみです☆☆☆
ちなみに、この友人は私におきた出来事を全て知っているので、私は気持ちが楽に会えるし、大好きな人だし、楽しみしかないです♪
美容師で、エステもできて、マツエクもできて、ネイルもできて、かっこいい友人です!






掃除機、恩師、内定、ネイル!
嬉しいこといっぱいです!

頑張れる(^_^)











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53🌑母が私にした虐待

過去の記事にも話の流れで書いていて、重複するものもありますが、パッと思い出せる限りまとめて書きます。

◆身体的、精神的虐待、他。

物心ついた時には既に虐待はあって、小学校3年生くらいまで毎日でした。3年生以降は、父がギャンブルで作った借金の返済と生活費の補填のため、母が夕方から午前3時くらいまで、ファミレスのパートに出るようになり家を空けたので、接触する時間が減り、物理的に虐待は少し減りました。

虐待の理由は、学校のテストで100点が取れなかっただとか、片付けがきちんとできなかっただとか、ご飯を食べるのが遅いだとかいう、母の基準に満たなかったということです。

●平手で叩く
●拳で殴る
●みさえのグリグリゲンコツ
●「叩く方も痛いんだよ、叩かせるな」などと、とよまゆ的発言で抑圧し謝らせる
●肩やみぞおちのあたり、蹴り飛ばされる
●家の外に締め出される(父にはバレないように父の帰宅時間前には家に上がらせる)
●たまたま早く帰宅した父が締め出されている私を目撃し母に「あんなことするな!」と叱りつけると翌日から「あんたのせいで私がおこられたじゃないのよ」と言って今度は二階のベランダに締め出される
●ベランダにて尿意を訴えるとミニトマトの空き容器を持ってきて「はい、これにすれば?笑」
●つねられる(親指の爪が全部剥がれるほど強くつねられたことも)
●勉強でわからないところがあると「なんでこんな事もわからないのよ」と、目の前で削り尖らせた鉛筆を何度も手の甲に刺す
●リモコンの角で頭を殴る
●「ばかな子」
●「ブス」
●「ろくすっぽできない子」
●「どうしてこんな事もできないの」
●「信じらんない」
●「あんたみたいな馬鹿な子産んだ覚えはない」
●「こんなにバカな子に育てた覚えはない」
●殴られるのを両腕で庇おうとすると「手が邪魔だ!どけろ!」従わないともっとひどい目にあうので従うと「本当にどけるんだ!笑 ばかだね!笑」 バシ!!
●幼稚園のころ、かけ算九九が言えないといつまでも湯船から出してもらえなかった
●洗ってもらった洗濯物を自分で畳んで片付けなかったという理由で全部ゴミ箱に捨てられた。学用品や玩具も捨てる
●小学6年生の時、運動会の徒競走で初めて1等が取れなかったとき母に「なによあれー。遅かった〜。1番じゃないとかありえないー。」と言われ祖母には「つまんねえな」と言われる。父には「頑張った気持ちと頑張った過程が大事なんだ」と励まされた。
悪いけど母や祖母より私はよっぽど身体能力も学力も上なんだけど。
●小学校4年の時、突如、夜尿症になった(虐待による影響以外、理由は思い当たることはないが、当時はなぜ急にお漏らしするようになったのか見当もつかず、とても傷ついていた)。仲良しの友達が家に遊びにきたときに「この子ね〜、もう4年生なのに未だにお漏らしするんだよ! ね〜! ハズカシイ〜! そう思うでしょ? 普通しないわよね〜笑」と友達に言う
●他にもテレビのクイズ番組の簡単な常識問題がわからない(知らない)などと、小学生相手に馬鹿にして、友達や友達のお母さんたちに私の目の前で言いふらすのが趣味みたいに好き好んでやっていた。その影響で友達は私を馬鹿にすることもれば(お漏らしのことなど)、勉強に関する罵りであれば「あなたのお母さんって怖いね」と同情する子もいた。友達の親たちは私の心情を察して「そんなことしょうがないよね!」などと庇ってくれるが明らかに困っていた。



父と過ごしたのは小学校まででした。中学からは別居、離婚。父が母の行き過ぎた行為に気づいたのは、私を強くつねった母の爪が剥がれて包帯ぐるぐる巻きになった時と、外に締め出されていたのを見つけた時で、両方とも父は母に強く叱り付けていました。「二度とやるんじゃねえぞ!」

父がかばってくれることはわかっていましたが、父に言いつければ母は叱られ「あんたのせいで私が怒られた」と更なる虐待が始まるだけです。言えませんでした。
第一私は、自分が「ろくすっぽできない」せいで、自分が悪いせいで、怒られている、と感じていました。母から叱られたことを話すと自分の「ろくすっぽできな」かったところが父にバレてしまうことを恥ずかしく思っていたので、それもあって言いませんでした。


私が外で遊んでいると、近所のおじいさんやおばさんが、「大丈夫か」「お母さんに怒られたんか? お母さんのすごい怒鳴り声がうちまで聞こえるよ」などと声をかけてくれることもありました。でも父のことと同様、言えませんでした。「大丈夫だよ!」と元気に振舞って誤魔化していました。大人相手に誤魔化せていたはずはないのですが。


それでも、誰も児童相談所に通報するなどはしなかったようです。時代的にまだ認知されていなかったのではと思います。田舎だし。学校の先生にも、ちっともバレていませんでした。道を挟んで向こう側のブロックを含む広い範囲のご近所にまで怒鳴り声が響き渡っていても、これは母と私の間の秘密のことでした。


大人になって、、と言っても17歳の頃ですが、母が付き合い始めた7つ下の男性とラブホテルに行った時のことなど聞かされたこともありました。
中1になる頃、母が離婚を決めた時、母は私に「お父さんか私か、これからの人生どっちと住むかあんたが自分で決めなさい。弟は私を選んだわよ」と言い放ちました。「そんなの選べない。私は何もしてないのにどうしてそんな辛い思いしなきゃなんないの! お母さんも何かしたんじゃないの!」と泣きながら訴えました。すると母は泣きじゃくって怒鳴りました。「私が悪いっていうの?! あのひとはねぇ、私が嫌だって言っても無理やりセックスしてくるのよ! もう嫌なのよ!!」と衝撃の返答をしました。
ギャンブルでの借金の話はずっと聞いていましたが、12歳の子どもにセックスがどうのだなんて、母親がいうと思わなかった私は、メンタル的に撃沈しました……。

1つ前の記事にもありますが、自分の性的なことを子どもに平気で見せたり聞かせたりします。



私が成人して以降は、依存されていました。一人暮らししようと思うと話す25歳になる私に、「何で出て行く必要があるの? ここにいればいいじゃない。うちにいていいわよ。心配なのよ」引き止められました。
老後の面倒も私だけにみて欲しいと。
婚約したことを伝えた時も顔が曇っていました。



また、うちは家中が本当に汚いです。母の部屋や台所はまるでゴミ屋敷みたいです。居間にも母の私物が散乱しています。片付けをしないどころか、衛生的に悪い環境。ネグレクトまではいかないけれど、、、。ゴミ屋敷に住まわせることはネグレクトにあたります。近い状況でしょうか……。

片付けられないんです。母も祖母も。そして弟も私も。私は今は、大人になってから自分で私物が整理整頓できるようになりましたが、昔は心がすさむほど、部屋が散らかっていく傾向にありました。女の子の部屋なのに、足の踏み場がないくらい酷いことがほとんどでした。何かを契機に心が落ち着くと自然と片付けられて、部屋も綺麗になるのですが、またすさむと部屋も荒れます。繰り返していました。かなり部屋に収納を増やした今もすぐ散らかりやすいし、片付けは完璧じゃないです。

ちなみに母の部屋は常に足の踏み場がないです。使っていないボロボロの布団や何かの紙や布切れやらが、ペシャンコになって床にへばりついています。

祖母の部屋は祖母なりに片付けてあるつもりのようですが、「捨てられない病」の祖母は溢れるほどの私物を雑多に積み上げているだけで、とても片付いているとは言えません。

弟の部屋も足の踏み場がないです。でも私と同じように、片付けたり散らかしたりを繰り返しているようです……。

劣悪な環境…虐待、不衛生。
きちんと思い返すと、私はそういう環境で育ったんだな……。

今思うと、「ウチは親が離婚して片親だけど、ひとり親家庭なんてザラだし、別に変わったことはない普通の家庭」と思っていたことが不思議です。どこが普通???



◆育ちって、、、。

育ちによって人柄が出る、そう言いますよね。その通りだと思います。

恋人相手に非難ばかりする私。
片付けられない私。
「ろくすっぽできない」私。

必死に自分を誤魔化したくて、
必死に他人も誤魔化したくて、
誤魔化し切るために完璧主義になって……。
あたかもきちんとしている人に見せかける。

でも、そんなの所詮ただの誤魔化し。嘘八百。化けの皮が剥がされる時がきます。私のそれは、婚約というタイミングで訪れました。


お金の計算や管理ができないからといって
彼を責めすぎた自分が許せなくなり
今度は自分を責めすぎて自殺を図り
なぜこんなに自他共に行き過ぎなほどに責めるのか調べると完璧主義が判明し
完璧主義の原因は育ちにあると知ることで
化けの皮が剥がされる……。


「私、何のために頑張って人生やり直してきたんだっけ?」

「お母さんに認められるために生きてきたのか?」

「お母さんはもう諦めた……。もはや生きてる意味って何なんだ……。」


化けの皮が剥がれる(完璧主義が(自分によってだけど)暴かれる)と、自分の価値がゼロだったんだ、というように感じてしまう……。自分のやりたいことがわからない。自分の存在意義がわからない。アダルトチルドレンの典型的な症状です。



今はもう、そんな風ではないです。私は私です。母に諦めがついてから程なくして気がつきました。

一昨日は就職の面接に行けたし、あちらにも興味を持っていただけました。

昨日は友人と出かけて楽しく過ごすこともできました。まだまだ落ちる日が多く、落ち込む自分にいちいち「こんなんじゃ私はまだまだダメなんだ」とか思ってすぐ責めたりするのですが、友人は「そういう日(前向きになれる日)が少しずつ増えていけばいいよね!」と励ましてくれて、また心が軽くなりました。

今は大丈夫そうです。



◆虐待の内容を書こうと思った経緯

私が受けた虐待についてを、わざわざ細かく書く必要があるかどうかということに対して、私は必要ないと思うから書かないと思っていましたが、やっぱり書きたくなったから書きました。

1.まずなせ書く必要はないと思っていたか

●書くためにわざわざ思い出すのが辛いから
●私よりもっと辛い経験してた人がいるから。骨折したとかひどい火傷を負ったとか、身体障害が残ったとか、病院での治療が必要になったり一生ものの障害が残ったりするほどまでに、酷いことをされたわけでもないのに書いても、このような虐待を受けた人からすれば「お前大したことないのに辛いとか言ってんじゃねえよ」って思うんじゃないかなって思ってた(これ一番)
●そのくせ、そのうえ、「お涙頂戴感」が出そうで嫌だ

です。どれも、書こうと決めて書いている今でも変わらずこう感じていますが、それでも書きました。

2.なぜ書こうと思ったか

昨日、友人が誘ってくれて紫陽花を見に行きました。久しぶりに外に出て人と遊びました。お花見るのは好きだから楽しかったし、おしゃれなカフェで食事しするの久しぶりで嬉しかったし、何より友達に会って話して、気持ちが軽くなりました。

母と祖母からの嫌がらせを一部話しましたが、友人が味方になって、聞いてくれただけで心が少し変わるし、吐き出すことはやっぱりいいことなんだと実感できました。

でも、全ては話せなかったです……。話が重たくなるし。一番慰められたいところは(一番と言っても2つあるけど)、母と分かり合えないのだという現実に向き合わなければならない悲しさと、虐待されてた子ども時代のことです。だけど、そういう核心部分は「悲しいさん」と「怒りさん」が押し寄せてくるから、友達の前でそれをさらけ出すのがなんか怖くて話せませんでした。


今までのブログ記事は『🦋私の人生・生い立ち』シリーズを省いては母のことはネタ要素的に書いたものが多いです(のつもりです。笑)。ある程度面白く表現すれば、ある程度深刻な印象は抑えられる。且つ異常さは伝わるようにもしたかった。

しかし虐待のことを書くとすると、あんまりふざけられないんです。真面目に辛くなっちゃうから。笑

でも、別にふざけないで書けばいいんじゃんと思えたので書きました。吐き出すと楽になる。昨日改めて実感しました。でも実際友達に告白するのはかなりのエネルギーと勇気がいる。だから、今はとりあえずここに書く! このブログは私の成長過程を記していくブログなんだから、先に進むために必要なら書けばいいと思いました。





◆最後に

同情してほしいだけかよって思ったり、不快に思ったりした人がいたら、ごめんなさい。私がブログを書く趣旨(克服して前に進む過程の記録を残す!)に沿っていたので書きました。

リアルでこの事を話せなくても、ここに書くことで吐き出して乗り越えたいです。話す必要なんてないかもしれないですけどね。
明日からまた頑張って生きよっと。 以上









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52🌑家にラブホの備品が置いてあること


家の居間とかに落ちてる。

母親の私物が散乱する一角に。

多分誰も気づかないと思ってるんだと思う。

でも弟も気づいてると思う。

白い半透明のブラシとか。

ラメ入りの黒いシュシュとか。

プラスチックのダッカールとか。

バスソルトとか。

歯ブラシ入ってる袋とか。

綿棒とコットン入ってる袋とか。

死ねって思っちゃ……

見るといつも思っちゃ…う、

なんてゆうか俗に言う「キモい」に分類されてしまう容姿の母と、母より7つ若い金正日似のおじさんのそれを想像させられてしまうからです。

見えるところにあるからって、見てごめんなさい。









あーーーーむなくそむなくそむなくそ


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